―― 歴史を知らないものは永遠に子どもである ――
この台詞を書き留めたくて、今日のブログは映画
「卒業の朝」
2002年のアメリカ映画。舞台は1976年のアメリカの伝統あるらしき全寮制私立高校。
古典学の教師ハンダード先生から、ギリシャ・ローマ史を学ぶ生徒達。一見知識詰め込み式。寮生活を始めたばかりの生徒達は次々と展開される地中海に文明が起こり、征服と侵略が繰り返された時代を学ぶ。
前記の台詞はその授業の中で。哲人ヘラクレイトスの言葉らしい。若い頭脳に専制性・君主制・デモクラシーと教えられていく…。
そりゃ、日本の世界史でも出てくるのだろうけれど、なんか違う。
自分達のデモクラシーの根源がそこにあるから、君達は学ぶべきだし、そういう歴史を持っていることが誇りなのだと、教える教師から伝わってくる。
あぁ、欧米ではこうなんだと思った。
ギリシャ・ローマは中世・近代へ、そして今の時代へとつながっている。
日本の場合はあの明治維新で欧風を輸入し、世界史でアテネやローマを知るけれど、中国の論語や陽明学や朱子学の思想も混ざっているから、西や東の思想が満載で薄まってしまった感がある。
15歳からの3年間、専攻分野に別れる前に、自分達の歴史を叩き込む、欧米の彼らは成長期にこんな時代を送っているのだと、そんなことを考えながら見ていた。
―― 人間の性格は宿命である ――
の言葉も。
うーーん、こっちの台詞は、…だろうか? 必ずしも、と思いたいけれど。
映画の展開はハンダード先生に、「人間の性格は宿命である」の思いを深くする内容なのですが。
教育は立派な教師がいることが大切な要素のひとつでしょうね。
日本の場合は、教育の現場は、さあて、どうかしら。