日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

帰化の話、国籍の話

2006-04-06 13:28:23 | 社会問題
妻がフィリピン人である人の20年程前の話。
「夫婦で海外旅行に行くと、自分は日本人だから税関を難なく通れるのに、妻は一々時間がかかる。面倒でしょうがない」と。
そこで、妻が日本に帰化しようと考え、フィリピン大使館を通して、出生証明書等の申請書類を取寄せたことがあります(フィリッピンには戸籍謄本はありません)。
さて、申請をという段になって、実はその人は日本人の戸籍もあることがわかりました。
父親がフィリピン人で戦争中の沖縄生まれ、フィリピンで育った人でした。
ご存知のように当時の沖縄はアメリカ軍に焼き尽くされ、戸籍等も焼失していたのです。
戦後直ぐに、各人からの届出で戸籍は整えられたのですが、生れたばかりの赤ちゃんをお爺さんは家族の一員として届出たので、当然日本人として記載されました。
少し前までの日本の戸籍法では、父親が外国人の場合は当然には日本国籍の取得とはなりません。戦禍の中での受付のため、手違いで彼女はフィリピンと日本の二重国籍になっていたのです。
勿論本人はこの事務作業を始めるまでは知る由もなく、自分はフィリピン人だと認識していました。
二重国籍では帰化申請と矛盾することから、正しいものにするために、一旦間違って記載された日本国籍の抹消をしました(何故そうなったかを資料をつけて説明するのはそれなりに大変でした)。
そして、晴れて帰化申請です。
どうだったと思いますか。
彼女の帰化申請は不可でした。
彼女には日本で一緒に生活しているフィリピン人の先夫の間の子供がいました。自分が日本人になることはOKでも、娘までをと決心がつかず、そうすると未成年の子供をフィリピン国籍に残したままでは娘の生活が不安定になり、母親のみの帰化は認められないというのが法務省の結論でした。
彼女のした選択は、「それでは帰化申請を取りやめる」でした。


時々日本国籍の有無についての裁判が話題になります。
その後も一度帰化申請のお手伝いをしたことがありますが、帰化で日本人になるためのハードルは高いのだと、そう感じました。
所得証明書は勿論のこと、現在どんな環境で生活し、自宅の中での暮らしぶりまでを伝えなくてはなりません。
家の中の箪笥などの家具の前に家族揃って平穏に生活を送っている写真を証拠として添付したこともあります。

人の流れは豊かな国へと向います。社会保障に預ろうとの目論見で帰化されると、高負担で国が賄いきれないから、でしょうね。
今、移民の国アメリカ、カリフォルニアでも不法入国が問題視されていますね。
ルールと倫理、そして治安の問題もないわけではないから、どこまで認めるか、課題です。






コメント (2)
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息子の遊び場の話

2006-04-06 07:44:42 | 子育ての周辺
かつての話。
「お宅の○ちゃん、やさしいのね。この間お宅を訪ねようとしたら、『ママは病気で寝ているから、ボクんち 行っちゃダメ!』だって」
集合住宅に住んでいた頃、別棟のご近所さんから、そういわれたことがあります。

その頃は、つわりがひどくて寝込むことが度々でした。
「あっ、洗面器!」の一言で、2歳の息子はお風呂場から洗面器とタオルを持ってきてくれるのです。
そんなことがしばしばだったので、前述の発言になったのでしょう。

2歳の子供の外遊びに付き合えなくて、絶対に敷地内から出てはダメよと、前置きして、外遊びに出していました。

やがて生まれた赤ん坊を抱いて外遊びに付き合っていた頃のこと。
おもちゃの何かが敷地の外に転がっていきました。
「ママ、出てしまった。取れない!」
敷地の先1メートルほどの道路に転がったそのおもちゃが、敷地内からでは届かないと困っているのです。
勿論、「ママが見ているから、とっていいよ」ということで、些事は解決なのですが、ひとりで外遊びを始めてから、息子の自由に活動できる範囲を彼は敷地内としっかり守っていたんだと、その時赤ん坊を抱っこしながら思った次第です。
彼と赤ん坊は同月生まれですから、そのときは3歳になっていました。

〈ルールを守る〉は親譲りなのでしょうか。
振り返ってみると、ルールを守っていると、次の一歩を自信を持って踏み出せる筈、という思考方法が我が家にあるような気がします。

今日の朝日新聞のひととき欄に、病気のお母さんに替わって、料理をしてくれた話が載っていたので、こういうこともあったと、思い出しました。
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