George de La Tour, The Cheat with the Ace of Diamonds, c.1630-1634, Museé du Louvre, Paris
前回にとりあげた「占い師」に劣らず、この「ダイヤのエースを持ついかさま師」も一度見たら忘れられない絵である。ルーヴル美術館が所蔵するこの貴重な一枚は、実は1972年のオランジュリー展の時に、ルーヴルが画商ピエール・ランドリーから当時としては、破格な値段で購入したものであった。この絵と同一のテーマを扱った「クラブのエースを持ついかさま師」(George de La Tour, The Cheat with the Ace of Clubs, c.1630-1634, Kimbell Art Museum, Fort Worth.)が現存していることは、ご存じの通りである。「ダイヤ」と「クラブ」のどちらが先に描かれたかという点については、X線を使った科学的調査にもかかわらず、完全には決着がついていない。「クラブ」の方が先という見解がやや有力らしい。
大きな伝承の力
そうした詮索は別にして、この作品が並大抵でない円熟した画家の手になるものであることは直ちに分かる。正確な制作時期の推定は専門家の結論を待つとして、両者ともにラ・トゥールが30代後半の頃に描かれたとみられる。画家としての自信と評判を手中にして、新しい主題の探索にも熱心であった頃であろう。この絵に限らないが、ラ・トゥールはローマには行っていなかったとしても、南イタリアから北ヨーロッパまでのヨーロッパ絵画界の潮流は熟知していたと思われる。今では、少なくともパリに行ったことは、確実であるとされている。
ラ・トゥールが画家としての修業時代をいかなる形で過ごしたかについては不明な部分が多いが、画業にかぎらず、徒弟制度の過程を経るのが通常であった職業では、職業上の知識や時流(ファッション)についての情報は、かなりの速度で伝達されていたとみられる。親方の下で徒弟修業をした後、独り立ちが認められた「わたり職人」(journeyman)は、それこそ諸国を歴訪して新しい知識や技法を身につけるとともに、情報の伝達役を務めた。ローマに行かなくとも、少し前の時代の寵児カラヴァッジョやその流派についての情報は伝承され、ラ・トゥールの工房にも確実に届いていたはずである。かつて、北イタリアに木工家具の工房を訪ねた時、現在でも中世以来、市場や技術についての情報ネットワークを世界に伸ばしているとの話を聞き、なるほどと思ったことがあった。
貴族社会への風刺?
この絵も「占い師」と同様に、宮廷階級や画商のために描かれたことはほぼ間違いないだろう。その意味では、ラ・トゥールの発想の源になったカラヴァッジョの同テーマの作品(Cardsharp, Fortune-Teller」)が、庇護者であったフランセスコ・デル・モンテ枢機卿の自室に掲げられていたという伝承を念頭におけば、現代においても、ナンシーやルーヴルの宮殿の一室に、これだけが展示され鑑賞できれば、環境としては理想的かもしれない。
ここで、「クラブ」ではなく「ダイヤ」のテーマを取り上げたのは、私の好みにすぎない。「ダイヤ」の方が作品として全体の色調などが落ち着き、円熟度の高まりが感じられることと、「占い師」の場合もそうであったように、「クラブ」の方は作品の上部が切り取られているようで、「ダイヤ」の方が安定感がある。「クラブ」の方は、色調も明るめであり、別の興趣をそそられる。
画題自体は、新約聖書(ルカ伝15:11)の「放蕩息子」にまで遡ることもできるといわれるが、16世紀後半にはきわめて広く取り上げられていたようだ。これも伝承の力がもたらしたものだろう。たびたび話題となるカラヴァッジョも、「いかさま師」、「占い師」の双方を描いている。一見、カラヴァッジョ風だが、ラ・トゥールはまったく別の解釈で、新たな世界を創り出した。ラ・トゥールは、この広く知れ渡った画題についても、その非凡さを縦横に発揮し、絢爛華美な雰囲気を湛えた素晴らしい作品に仕立て上げている。
試されるのは見る人
カード(トランプ)ゲームはすでに15世紀からヨーロッパ全域に広がっていたようで、特に戦乱にあけくれた16世紀ロレーヌでは、兵士そして社会階層では上流階級の間に広まっていた。予想されるとおり、ギャンブル(賭)として流行しており、ギャンブルあるところには「いかさま」、「だまし」などの詐欺行為が付きものであった。
さて、この作品の登場人物はすべて宮廷人であろう。とりわけ、「占い師」の作品がそうであったように、真ん中に坐る完全に楕円形の顔をした女の存在が圧倒的であり、画面を支配している。これも、一度見たら忘れられない顔である。画家が最大のエネルギーを注いだ顔ではないか。現実にモデルになるような女がラ・トゥールの周辺にいたかどうかは分からない。
カラヴァッジョなどの作品でもそうだが、詐欺は複数の人物の行為として描かれており、焦点はカードをすり替えるなどのいかさま行為を行う男に当てられている。しかし、ラ・トゥールはここでもまた「革新」を行っている。「駝鳥の卵のような顔」をした女が主役である。そして、脇役の召使いの顔もなんともいいがたい、怪しげな表情をしている。私の愛用?しているブックマークは、ボローニャの書店でたまたま見つけたものだが、この顔をアップしている。この召使いの表情についても、画家は大変エネルギーを注いだようだ。
「圧縮動画」のような世界
この作品はまるで、宮廷世界のある画面を切り取った「圧縮動画」のような印象である。ストーリーは真ん中に堂々と坐っている異様なまなざしの女からスタートする。画家は見る人の視線を集中させるために、女の容貌、とりわけその目つきに多大な配慮をしたと思われる。彼女がいかさま師の男に目配せをする。男は背中のベルトにはさんだカードをすりかえる行為に移る。それと同時に、召使いの女がワインを注ぎ、緊張した雰囲気に水を差して、だまされる男の視線をそらす。ここでも、「かも」になる男は若い、世慣れない、着飾った男である。周囲の状況を見抜くだけの世俗の世界の経験がなく、だまされないぞという顔をしながらも、視線は上の空、自分のカードのことで頭はいっぱいのようだ。目前で悪巧みが進行しているのに、気づく余裕がない。同じテーマを扱った他の画家の作品とまったく異なり、「かも」になった若い男は画面の主役ではない。こうして、見事にこのゲームのプレイヤー間の心理的洞察が画面に凝縮されている。
カードでプレイされているのは、当時流行していた「プライム」(La Prime)というゲームのようだ。この絵を見る貴族階級などの宮廷人は、誰もが知っているゲームであり、場面がどういう展開になっているかを考え、読み取って楽しむことができる。いかさま師の手の肘の陰に隠された貨幣など、実に芸が細かい。
画家は登場人物の衣装の隅々まで綿密な配慮をしていることが分かる。これまで、比較的研究が遅れていると思われる衣装についての歴史的考証が進めば、さらに興味ある知見が得られるだろう。
ラ・トゥールの非凡さのひとつは、よく知れ渡った主題をとりあげながらも、まったく新しい解釈で、はるかにレヴェルの高い作品に構成しなおしていることにある。鑑賞する人々は主題は熟知しているが、作品に接してあっと驚かされる。こうした「エンターテイメント」の要素を含んだ作品は、画家が人生のある過程で、自らを売り込むために意図してさまざまな仕掛けを取り込んだものと思われる。これで明らかなように実は試されているのは、見る側の鑑識力なのである。画家の力量を測ろうとしている者が逆に測られているのだ。空間、位置取り、色彩などあらゆる点で、驚嘆に値する熟成度の高い作品といってよいだろう(2005年3月26日記)。
Courtesy of Web Gallery of Art