日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

本棚の詩集から

2005-07-15 22:34:22 | 
好きな詩のひとつ
「自分の感受性くらい」 1975年 茨木のり子

ぱさぱさに乾いていく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛たつのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ

大岡信さんが朝日新聞の1面の小さなコラムで毎朝詩歌を紹介しておられた。そこで紹介された詩のひとつ。古事記・万葉から現代の同人歌集まで大岡さんの守備範囲は広い(今はコラム休載中)。
コラム愛好者だったので、大岡さんの再登場待っているものの一人です。
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ロンドン・キングスクロス駅

2005-07-15 07:45:34 | 社会問題
連日この呼び名がニュースで出てくる。
1年半前にロンドンで泊まったホテルがキングスクロス駅まで歩いて5~6分のところだった。2月の朝ひんやりとした中を、少しでもいっぱいこの都会を見て回りたいと駅に急いだものだった。
長距離列車のターミナル駅と地下鉄駅が隣接しており、地下鉄利用のつもりが間違って行ったり来たり…。
初乗りから2ユーロ(1日乗車券や割引回数券もある)で、これでは家族で出かけるのは大変だなと思う一方、博物館、科学館など公の観覧料はブレア政権になってからは無料になったという。
名所の国会議事堂。議事堂前の道路の歩道側には、議事堂に向かって何枚ものイラク派兵反対のプラカード。ブッシュ大統領やブレア首相の似顔絵や写真も。がっしりとした建物と町並みには、力適わない風情であったけれど、そんな形で意思表示したい人の場所が受け容れられているのだと思った。
その町で1週間前テロが起こった。
ブレア首相がロンドンサミットを中座して行った記者会見では160万人のイスラム教徒がイギリスで秩序を守り暮らしており、事件と一般のイスラム教徒とは異なるのだというメッセージを述べたのに、判ってきたのは、郊外の町に暮らしていたパキスタン系イギリス人が3人、残る一人捜査中という現実。
重い課題が立ちふさがってくる。アメリカと一緒にイラクに派兵したイギリス。あの議事堂前のプラカード群は今どうなっているだろうか。イラクの市民たちが暮らしていた町に派兵してしまつたから、テロにおびえる街になってしまった。やり直しは出来ないから、よりよい最善を考えるしかないのだろうけれど。
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ソマリアの記事から 

2005-07-13 07:25:36 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
旅先のホテルではいつもと違う新聞を読むことにしている。
土曜日に手にした毎日新聞の記事から。
西アフリカに位置するソマリアは1990年頃から内戦が絶えない。子供たちは幼くして組織に組み込まれ、銃を手に部族の一員として通行料としての金品要求をすることを覚えるという。
就学率は10パーセント台。都市部の生活に比較的余裕のある家庭の子供しか学校に通っていないという。勿論途中で来なくなる子供も多い。
その国ソマリアに、これでは基本的な秩序や考え方を身に付けた人のいない国になってしまうと憂慮した元教師らが学校を作ったという。
その学校に通うには小額の費用負担が必要で、そのために続かない子もいることが残念だという。
10年程前にソマリア出身のスーパーモデルが性器切除の風俗廃止を訴えるために書いた本「砂漠の女ディリ-」「砂漠に帰ったディリ-」を読んだことはある。その本にも内戦状態の荒れた国情が書かれていたけれど、その状態がずっと続いていて内戦状態が生まれてからずっと続いている子供達。
これから育つ子供たちが、物事についての秩序の大切さを語り、読み書きを習得できれば次の成長が望めるのでとは思うひとのいることが微かな明かり。
「金(きん)は何処にあっても金」という中国の諺があるという。
その先生達は、不遇なソマリアの「金」なんだろうな。そして、これからの子供達に内戦の惨状ばかりではない、秩序の大切さを伝えよう、育てようとしている先生達の思いが途絶えることなく続いていってほしいものだと、新聞を読みながら思った。
(※)「金」は「ゴールド」であって、「お金」と読み間違えないで下さいね。
子供はまっさらで生を受け、3年5年と知恵を覚え、知識を得るのに、生まれた国でなんと違うことか。
   
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休憩 ①

2005-07-09 07:44:24 | 私の雑感あれこれ
大きく取り込めませんでした。クリックすると少しは大きくなるのですが。
もうひとつのブログ「私のスケッチ帖」だと、大きくなるので、そちらにもピンチヒッターになってもらいました。
お付き合いいただけるなら、左欄のブックマークの「私のスケッチ帖」をクリックしてみてください。
コメント (4)
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休憩 ②

