絵のある部屋
雑然とした仕事部屋であっても、好みの音楽が流れ、壁に一枚でも絵がかけられていると、心が安らぐ感じがする。とはいっても、好きな絵画をかけるというのは、CDを聞くようには実現しない。オリジナルは論外としても、工房などで作成される複製はかなり高価である。結局、複製ポスターが私の手の届くものである。仕事部屋にかかっているのも、ほとんどポスターである。それでも、無味乾燥な壁よりはるかに憩いが生まれる空間となる。
ディジタル時代の利点を借りて、折にふれて好きな絵のいくつかを掛け替えてみよう。最初は、少し時空を遡ります。
旅の途上で
少しでも時間が空けば、旅先きの美術館に立ち寄るのは、いつの頃からか身についた習性となってしまった。以前に記したモントルーでの国際会議(「国際会議のひとこま~2~」)の折、ロンドンに短時日滞在した。ヒースローから市内への車の中で思い浮かべたのは、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立美術院)はなにをやっているかなということであった。最近では、日本にいる間に海外の美術館や劇場の催し物をチェックすることも容易になっている。しかし、この旅は忙しい時期でもあり、かなり成り行きまかせの日程であった。すでに30年以上になるが、ロンドンと関わり合いを持つようになってから、「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」はきわめてなじみの深い場所となった。ロンドンでは、テートに次いで頻繁に足を運んだ所である。初めてターナーの絵の実物を見たのは、ここであったような記憶がある。
長期に滞在しているならばともかく、短い旅の途中ではテートのような大きな美術館はそれだけで一日の日程となってしまう。その点、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツは、買い物客で賑わう市の中心部(Burlington House, Piccadilly)でアクセスもよい。なによりうれしいのは、素晴らしい展示 exhibitionをしばしば行っていることである。今回は、 「スコットランドの色彩画家たち」The Scottish Colourists: 1900-1930と題して、4人の画家の手頃な規模の展示を行っていた。ホテルで旅装をとくなり、2、3の書店巡りの後に、アカデミーに出かけた。
「色彩派」の印象
「スコットランドの色彩画家たち」というのは、20世紀初期に活躍したペップロー (Peploe)、ファーガソン(Fergusson)、ハンター(Hunter)およびカデル(Cadell)というスコットランドが生んだ4人の画家のことである。これらの画家たちは同時期にさまざまに影響を与え 合いながら、ひとつの特徴ある画風でこの時代を画した人たちである。その特徴というのは、鮮やかな色彩を自由に駆使し、どことなくマティスやゴッホなどとも共鳴する部分を持っている点にあり、美術史上は後期印象派に属すると評価されている。とはいっても、展示のカタログにあるように、これらの画家たちは、イギリス美術史の流れでは時に見落とされてきた。この展示は、その存在の「復位」の意味を持つと評価されている。これらの画家の作品は、いくつか別の場所で、見たことがあった。今回は合計65点が展示されていたが、大変良く体系化されていて興味深く鑑賞することができた。いずれの画家たちも決してマティスやゴッホなどのように、日本でも名前が知られた「超大家」ではない。しかし、ヨーロッパの近代絵画史上はかなりしられた画家である。いずれの画家の作品も、一見するとあっさりと描かれているが、なんとなく好きになってしまう。イギリス人好みの画家たちであるといえよう。
カタログの表紙に使われたカデルの「室内」と題された作品も、よく見ると大変興味深い。カデルは4人の画家の中では最も富裕であったといわれるが、それを偲ばせるような作品が多い。シャンデリアの下がる豪華な室内で、ピアノを弾く紳士を背景に、ひとりの貴婦人を描いている。窓にはオレンジ色の遮光カーテンがかかり、彩りを添えている。テーブルには立派な銀器が並び、ティータイムであることを示している。左側には、この時期にヨーロッパのひとつの流行であった中国風の屏風が置かれている。全体として、大変色彩豊かな 作品である。
4人の画家たち
