日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

ある会合で。

2006-04-11 16:21:07 | 私の雑感あれこれ
ある生涯スポーツをやっています。
その部会でのこと。
「高齢者とバリバリの上手い人との試合はいかがなものか」という話になって、各団体からの意見を持ち寄り部会で話し合いました。
「年齢制限をどうするか」
「男性60歳以上、女性55歳以上をシニアクラスとする」で話がまとまりかけた時に出たひとつの意見。
「あのー、年齢で区分けするとどうしても、クラス選択は自由であっても、シニアに出ると○○歳以上と推測されるから、ためらう人がでると思うのです…」
「…だから、『シニア』っていう年齢を使わない方法はないでしょうか」と提案。
「…だよね」と微妙な年齢のわたし。
高齢者だから、ホドホドのひと。
初心者だから、ホドホドのひと。
運動音痴だから、ホドホドのひと。
自分から声をあげにくい、こんな人たちの声を丁寧にとりあげる会合にちょっとうれしくなりました。
生涯スポーツだからですね。
そうして決まったネーミングは『リクレーション・ダブルス』
我がグループに持ち帰って伝えると
「良かった、それだったら小学生でも、大会に参加できる!」という母子で練習に来ているお母さんの声。

日曜の朝の会合、大会参加人数を増やしたいという係りの方々の声が、いい形にまとまって、さわやかでした。


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また思い出しました。若いお母さんだった頃

2006-04-11 08:06:06 | 子育ての周辺
音痴の母親だけれど、その後何度口ずさんだだろう。

♪ マリアさまーおめでとうー イエスさまがおうまれなさいます
  赤ちゃんイエスさまがー おうまれなさいますー ♪

歌詞は受胎告知そのもの。とするとあの時、うちの娘は聖天使ガブリエルだったのだ…
なんて、思ったりして。
勿論、マリア様や羊飼い役をやった子供達の親達も同じように、みんな回想はなさっているだろう。
写真はない。
牧師さんである園長先生は「聖劇です。催し物ではないので、カメラ撮影はご遠慮願います」の一言があったから。
そういえば、秋の運動会の開会式で、「小さな子供達にとっては、運動会は今日一日だけのことでなく、練習をやっていた期間も含めて、1か月間が運動会でした。そういう日々を通して今日を迎えているという目で子供らを見てやってください」と。

彼女の入園が私のPTAデビューです。はじめて「父母会」なんて文字を目にすると、「イヤダ―、なんか老けた感じする…」なんて、心中でそんな気持ちが湧いたりした、まだ若かりし頃です。
はじめて出会った我が子の先生がこの園長先生。素敵な園長先生でした。

さて入学式シーズンです。

〈カメラの放列。我が子の一挙一投足を撮ろうと、場所取りも怠れない。〉

今日の日経朝刊一面、『ネットと文明』の書き出しです。
そして、掲載写真はカメラを構えた父母の姿。
…だろうな、と思う。
振り返ってみると、カメラに撮っていなくても、結構思い出せるものです。というか、子育て中何度も思い出しているので、沁みこんでいるのでしょう。
「本当は子供達の姿を肉眼でしっかり見て欲しい」。と記事の中でも園長さんの弁が語られています。
ー自分の頭に頼らず、外付け脳を駆使する流儀ーという表現、脳の外注なのでしょうか。
回想すること、思考することは、手放したくないものです。
ああ、見出し文字に
 『ヒトの知、進化か退廃か』・『脳は借り物?』
と、警鐘に聞こえる言い回しが並んでいます。
ヒトとカタカナで書くときは、生物としての表現でしたよね。

「ちょっとしたことで何十年も前を回想できる素敵な脳をもっているのが、ヒトです」と言い張りたい(笑い)。




コメント (3)
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