日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

あぁ、ネーミングの好み

2006-04-19 14:52:04 | 私の雑感あれこれ
ブログをあちこちクリックしていたら、こんなネーミングに。

― それなら、歩いて行きます ―

暖色系の画面に、そう書かれたブログ。
「えっ、これをブログ名にしてるの」
ついどんな管理人かと、思ってしまいます。
学生さんのブログで、ずいぶん年も違うから、接点もないのだろうけれど、「ニクイナー」。
表題部に『それなら、歩いて行きます』といわれると、ウン、ウンと頷いているわたし。
わたしもそれなりに、歩いて来てしまったけれど、『これからも、歩いて行きます』では、絶対に平凡。
うーん、そこのところ微妙。
『それなら、』のささやかに毅然としたやや挑戦的な素振りが絶妙です。
そのブログの、どこだったかに、

― もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、そこが道になる ―
        (出典は中国ものらしい)
という言葉も。

日ごろ、去来する感覚とどこか通じる、というか、私がどっかで出会い、時には反芻している思いと共通項があるものだから、出会うことのない人だけれど、あっと、立ち止まった。
『街中の案山子』って、どう意味があるの?
と聞かれたことがあります。
とっさに陳腐な言葉を連ねました。
ボケて済ませばいいものを、しゃべりながら自己嫌悪していました。
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もう1つ、小学校入学の頃の話

2006-04-19 07:31:55 | あの頃(~昭和40年代)
写真は入学式で児童と父兄の合同写真1枚しかないあの頃。そう、私の入学式の頃。
あいうえお順だったか、生まれた順だったか分かりませんが、前列でまぶしそうな表情で写っています。しっかり前をといわれたけれど、まぶしくてやっとのことで、数メートル先に落ちていた小枝の切れ端を見ていたの覚えています。ほっぺがぷっくら…、ま、事実だったんでしょう。母は痩せ型。シベリヤ抑留から夫が帰って7年ほど後、太るどころではなかったのでしょう。
その翌日だったかに、体育館での集まりで私達1年生が上級生からのプレゼントを手渡されました。
大きな紙袋に入っていました。
みんなで喜んで中味を出しました。手作りの人形でした。
私の袋には、大ぶりの人形が二つ。私だけです。
そして、その二つはどう見ても、周りの人の人形と比べると見劣りがするのです。
二つ入っていて、嬉しいのではなく、何でこんな変なのと一瞬思いました。
悲しくなりました。
可愛いお人形が欲しかったのではなく、「わたしって、ハズレを引くんだ」と、ぼんやりと、そのことを思ってココロにしまいこみました。
その後の子供時代、自分の中では、あの不細工な人形にあたったことを、ふと思い出したりしたものです。
そりゃ、6年生は一生懸命作ったのでしょう。工作が嫌いで不得意な人がいて、受取る子供の数が作る子供の数より1人少なかったから、先生は喜びそうにないお人形を貰う子の袋に二ついれたんだとは思います。
「可愛くない!」とか、「みんなのがいいね」なんて、口に出来るタイプだと何にも残らないのに、私は出来ませんでした。
誰にも話題にせず、普通にしていました。
そして、「わたしって、運が悪いんだろうか」と考えたり…。時が経つと他愛もないことなのだけれど、6歳のわたしには切実でした。
自分が上級生になれば、不器用なのに人形を作らされた子のことも想像できます。でも、その時は学校を楽しみにしていた6歳の子の心中は、そのとき一瞬曇り、その後も、時に顔を出すトランプのババのような存在でした。

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