日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

北京に「文化大革命博物館」ができたという。

2005-07-06 13:24:33 | 社会問題
民間有志が中心となって「文化大革命博物館」ができたと6日の朝日新聞が伝えている。
毛沢東が亡くなったのは1976年。
その後少しずつ映画や書物で見聞きしてきたけれど、中国国内では何処までを、どのようにして語られているのか、問うこともなく現在交流が盛んに行なわれている。そんな折、博物館ができたという記事は時の流れを感じた。
フォン・チーツァイさんの文革体験談から…「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」とある。隔世の感があると思う人は多いに違いない。
私が現代中国事情の本を読んだのは松井やよりさんの「人民の沈黙-私の中国記-」という本だった。1年間の北京滞在中の体験が書かれていた。読んだのは81年頃。まだ壁新聞が伝達手段の中国(規制が徹底していたわけだけれど、今のインターネット時代育った若者には想像もできないでしょうね)。行き交う人々が無表情で新聞記者の彼女(夫の赴任の機会を利用して1年休職して語学学校に通った)が中国滞在を機会に中国を知ろうとするけれど、街に暮らす人々からは何も声が伝わってこないと…。
そして、紅衛兵世代のユン・チゥアンさんの「ワイルドスワン」で、文化大革命の実際が伝わってきたのが10余年前。その頃は中国内ではまだ出版されていないと聞いたのだけれど、今はどうなっているのか…。庭に花を植えることも走資派ととがめられ、粗末な衣服を纏うことが賛美されたという。後になって、女性のスカートが認められたとかパーマが許可となったとニュースで聞いた覚えがある。
文化大革命を体験した世代がまだ生きている今、冷静に歴史として語ることができるのは全く価値の大きいことだと思います。ここまで来たことに、そして前述の「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」という声が聞こえるようななったことに、学ぶところが多いとおもいます。
松井やよりさん(02年68歳で没)がお聞きになったら、さぞ感慨深いだろうなと、ふと思ったりした。

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「保険金支払い1000件怠る」というニュース

2005-07-06 07:17:27 | 社会問題
明治安田生命の話から。
保険会社が保険金を支払わないと保険会社ではないのでは…なんて、事故が発生した当事者にとっては冗談は言っていられないでしょう。
だけど、考えてみてください。会社を高収益に持っていきたい、あるいは、手元不如意だったら払いたくないというのが本音だと思いませんか。本音を実行しただけのことでしょう。
「保険」というのは、万一の事故が起こったときに手当てをしたいがために加入するものです。だから事故が起こらないときは、安心料だったとして加入者側の出損になるのが基本的な仕組みだと理解しています。
出損はあったけど、自分は無事だった、健康だったから幸いしたと考えるのです。
そのしくみを管理する大元が保険会社であり、その管理のための経費分も加入者が負担することになるのは了解事項です。
そこで思うのです。このしくみを管理する会社が羽振りよく大きなビルを持ち、高給を支払う仕組みを何十年も継続してきたのは、どうなのでしょう(保険会社は信用が大事だし、大きい会社だから当然と思う人が多いでしょうね。ちょっと前までは就職人気業種だったでしょうし…)。
本来、「保険」は事故がなく経過した時は安心料の出損はあるべきなのに、掛け捨ては損だから、途中で、満期にはと、まとまったお金を支払うシステムにして販売しているのが多数です。昨今のテレビコマーシャルを見ていると、「お得」「お得」と連呼しています。
保険の中に積み立て貯金の性格のお金が合わさっているから、出損の部分を伝えることを控えているのです。保険会社は加入者から沢山の資金を預かりたいのです。多くのお金を運用したほうが収益が上がるからです。そして、事故が起こったときは、決まりだから支払いますが、本音は出来るだけ保険金は支払いたくないのです。
じゃあ、どんどん保険金を支払う保険会社がいいかというと、支払金が多くなるということは加入者への配当金も少なくなるということです。健康な加入者にとっては多の加入者への支払金が少ないほうがいいはずです。立場が違うと反対になるのです。
そうです。結局は適正に運用されことが一番の関心事であるべきなのです。保険会社が一等地に大きなビルを持っているとか、高給を支払っているとかで一流のイメージを持っている人が多いと思いますけれど、「保険」という仕組みは、危険負担を避けるために。「無尽講」が発展したものだと考えるのですが、どうでしょう。
追記 今日の朝日朝刊の社説では「建物の次に大きな買い物」と言う書き方がなされていたけれど、それは既に「保険」ではなく、積立金の約束というか、資金運用のお任せ先という問題になると思うのですが…。
コメント (2)
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郵政民営化法案が衆議院を通って・・・

2005-07-06 06:26:20 | 社会問題
連日ニュースになっていますが、議員さんの喧喧諤諤のコメントは聞いても、周囲の話題にのぼることはありません。通らないと解散だとか云々されているらしいですが、それは「先生たち」の話で…、と言ったところでしょうか。
何しろ歳出がオーバーなこの国を何とかしないとなせらないのならば「小さな政府」と考える私は、保険も、貯蓄も同様な機能の民間業種が沢山運営されているのだから、その中で競争していって欲しい。と思っている人です。
経営者(特定郵便局)の殆どが世襲のような形で引き継がれている郵便局が、利益があっても課税されないという立ち居地にあることが不自然です。
保険と貯金の分離と言われていますが、現在も管理はしっかりと縦割りで分離しています。例えば解約を申し出るにしても、宛先がまったく異なり2箇所に手続きをします。
少し前になりますが、郵便局長さんの奥さんたちが国会前でデモをしておられましたね。「民営化は困る」と。それは困ると思います、私も夫が郵便局長だったら困るというでしょう。生活が脅かされるのですから。代議士さんたちが困るというのも、この奥さんたちとパラレルなのではないでしょうか。組織票に支えられているから。
民営化で不便になる過疎の村に限って対策をすること手当てすることに留めたほうが、課税無しの銀行事業、保険事業を残しておくより身軽になるとおもうのだけれど。
歳出過多の国のことより、直接の利益につながる人たちの声に左右されるようで、またか…と、思ってしまいます。
辛うじて衆議院は通過したのですが、参議院ではどうなりますことやら。


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