The Musicians' Brawl. c.1625-1627, Collection of the J. Paul Getty Museum, Los Angeles
Courtesy of Olga’s Gallery.
「辻音楽士の喧嘩」
この作品は、一時期はThe Beggers' Brawl「乞食の喧嘩」と呼ばれていたこともある。しかし、その後は「辻音楽士の喧嘩」The Musicians’Brawlという題名の方が一般的になっているようだ。 描かれている人物が手にしている楽器などから音楽士らしいと推定されるようになった。画家が作品に表題をつけているわけではないので、あまり深く詮索する意味はない。
画家が意図したプロット
一見すると、画家が描こうとした内容は単純なように見える。しかし、よく観察すると大変奥深い。絵の中央に描かれた二人の放浪音楽士、フルートとヴィエルの楽士が、つかみ合いの喧嘩をしている。前回の漂泊の旅に疲れ、哀愁感の濃い楽士とは、まったく異なって、ナイフを振りかざした喧嘩という緊迫した情景の中にも、どこかユーモラスな雰囲気すら漂っている。これも画家が明らかに意図したプロットなのだ。
左のヴィエルの楽士はナイフと楽器で詰め寄っており、右の楽士はフルートでその攻撃を防いでいる。ヴィエルの楽士は盲目であるらしいが、左目は半分空いている。もしかすると、目が見えるのかもしれない。他方、右のフルート楽士は右手にレモンのようなものを握っており、その汁をしぼって、けんかの相手に注ごうとしているかにみえる。楽士が本当に目が見えないのか、少なくも一方は見えるのではないかと試そうとしているかにみえる。しかし、そのアイディア自体が、ナイフがふりかざされるという緊迫した情景の中ではやや滑稽でもある。ラ・トゥールは、またそうしたプロットを密かに組み込んで、観る人の観察力を試そうとしているかのようでもある。
ストーリー性のある構図
左手の女性は恐怖におののいたような表情をしているが、見ようによってはややオーバーな表情で描かれている。彼女はヴィエル楽士の仲間なのだろうが、もしかすると楽士の目が見えることを知っているのかもしれない。他方、右の二人はフルート楽士の仲間であると思われるが、こうした乱闘の中でなにかさめた様子である。前に立つ楽士の顔には笑みのような表情すら浮かんでいる。明らかに両者のいさかいについて、なにかを知っていて高見の見物役を決め込んでいるかに見える。おそらく、喧嘩の原因やその落ち着きどころを心得ているにちがいない。
ラ・トゥールはヴィエル楽士を主題として、一連のシリーズの作品を残しているが、現存する作品でこれだけが、やや異なった情景を描いている。他の作品は一人のヴィエル楽士だけが描かれ、多かれ少なかれ旅芸人の哀切感に満ち、漂泊に疲れた姿が全面にうかがわれる。
注目すべきもうひとつの点は、ラ・トゥールの場合、他の同時代の画家が同じ題材を選んでいても、まったく異なった観点から深く画題を掘り下げ、精緻な筆致で強い印象を与える作品に仕立て上げている。画家としての天賦の才を思わせる。
見る者を惹きつける
この辻音楽士のけんかにしても、同時代の他の画家が表面的に描いている画題を再構成し、ラ・トゥール独自の濃密な見せ場の多い作品に構成しており、見事といわざるをえない。この作品も喧嘩の行われているのが、いかなる場所であるのかを推測させるような材料はまったくない。主題にまっすぐに切り込み、しかも、観る者を画面に吸い付けるような魅力を準備している。主題を見事に描き出し、若干のユーモアさえ漂わせている。画家はそれについて周到な計算をしているのだ。
画家がその意図を表現するに最低限の数の人物を登場させ、画面の中に不自然なところを残さずに一枚に収めている。半身の画像も斬新である。テーマをクローズアップするために、余分な部分は極力削ったのだろう。ラ・トゥールが自らの技法を手中にしていることを思わせる。おそらく後の「いかさま師」のシリーズなどにつながる新しいドラマティックな展開の種が胚胎しているのだ。この絵も私にとっては、1972年オランジュリーで出会ってから、今日まで印象に残る一枚である(2005年3月12日記)