日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

教育基本法のこと

2006-04-27 12:31:50 | 社会問題
「教育基本法のこと」だなんて、気安いタイトルにしましたが、私、結構好きなんです。
暗記するほど読んでいたのは、教員採用試験を受けた頃。
多分、今採用試験を受けている若い人たちも、「教育基本法」と、にらめっこしているのではないですか。
その時限りで、特段目にすることはなくても、「納得、納得」「うーん、そうだね」と、感じ入りながら文字を目で追っていた感覚だけはしっかり残っています。

だから、改革推進派の方が「長らく改正もなく、随分古くなった」とか、「若者の事件が多いのは教育基本法が実情に合わなくなった」と、耳にすると、本当に「教育基本法」を読み込まれたのですか。と言い返したくなります。
改革して、「愛国心を謳う」なんて、もっと先祖がえりのような気がします。

そんな方には、「もう一度読んでみてください。古いのではなく、問題があるとすれば、まだそこに至っていないからではないですか」と、いいたいのですが。

世界人権宣言、日本国憲法、そして教育基本法、そんな流れでつながっていて、どうして不足と思うのか、そこのところ分かりません。

今、弊ブログお訪ねくださった方で、お時間がありましたら、押し付けがましくで申し訳ありませんが、クリックして読んでみてください。
私、決して「教育基本法商会」の回し者ではありません(笑い)。

余談
昭和22年は教育制度改革があり、小学校の1年生の国語の教科書で初めて習うのが、カタカナからひらがなへ変わった年らしいです。
カタカナを覚えて入学式を迎えた兄は、下駄箱のひらがなの名前がわからず、祖母が紐で印をしようとしたら、先生にやさしく注意されたとか。
まだ、父親が捕虜としてシベリヤへ連行され生死も分からず、母の働きで家族3人が暮らしていたその頃です。
昭和22年公布の「教育基本法」古いというより、高く掲げられた旗だとそう思います。
コメント (5)
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こんな話

2006-04-27 09:07:45 | その他
今日のブログ自分自身への業務連絡の類です。

ちょっとしたことから、ふと思いました。
カリカリしていたのです。
「あなたのメールの○を確認して、もし△になっていたら、変更してくれないと、自分のところに来るメールが不具合で読みづらいと」いわれていました。
ずっと、パソコンでメール送信をやりだして7年程。この手のクレームは初めて。
「全員に送信」して、誰からもクレームが来ていないのに、◎さんからだけ。
家族間で確認しても、ノープロブレム。
「ム、ム…」「◎さん指摘の表示が出ているわけでないし、何で私の方?」

長く使ってはいるものの、家人に教えられて始めた部類だから、あそこと、あそこをチェックして、ここを確認してなんていわれても、いまいち不得手。
私の中で、「◎さんは厄介な御仁」と、その流れに傾きかけていました。
昨日の朝、家人の手助けで分かりました。
私の素人加減が判明、というか、◎さんがパソコン通だったのです。
きっと隔靴掻痒だったことでしょう。

物事って、こんなところでギクシャクするのだなと、そんな風に思いました。
結構外側から見ると分からない理解度の差があるのに、指摘されたことに「ムッ」と、きていたのだと。
いろんな場面でも、同じなんだろうと。
ひとつ高い(というか深い)理解力があれば、スッと遠くまで見通せてトラブルにならないのに。些少なところで人間関係に軋みを作るのは、本人の力不足でもあること。
世の中、理不尽だと怒っている人はあっちにも、そしてこっちにも。
その中には、きっと、理解度の差からくる行き違いってことも、あるんでしょうね。
勿論、それらのやり取りに、「刺」がミックスされていたりすることも軋みに拍車をかけるのでしょうが、そこは「刺ミックス」にしてしまう人の「器」なのだということも、ふと思いました。
もっと、高い理解力(というか深い)理解度をめざせば、糸は絡むこともないのですね。
絡むから人間模様なのでしょうけれど。
あぁ、山の中腹をたどたどしく登っている自分が見える。
コメント (2)
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