2005-07-09 07:42:08 | 私の雑感あれこれ

どう見ても小さすぎ、虫眼鏡が必要ですよね。
熟練していないものですから、上手く行きません。
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余談・雑談

2005-07-09 07:37:44 | 私の雑感あれこれ
「魯迅はね、お医者さんになるために日本に留学していたのだけど、お医者さんになって自分のところに来た人を助けるよりも、もっと多くの人のためになることをやるべきだと考えて、本を書いて訴えようとしたんだって」と娘が、国語で教わったばかりの話をしてくれた。
そして、彼女は続ける。
「みんなに伝えたいんだったらジャンプに書いたらすごいよね。400万人の人が見るんだもの」と娘。
注)漫画雑誌ジャンプはその頃、販売部数が400万部を越えていた。
「…、…、そうなんだ」と私。
さすが、漫画家の卵のつもりの発想。
漫画には全然詳しくないから、物言える立場ではないけれど、宮崎駿さんのアニメは国境を越えて感動を与えているし、日本の漫画・アニメという分野の財産は文化的だけではなく経済的にも相当大きいものがあるとも聞きます。
伝えたいことがあって、伝えたい人がいて、いつの時代にも繰り返されてきたのでしょうが、ブログという手段が出来て、こんなことも出来ることに感謝です。
巣立っていった娘の引き出しにあった紙片1枚。
ペンネームから察すると小学生時代とも見受けられますが…。(無断掲載です。ゴメン)
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朝刊44444号

2005-07-08 16:24:16 | その他
朝日新聞朝刊声欄の中の「かたえくぼ」に「1面欄外見てください』ひま人とある。
そうか、4が五つ並んでいる。
早速、計算機を取り出し割ってみる。
そう、365で。
121.76…となる。
発刊から122年目。
ご指摘くださったひま人、いつごろから今日をカウントダウンしておられたのだろう。
昨日は17年7月7日。ちょぴり心に残る日だったけれど、
さて、44444を目にした今日はただとおりすぎていくだけかしら。
なかなか次のぞろ目にはお目にかかれないから、朝日新聞でお暇な方はどうぞ。
まったく、とりとめもない話題です。

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ロンドンでサミットが開かれるという・・・。

2005-07-07 16:19:00 | 社会問題
昨日書いたブログのこともあり、今朝松井やよりさんの本を探しだし、ぱらぱらとめくってみました。読んだのは24年前。写真もふんだんにあり、中国の変わりように驚きます。
ブログの仲間にこの本を読んだ方はいらっしゃるだろうか。私にとっては心に残っている本の一冊です。
その本のはじめに、(以下 3行、「人民の沈黙」引用)
-略-
学生時代に留学したアメリカとヨーロッパで、西欧文明がアジアやアフリカの民衆の血と涙の上に築かれたことを、同じ有色人種として、いやというほど思い知らされ、さらに、「西欧の没落」にとって代わる新しい文明を築くのかと期待を寄せた社会主義の祖国ソ連の現実に幻滅し…
-略-
彼女の世界観にこの留学体験が大きな影響をもったのでしょう。個別のことはともかくとして、この西欧の華やかな文明はこの苦痛の下支えによってあったと記されていたことについては、これまでにいく度となく私の脳裏を去来してしてきました(そう、大英博物館もアフリカや中近東の遺品でいっぱいです)。そう、日本は搾取された経験はないけれども、アジアの仲間であり、アジア人です。
先日NHKのクローズアップ現代でサハラ砂漠以南(映像はザンビアだったと思う)の貧困情況を語っていました。辺りに緑はあるのに、自給用作物を栽培するには不適だといって、換金作物のコーヒーなどを栽培していました。最近は競争が厳しく手にする現金は少なくなるばかりだとか。食べるものに事欠くのに、かつての植民地時代に覚えた換金食物を作ること、というのはなんと切ない。
更に遡れば自給していた時代があったろうに…。
今ロンドンでアフリカの貧困問題を考えるサミットが開かれるという。資金援助の多寡を云々して、機械や自動車を送ってきたという愚を廃して、是非自給自足への道筋を優先と願いたい。
技術者が去ると機械は捨て置かれ、自動車は少しの故障で用をなさなくなるとテレビでも伝えていた。血と涙を流させた側の責任として、アフリカの人たちの大人もも子供も少しでも明日を考えられる道筋を作るための会議であって欲しい。
文明を謳歌している人達の一方で、支える側に回らざるを得ない人達、置き去りにされてしまっている人達がいることをと、そのことをこころのどこかに忘れないようにしたいとは思っているのですが…。
コメント (2)
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北京に「文化大革命博物館」ができたという。

