日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

映画「ウィズ・ユー」を見る。そして雑感。

2006-04-10 07:11:05 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
1997年製作のアメリカ映画。
場面は60年代後半のアメリカの片田舎。そこでモーテルを経営している母子の話。
母はアル中、姉は男性関係にご執心。そんな中で10歳の少女ハリエットは、、母とも姉とも共有しない沸々と育つ感性の持ち主。
移動中の親子がモーテルに泊まることになって、その子である知的障害のある青年リッキ―との交流がこの映画の中核。
その日暮らしの毎日を送っている母と姉からとは別の自分の世界をもっているハリエットの目の前に現れた、リッキ―は新鮮な友人だった。
ストイックな母親のもとに障害者であることを自覚しているリッキ―は自信なげで内向き。
今の暮らしが続いていると出会うことがないであろう広い世界、束縛のない世界へと、ハリエットはリッキ―を相手に夢を膨らます。

きっと、知的障害者の青年と10歳の少女だから、現代社会だったら「ブー」と警笛なるでしょうね。勿論この映画でも、ハリエットの姉もリッキ―の母親も、黄信号、いいえ赤信号を発しています。
それでも、ハリエットの心の風向きは変わりません。この映画制作者の体験なのでしょうか。かつては日本でも噂されながらも町に障害者の人が一緒に暮らしていて、いろんな人がいることを知って人は育ったのですが、「不審者扱い」の精度があがっているから、ごちゃ混ぜの中で育つ、という「場」が失われている気がします。

昨日の日経新聞では、1年生から塾は必要かとの記事がありました。4年生から通塾は一般的と。
学校教育、その後の通塾と、日本では子供も空き時間が極めて少ない。10歳ころの子供の感受性が育つ時期に、感受性君はどう芽をのばしたらいいか、困っていると思いませんか。
考えてみれば、学校教育も塾も教育の外注です。外注は専門家がやってくれるので、確かに効率はいいのでしょう。でも朝、昼、晩と外注弁当食べていたら、食べるということに興味を失ってしまうように、子供らも教育を受けることに興味を減じるのではないでしょうか。減じなくても本当の教育・育つということを勘違いして理解しそうな気がします。
ハリエットの体験は周囲がハラハラドキドキさせたでしょう。でこぼこ道を乗り越えた様々な体験を抱えて、人を理解する深さが育つ筈だと思いたい。
コメント
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