昨日書いたブログのこともあり、今朝松井やよりさんの本を探しだし、ぱらぱらとめくってみました。読んだのは24年前。写真もふんだんにあり、中国の変わりように驚きます。
ブログの仲間にこの本を読んだ方はいらっしゃるだろうか。私にとっては心に残っている本の一冊です。
その本のはじめに、(以下 3行、「人民の沈黙」引用)
-略-
学生時代に留学したアメリカとヨーロッパで、西欧文明がアジアやアフリカの民衆の血と涙の上に築かれたことを、同じ有色人種として、いやというほど思い知らされ、さらに、「西欧の没落」にとって代わる新しい文明を築くのかと期待を寄せた社会主義の祖国ソ連の現実に幻滅し…
-略-
彼女の世界観にこの留学体験が大きな影響をもったのでしょう。個別のことはともかくとして、この西欧の華やかな文明はこの苦痛の下支えによってあったと記されていたことについては、これまでにいく度となく私の脳裏を去来してしてきました(そう、大英博物館もアフリカや中近東の遺品でいっぱいです)。そう、日本は搾取された経験はないけれども、アジアの仲間であり、アジア人です。
先日NHKのクローズアップ現代でサハラ砂漠以南(映像はザンビアだったと思う)の貧困情況を語っていました。辺りに緑はあるのに、自給用作物を栽培するには不適だといって、換金作物のコーヒーなどを栽培していました。最近は競争が厳しく手にする現金は少なくなるばかりだとか。食べるものに事欠くのに、かつての植民地時代に覚えた換金食物を作ること、というのはなんと切ない。
更に遡れば自給していた時代があったろうに…。
今ロンドンでアフリカの貧困問題を考えるサミットが開かれるという。資金援助の多寡を云々して、機械や自動車を送ってきたという愚を廃して、是非自給自足への道筋を優先と願いたい。
技術者が去ると機械は捨て置かれ、自動車は少しの故障で用をなさなくなるとテレビでも伝えていた。血と涙を流させた側の責任として、アフリカの人たちの大人もも子供も少しでも明日を考えられる道筋を作るための会議であって欲しい。
文明を謳歌している人達の一方で、支える側に回らざるを得ない人達、置き去りにされてしまっている人達がいることをと、そのことをこころのどこかに忘れないようにしたいとは思っているのですが…。
ブログの仲間にこの本を読んだ方はいらっしゃるだろうか。私にとっては心に残っている本の一冊です。
その本のはじめに、(以下 3行、「人民の沈黙」引用)
-略-
学生時代に留学したアメリカとヨーロッパで、西欧文明がアジアやアフリカの民衆の血と涙の上に築かれたことを、同じ有色人種として、いやというほど思い知らされ、さらに、「西欧の没落」にとって代わる新しい文明を築くのかと期待を寄せた社会主義の祖国ソ連の現実に幻滅し…
-略-
彼女の世界観にこの留学体験が大きな影響をもったのでしょう。個別のことはともかくとして、この西欧の華やかな文明はこの苦痛の下支えによってあったと記されていたことについては、これまでにいく度となく私の脳裏を去来してしてきました(そう、大英博物館もアフリカや中近東の遺品でいっぱいです)。そう、日本は搾取された経験はないけれども、アジアの仲間であり、アジア人です。
先日NHKのクローズアップ現代でサハラ砂漠以南(映像はザンビアだったと思う)の貧困情況を語っていました。辺りに緑はあるのに、自給用作物を栽培するには不適だといって、換金作物のコーヒーなどを栽培していました。最近は競争が厳しく手にする現金は少なくなるばかりだとか。食べるものに事欠くのに、かつての植民地時代に覚えた換金食物を作ること、というのはなんと切ない。
更に遡れば自給していた時代があったろうに…。
今ロンドンでアフリカの貧困問題を考えるサミットが開かれるという。資金援助の多寡を云々して、機械や自動車を送ってきたという愚を廃して、是非自給自足への道筋を優先と願いたい。
技術者が去ると機械は捨て置かれ、自動車は少しの故障で用をなさなくなるとテレビでも伝えていた。血と涙を流させた側の責任として、アフリカの人たちの大人もも子供も少しでも明日を考えられる道筋を作るための会議であって欲しい。
文明を謳歌している人達の一方で、支える側に回らざるを得ない人達、置き去りにされてしまっている人達がいることをと、そのことをこころのどこかに忘れないようにしたいとは思っているのですが…。