日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

転勤が多い土地柄の入学式で

2006-04-18 13:21:50 | 私の雑感あれこれ
入学、進級、新しいクラスは上手く滑り出したでしょうか。
平成になる少し前、こんな小学校がありました。
その時、入学式の前日に引越しでした。区役所に転居届を提出した翌日が入学式。
前任地で荷造りしている時に、入学の再確認があました。その後分かったのですが、職員室で1年生を9クラスにするかどうかの協議中だったそうです。
そして、入学式。
入園前の幼児を連れて、入学児童と1年生のクラスへ。3年生の長女は一人で、転校で編入するクラスへ。
昨日初めて来た町で、長女、付き添いもなく可哀想だなと、幾分気に掛かりましたが仕方がありません。
そのうちに分かったのですが、一学年の転入生は、各学年約30人!とのこと。
転入生をクラスでおもむろに紹介、なんてやっていられません。
2年から6年までの転入生ばかりが体育館にワンサカ集められていました。
私は一応、長女と一緒に学校までは来たので、まだ増しなほうです。お母さんは弟の幼稚園の付き添いで、お姉ちゃんは一人で新しい学校へっていうパターンも聞きました。
すごいマンモス校でしたが、このとき特に増えたのではないのです。3月には同じくらいの転出生徒がいたのです。
なんというめまぐるしい小学校だったでしょう。
入学から卒業までこの学校で過ごす人は、1割程度とか。
時代はバブルの最中。日本全国が守備範囲の転勤族のお父さん達の影には、こんな小学校があったという話です。
あっ、でも中学、高校は一環で、お父さんは単身赴任になるパターンなのかもしれません。8クラス、9クラスともなると、自分のクラスの名前しか覚えなくなるらしいです。
クラス替えしても、同じクラスになる人は4人程度、時にはひとり2人ってこともあったらしいです。
少子化といわれて久しい今、こんな学校はもうないでしょうね。
運動会なんか、入場行進と退場行進にすごい時間がかかるって話聞きました。カケッコも団体で進行するのが多かったですよ。
でも、賑やかも面白かったです。

その後、再度転校する時も、長女は一人で中学へ。
こんな体験も第1子の性格形成に影響してくるでしょうね。
3人もいると、大忙しだったけれど、ま、それでよかったのでしょう。

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いろんな課題がやってきて、それでも月日は流れる。

2006-04-18 07:08:06 | その他
この文章は自分自身への業務連絡かもしれません。

日曜日はテレビの囲碁番組を横目で眺めながら昼食(私は囲碁はわかりません)。
対戦相手は井山裕太君、小学2年、3年と少年少女全国囲碁大会で連続優勝した、大人もびっくりの少年でした。その時テレビで解説していたプロ棋士の方も、すごい子供ですね、将来が楽しみですと評しておられました。
その少年が、いま青年となってもう7段だという。
「ホラ、あの井山君だよ」と、言われて画面に目をやると、解説者が「…、彼は困難な場面においても、それを堪えて、しのぎ、乗り越えていきますね。…」と。
まだ、年齢は高校生あたりであろうに、大のプロ棋士の口から、そんな言葉までででくるのかと、私のココロにすとんと入り込んだ。
ふーん、困難に面しても乗り切ろうとするのか、若くてもその術を使うことを心得ているのか…と、昨日月曜日の一日、何度か頭の中を転がしていました。
そして、夕食の時に話題にしたら、「それは多分違うよ」と。
「彼には、その局面が困難だったり、堪えがたいという感覚とは別の感じ方で、その場面が見えているんだよ」と。
底知れない能力の持ち主である高校生って、そう言うものか…。
なーんだ、あたふた、あたふたしてしまう自分は、力不足を宣伝してまわっているってことか。
1つの課題(ココロのしこり)がまだ乗り越えられない自分がいる。
もぐらたたきで、この頭たたいてやると、スッキリするのであればいいのだけれど、座標軸を変えたがらない、頑迷な自分がいる。。
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