ブログをあちこちクリックしていたら、こんなネーミングに。
― それなら、歩いて行きます ―
暖色系の画面に、そう書かれたブログ。
「えっ、これをブログ名にしてるの」
ついどんな管理人かと、思ってしまいます。
学生さんのブログで、ずいぶん年も違うから、接点もないのだろうけれど、「ニクイナー」。
表題部に『それなら、歩いて行きます』といわれると、ウン、ウンと頷いているわたし。
わたしもそれなりに、歩いて来てしまったけれど、『これからも、歩いて行きます』では、絶対に平凡。
うーん、そこのところ微妙。
『それなら、』のささやかに毅然としたやや挑戦的な素振りが絶妙です。
そのブログの、どこだったかに、
― もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、そこが道になる ―
(出典は中国ものらしい)
という言葉も。
日ごろ、去来する感覚とどこか通じる、というか、私がどっかで出会い、時には反芻している思いと共通項があるものだから、出会うことのない人だけれど、あっと、立ち止まった。
『街中の案山子』って、どう意味があるの?
と聞かれたことがあります。
とっさに陳腐な言葉を連ねました。
ボケて済ませばいいものを、しゃべりながら自己嫌悪していました。
― それなら、歩いて行きます ―
暖色系の画面に、そう書かれたブログ。
「えっ、これをブログ名にしてるの」
ついどんな管理人かと、思ってしまいます。
学生さんのブログで、ずいぶん年も違うから、接点もないのだろうけれど、「ニクイナー」。
表題部に『それなら、歩いて行きます』といわれると、ウン、ウンと頷いているわたし。
わたしもそれなりに、歩いて来てしまったけれど、『これからも、歩いて行きます』では、絶対に平凡。
うーん、そこのところ微妙。
『それなら、』のささやかに毅然としたやや挑戦的な素振りが絶妙です。
そのブログの、どこだったかに、
― もともと地上には道はない。歩く人が多くなれば、そこが道になる ―
(出典は中国ものらしい)
という言葉も。
日ごろ、去来する感覚とどこか通じる、というか、私がどっかで出会い、時には反芻している思いと共通項があるものだから、出会うことのない人だけれど、あっと、立ち止まった。
『街中の案山子』って、どう意味があるの?
と聞かれたことがあります。
とっさに陳腐な言葉を連ねました。
ボケて済ませばいいものを、しゃべりながら自己嫌悪していました。