世界には風光明媚といわれる所はきわめて多いが、スイスのモントルー・ヴェヴェイほど360度、どこを向いても絵になる場所は少ないだろう。町の後方は白壁の美しい民家やホテルがぶどう畑に点在し、アルプスに続く山々が町を支えるように展開している。全面は美しいレマン湖に面し、湖の背景には朝夕は荘厳なほどのアルプスの山々が屹立している。「スイスのリヴィエラ」ともいわれるが、観光地化が進んだリヴィエラよりはるかに美しいのではないかとさえ思われる。レマン湖の東の端に位置するこの地域は、古くはバイロン、リルケ、ディッケンズ、トルストイ、ワグナー、チャイコフスキー、そして新しいところではチャップリン、オードリー・ヘプバーンなど、数々の文人、音楽家、映画俳優などが長期に滞在し、晩年を過ごしている。
ジュネーブ、ベルン、ローザンヌなどは、ILOの会議その他で何度か訪れたことがあるが、モントルー・ヴェヴェイは、ILOの会議でジュネーブを訪れ、レマン湖の遊覧船に乗った時に湖上から眺めたことはあったが、それ以外には機会がなかった。たまたま、2000年9月にスイス政府、国連諸機関などの共催する国際会議に講演者として招きたいという話があり、夏季休暇中ということもあって、あまり深く考えることもなく引き受けてしまった。モントルー・ヴェヴェイならばぜひ行ってみたいという潜在意識も強く働いていたようだ。
IAOS 国際会議
会議のタイトルは、「統計、発展と人権」という一見すると、3題噺みたいなもので、いかなる関係を想定して設定したのか判然としなかった。しかし、正式なプログラムが送られてきて分かったことは、これが国際公式統計協会(International Association of Official Statistics: IAOS)の2000年記念会議ということである。この会議を組織したのはスイス連邦統計局およびスイス開発・協力局だが、共催機関はILO、UNICEF、EC共同体統計委員会、EUROSTAT、国連人権高等弁務官事務所、国連ヨーロッパ経済委員会など15を越える機関である。
会議は大変大規模なものであり、最近の通例としてインターネット上に事務局によるホームページが開かれ、公式招待者のペーパーは、会議前から公開されるという方式がとられた。これまでのように多数のペーパーをあらかじめ印刷して、会議開催の登録時に参加者全員に配布するという無駄の多い仕事が回避された。自分に関連する論文だけを参加者がそれぞれダウンロードするという方法である。
こうした国際会議に出席すると、登録時に膨大な論文集を時には数冊も渡されるものだから、今回はそれがなくて良い企画と思ったのは早のみこみで、モントルー・ヴェヴェイの観光案内、会場やホテル、レストラン案内、参加者リスト、そして豪華な付帯プログラムの説明・招待状などが入った鞄を手渡されたが、ポータブルPCが入っているのではないかと思うくらいの重さであった。
私に依頼があったテーマは、「移民とその社会・経済的影響の測定:アジアにおける労働力移動の主要課題」というものであった。課題が大きすぎるのでためらったが、選考委員会から日本は全招待者の中であなたひとりしか推薦していないのだからと告げられ、引き受けないわけには行かなくなった。
本会議は9月4日からスタートしたが、成田からモントルーまでは1日で行ける適当な便がない。仕方なく、ロンドンに1泊してジュネーブまで飛び、列車で行くことになった。長い旅であったが、モントルーへ到着してみると、太陽は燦々と輝き、山も湖もたとえようもなく美しい。長旅の疲れもどこかに消え、着いたとたんにせわしない日本へは帰りたくなくなってしまった。世界的な保養地だけにホテルの数は多いが、今回の国際会議がそのほとんどを借り切っても、収容できず、近隣のホテルまで動員している。事務局の予想をはるかに上回る参加者があるためという。やはり、モントルーの魅力はすごいと感じた。しかし、事務局の悩みは環境があまりに素晴らしいので、会議を名目に登録し、どこかへ消えてしまう参加者が多いということであった。すべてのセッションに出たわけではないので、はっきりしたことは分からないが、大会議場などでの講演は6~7割の出席であった。事務局が用意してくれたホテルは、有名なシオン城にも歩いて行ける場所で、町中の豪華ホテルではないが、スイスらしい清潔さに満ちていた。
素晴らしい会議運営