2005-07-06 13:24:33 | 社会問題
民間有志が中心となって「文化大革命博物館」ができたと6日の朝日新聞が伝えている。
毛沢東が亡くなったのは1976年。
その後少しずつ映画や書物で見聞きしてきたけれど、中国国内では何処までを、どのようにして語られているのか、問うこともなく現在交流が盛んに行なわれている。そんな折、博物館ができたという記事は時の流れを感じた。
フォン・チーツァイさんの文革体験談から…「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」とある。隔世の感があると思う人は多いに違いない。
私が現代中国事情の本を読んだのは松井やよりさんの「人民の沈黙-私の中国記-」という本だった。1年間の北京滞在中の体験が書かれていた。読んだのは81年頃。まだ壁新聞が伝達手段の中国(規制が徹底していたわけだけれど、今のインターネット時代育った若者には想像もできないでしょうね)。行き交う人々が無表情で新聞記者の彼女(夫の赴任の機会を利用して1年休職して語学学校に通った)が中国滞在を機会に中国を知ろうとするけれど、街に暮らす人々からは何も声が伝わってこないと…。
そして、紅衛兵世代のユン・チゥアンさんの「ワイルドスワン」で、文化大革命の実際が伝わってきたのが10余年前。その頃は中国内ではまだ出版されていないと聞いたのだけれど、今はどうなっているのか…。庭に花を植えることも走資派ととがめられ、粗末な衣服を纏うことが賛美されたという。後になって、女性のスカートが認められたとかパーマが許可となったとニュースで聞いた覚えがある。
文化大革命を体験した世代がまだ生きている今、冷静に歴史として語ることができるのは全く価値の大きいことだと思います。ここまで来たことに、そして前述の「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」という声が聞こえるようななったことに、学ぶところが多いとおもいます。
松井やよりさん(02年68歳で没)がお聞きになったら、さぞ感慨深いだろうなと、ふと思ったりした。

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「保険金支払い1000件怠る」というニュース

2005-07-06 07:17:27 | 社会問題
明治安田生命の話から。
保険会社が保険金を支払わないと保険会社ではないのでは…なんて、事故が発生した当事者にとっては冗談は言っていられないでしょう。
だけど、考えてみてください。会社を高収益に持っていきたい、あるいは、手元不如意だったら払いたくないというのが本音だと思いませんか。本音を実行しただけのことでしょう。
「保険」というのは、万一の事故が起こったときに手当てをしたいがために加入するものです。だから事故が起こらないときは、安心料だったとして加入者側の出損になるのが基本的な仕組みだと理解しています。
出損はあったけど、自分は無事だった、健康だったから幸いしたと考えるのです。
そのしくみを管理する大元が保険会社であり、その管理のための経費分も加入者が負担することになるのは了解事項です。
そこで思うのです。このしくみを管理する会社が羽振りよく大きなビルを持ち、高給を支払う仕組みを何十年も継続してきたのは、どうなのでしょう(保険会社は信用が大事だし、大きい会社だから当然と思う人が多いでしょうね。ちょっと前までは就職人気業種だったでしょうし…)。
本来、「保険」は事故がなく経過した時は安心料の出損はあるべきなのに、掛け捨ては損だから、途中で、満期にはと、まとまったお金を支払うシステムにして販売しているのが多数です。昨今のテレビコマーシャルを見ていると、「お得」「お得」と連呼しています。
保険の中に積み立て貯金の性格のお金が合わさっているから、出損の部分を伝えることを控えているのです。保険会社は加入者から沢山の資金を預かりたいのです。多くのお金を運用したほうが収益が上がるからです。そして、事故が起こったときは、決まりだから支払いますが、本音は出来るだけ保険金は支払いたくないのです。
じゃあ、どんどん保険金を支払う保険会社がいいかというと、支払金が多くなるということは加入者への配当金も少なくなるということです。健康な加入者にとっては多の加入者への支払金が少ないほうがいいはずです。立場が違うと反対になるのです。
そうです。結局は適正に運用されことが一番の関心事であるべきなのです。保険会社が一等地に大きなビルを持っているとか、高給を支払っているとかで一流のイメージを持っている人が多いと思いますけれど、「保険」という仕組みは、危険負担を避けるために。「無尽講」が発展したものだと考えるのですが、どうでしょう。
追記 今日の朝日朝刊の社説では「建物の次に大きな買い物」と言う書き方がなされていたけれど、それは既に「保険」ではなく、積立金の約束というか、資金運用のお任せ先という問題になると思うのですが…。
コメント (2)
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