展示で今回初めて見た作品が多かったが、いくつか大変印象に残る絵があった。ひとつ、ふたつ紹介してみよう。ペプロー(Samuel John Peploe: 1871-1935)という画家である。この画家は1871年にエディンバラに生まれ、法律事務所で見習いを始めるが、1890年代にやめてしまい、エディンバラ美術学校で絵画の手ほどきを受けた後、パリへ移り絵画の勉強を続けた。4人の画家の何人かは、こうして当初志した仕事をやめて画業の道を選択しているという点でも共通した点がある。その後、1895年頃にエディンバラに戻り、美術学校に在籍しつつ、画家としての道を追求した。
1907年にパリに戻った折りに、4人の画家の一人ファーガソンとも出会っている。ペプローはこの頃から印象派的画法を追求するようになる。とりわけ、静物画に専念し、多数の作品を残した。ペプローは4人の画家たちのいわば情報センターの役割を果たした。彼らは共 に人生のある段階でパリに住み、当時のフランス画壇の大きな変化の渦中にあった。画家仲間としての影響もあってか、4人の画家たちの作品にはどことなく共通するものが感じられる。とはいっても、展示案内にも指摘されているように、美術史上で、この4人がひとつの運動や学派を形成したとは公式には言われていない。彼らが生前に共に展示の機会を持ったのは3回にすぎなかった。
みずみずしい作品
展示された作品には、大作は少ない。しかし、身近において常に見ていたいと感じる作品が多い。どの作品も、それがあることによって心が安らぐ感じがする。しかも、「色彩派」colouristsの名称が与えられているように、色彩感覚がみずみずしい。会場にいると、文字通り目を洗われるような清涼感がある。とりわけ、画家たちがそれぞれに当時のパリを描いた作品、あるいは静物画には深い愛着を感じさせるものがいくつかあった(画像:「パリ光彩」)。こうした作品に出会うことは、忙しい旅の途上でのささやかな楽しみである。今回も、せわしない日程ではあっ たが、ふだん埋めることができない心のすき間が満たされたような充実感があった。アカデミーの門を出ると、そこは観光客でにぎわう週末のピカデリーであった。夕闇がせまっていた。
2000年9月15日original記
旧ホームページに加筆、転載。
Picture: Courtesy of the Royal Academy of Arts
雑然とした仕事部屋であっても、好みの音楽が流れ、壁に一枚でも絵がかけられていると、心が安らぐ感じがする。とはいっても、好きな絵画をかけるというのは、CDを聞くようには実現しない。オリジナルは論外としても、工房などで作成される複製はかなり高価である。結局、複製ポスターが私の手の届くものである。仕事部屋にかかっているのも、ほとんどポスターである。それでも、無味乾燥な壁よりはるかに憩いが生まれる空間となる。
ディジタル時代の利点を借りて、折にふれて好きな絵のいくつかを掛け替えてみよう。最初は、少し時空を遡ります。
旅の途上で
少しでも時間が空けば、旅先きの美術館に立ち寄るのは、いつの頃からか身についた習性となってしまった。以前に記したモントルーでの国際会議(「国際会議のひとこま~2~」)の折、ロンドンに短時日滞在した。ヒースローから市内への車の中で思い浮かべたのは、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ(王立美術院)はなにをやっているかなということであった。最近では、日本にいる間に海外の美術館や劇場の催し物をチェックすることも容易になっている。しかし、この旅は忙しい時期でもあり、かなり成り行きまかせの日程であった。すでに30年以上になるが、ロンドンと関わり合いを持つようになってから、「ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツ」はきわめてなじみの深い場所となった。ロンドンでは、テートに次いで頻繁に足を運んだ所である。初めてターナーの絵の実物を見たのは、ここであったような記憶がある。
長期に滞在しているならばともかく、短い旅の途中ではテートのような大きな美術館はそれだけで一日の日程となってしまう。その点、ロイヤル・アカデミー・オブ・アーツは、買い物客で賑わう市の中心部(Burlington House, Piccadilly)でアクセスもよい。なによりうれしいのは、素晴らしい展示 exhibitionをしばしば行っていることである。今回は、 「スコットランドの色彩画家たち」The Scottish Colourists: 1900-1930と題して、4人の画家の手頃な規模の展示を行っていた。ホテルで旅装をとくなり、2、3の書店巡りの後に、アカデミーに出かけた。