会議場は町の中心部の壮大な国際会議センターである。開会式場はストラヴィンスキー・ホールと名付けられている。ここは、いまや世界に知られた夏のモントルー・ヴェヴェイ音楽祭を始めとしてさまざまな催しが年間を通して行われている町なので、国際会議は慣れたものであり、諸事万端きわめて手際よく進行している。東京で同様な会議を開催した時には、会場探しに始まって随分苦労したが、ここでは、国際会議は日常行事なのである。開会式もスイス連邦政府の閣僚、主催者側の国際機関のお歴々が挨拶し、多彩なプログラムが展開した。
EUの成立に伴って加盟諸国の共同による行事は急速に増加しており、主催者が多国籍であるばかりか、使用言語も英語、フランス語、スペイン語、そしてアラビア語であった。国連諸機関が主催者側の一員であることもあって、アフリカ、中東諸国などからの参加者が非常に目立つ会議であった。これだけの規模の国際会議にしては日本人が少なく、会期中にお会いしたのは、立命館大学の先生ひとりだけという最近珍しい会議であった。テーマは人口、労働力、国際労働力移動、難民、戦争、飢饉など、きわめて広範な領域にわたる問題を、統計、経済発展と人権の関係で論じるものである。国際統計学会が主催者のひとつであるため、いずれのセッションも、統計との関わり合いを常に重視するという難しいテーマである。
国際色豊かなセッション
ちなみに私のセッションは、国際統計学会の特別テーマとして設けられた2つのうちのひとつであった。座長はフィンランドの統計局長(女性)、発表者はアメリカ、スエーデン、モロッコ、日本、コメンテイターはEUの人権委員会委員、元厚生大臣( ポルトガル)であった。移民労働(外国人労働者)の問題は、世界的にも注目を集めているだけに、時間切れまで議論と質問が続いた。しかし、この問題は立場によって見解が大きく異なるだけに、論争は止まるところがない。たとえば、発表者の一人はモロッコの代表、コメンテイターはポルトガル出身で、送り出し国と受け入れ国という意味で対立した関係にある。通訳者から定刻も過ぎていることだから終わりにしてほしいという要求が出されて終止符を打った。
学術会議としての中心的課題や議論の内容は別にして、若い世代の研究者のために、いくつかの感想を記しておこう。第一は、講演や発表がコンピュータ・ソフト、とりわけパワーポイントを使った視覚に訴えるものが非常に増加したことである。今回の会議も100本を越える発表があったが、半数近くはコンピュータからの投影あるいはOHPが使用されていた。これだけソフトウエアが発達しても、昔ながらのモノクロのOHP用紙に、読みにくい手書きで要点を記した発表も結構多い。他方、動画を含むソフトウエア技術の面では大変こったものもあるが、概してこうした発表は内容が伴っていないものが多く、評判はいまひとつなのは面白い。やはり、学会は発表論文の質で評価されていることを感じて安心する。
第二に、学問が専門化、細分化が進み、弊害も多い。学会での批判を回避しようと理論を精緻化し、標本抽出などの点で技術的な配慮が払われていることは認められるのだが、自分の設定した機能的に計測可能な理論に合致するようなケースだけが選定されているような発表が多く、かえって一般性を疑われるようなものが多くなっている。今回の会議でも、こうした発表がしばしば批判の集中砲火にあっていた。
第三に、今回の会議は統計学者ばかりでなく、経済学、政治学、法律学などの分野の参加者も多かったので、過度な専門化への批判、反省もみられた。なかでも、アメリカからの参加者の多くが上述の狭小な専門化へ傾斜している傾向が強いため、ヨーロッパその他の地域からの参加者は不満なようであった。
この国際会議に限らず、こうした会議は学会メンバーや関係者の再会の場でもある。今回の会議では、この点にも多大な配慮が払われていた。特に、注目したのは、インターネット・カフェという名前がつけられた一室に、20台くらいのコンピュータ端末が設置され、関連する論文をプリントアウトし、メールを交換することができる場が準備されていたことである。。中東諸国からの参加者と見られる黒いヴェールで身を包んだ女性の隣で、カラフルな衣装のアフリカ諸国からの参加者が、PC に向かっている姿は、世界が大きく変わっていることを強く印象づける光景であった(2000年9月9日記)。
旧ホームページから一部加筆の上、転載。