「色彩派」の印象
「スコットランドの色彩画家たち」というのは、20世紀初期に活躍したペップロー (Peploe)、ファーガソン(Fergusson)、ハンター(Hunter)およびカデル(Cadell)というスコットランドが生んだ4人の画家のことである。これらの画家たちは同時期にさまざまに影響を与え 合いながら、ひとつの特徴ある画風でこの時代を画した人たちである。その特徴というのは、鮮やかな色彩を自由に駆使し、どことなくマティスやゴッホなどとも共鳴する部分を持っている点にあり、美術史上は後期印象派に属すると評価されている。とはいっても、展示のカタログにあるように、これらの画家たちは、イギリス美術史の流れでは時に見落とされてきた。この展示は、その存在の「復位」の意味を持つと評価されている。これらの画家の作品は、いくつか別の場所で、見たことがあった。今回は合計65点が展示されていたが、大変良く体系化されていて興味深く鑑賞することができた。いずれの画家たちも決してマティスやゴッホなどのように、日本でも名前が知られた「超大家」ではない。しかし、ヨーロッパの近代絵画史上はかなりしられた画家である。いずれの画家の作品も、一見するとあっさりと描かれているが、なんとなく好きになってしまう。イギリス人好みの画家たちであるといえよう。
カタログの表紙に使われたカデルの「室内」と題された作品も、よく見ると大変興味深い。カデルは4人の画家の中では最も富裕であったといわれるが、それを偲ばせるような作品が多い。シャンデリアの下がる豪華な室内で、ピアノを弾く紳士を背景に、ひとりの貴婦人を描いている。窓にはオレンジ色の遮光カーテンがかかり、彩りを添えている。テーブルには立派な銀器が並び、ティータイムであることを示している。左側には、この時期にヨーロッパのひとつの流行であった中国風の屏風が置かれている。全体として、大変色彩豊かな 作品である。
4人の画家たち
展示で今回初めて見た作品が多かったが、いくつか大変印象に残る絵があった。ひとつ、ふたつ紹介してみよう。ペプロー(Samuel John Peploe: 1871-1935)という画家である。この画家は1871年にエディンバラに生まれ、法律事務所で見習いを始めるが、1890年代にやめてしまい、エディンバラ美術学校で絵画の手ほどきを受けた後、パリへ移り絵画の勉強を続けた。4人の画家の何人かは、こうして当初志した仕事をやめて画業の道を選択しているという点でも共通した点がある。その後、1895年頃にエディンバラに戻り、美術学校に在籍しつつ、画家としての道を追求した。
1907年にパリに戻った折りに、4人の画家の一人ファーガソンとも出会っている。ペプローはこの頃から印象派的画法を追求するようになる。とりわけ、静物画に専念し、多数の作品を残した。ペプローは4人の画家たちのいわば情報センターの役割を果たした。彼らは共 に人生のある段階でパリに住み、当時のフランス画壇の大きな変化の渦中にあった。画家仲間としての影響もあってか、4人の画家たちの作品にはどことなく共通するものが感じられる。とはいっても、展示案内にも指摘されているように、美術史上で、この4人がひとつの運動や学派を形成したとは公式には言われていない。彼らが生前に共に展示の機会を持ったのは3回にすぎなかった。
みずみずしい作品
展示された作品には、大作は少ない。しかし、身近において常に見ていたいと感じる作品が多い。どの作品も、それがあることによって心が安らぐ感じがする。しかも、「色彩派」colouristsの名称が与えられているように、色彩感覚がみずみずしい。会場にいると、文字通り目を洗われるような清涼感がある。とりわけ、画家たちがそれぞれに当時のパリを描いた作品、あるいは静物画には深い愛着を感じさせるものがいくつかあった(画像:「パリ光彩」)。こうした作品に出会うことは、忙しい旅の途上でのささやかな楽しみである。今回も、せわしない日程ではあっ たが、ふだん埋めることができない心のすき間が満たされたような充実感があった。アカデミーの門を出ると、そこは観光客でにぎわう週末のピカデリーであった。夕闇がせまっていた。
2000年9月15日original記
旧ホームページに加筆、転載。
Picture: Courtesy of the Royal Academy of Arts