民間有志が中心となって「文化大革命博物館」ができたと6日の朝日新聞が伝えている。
毛沢東が亡くなったのは1976年。
その後少しずつ映画や書物で見聞きしてきたけれど、中国国内では何処までを、どのようにして語られているのか、問うこともなく現在交流が盛んに行なわれている。そんな折、博物館ができたという記事は時の流れを感じた。
フォン・チーツァイさんの文革体験談から…「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」とある。隔世の感があると思う人は多いに違いない。
私が現代中国事情の本を読んだのは松井やよりさんの「人民の沈黙-私の中国記-」という本だった。1年間の北京滞在中の体験が書かれていた。読んだのは81年頃。まだ壁新聞が伝達手段の中国(規制が徹底していたわけだけれど、今のインターネット時代育った若者には想像もできないでしょうね)。行き交う人々が無表情で新聞記者の彼女(夫の赴任の機会を利用して1年休職して語学学校に通った)が中国滞在を機会に中国を知ろうとするけれど、街に暮らす人々からは何も声が伝わってこないと…。
そして、紅衛兵世代のユン・チゥアンさんの「ワイルドスワン」で、文化大革命の実際が伝わってきたのが10余年前。その頃は中国内ではまだ出版されていないと聞いたのだけれど、今はどうなっているのか…。庭に花を植えることも走資派ととがめられ、粗末な衣服を纏うことが賛美されたという。後になって、女性のスカートが認められたとかパーマが許可となったとニュースで聞いた覚えがある。
文化大革命を体験した世代がまだ生きている今、冷静に歴史として語ることができるのは全く価値の大きいことだと思います。ここまで来たことに、そして前述の「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」という声が聞こえるようななったことに、学ぶところが多いとおもいます。
松井やよりさん(02年68歳で没)がお聞きになったら、さぞ感慨深いだろうなと、ふと思ったりした。
毛沢東が亡くなったのは1976年。
その後少しずつ映画や書物で見聞きしてきたけれど、中国国内では何処までを、どのようにして語られているのか、問うこともなく現在交流が盛んに行なわれている。そんな折、博物館ができたという記事は時の流れを感じた。
フォン・チーツァイさんの文革体験談から…「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」とある。隔世の感があると思う人は多いに違いない。
私が現代中国事情の本を読んだのは松井やよりさんの「人民の沈黙-私の中国記-」という本だった。1年間の北京滞在中の体験が書かれていた。読んだのは81年頃。まだ壁新聞が伝達手段の中国(規制が徹底していたわけだけれど、今のインターネット時代育った若者には想像もできないでしょうね)。行き交う人々が無表情で新聞記者の彼女(夫の赴任の機会を利用して1年休職して語学学校に通った)が中国滞在を機会に中国を知ろうとするけれど、街に暮らす人々からは何も声が伝わってこないと…。
そして、紅衛兵世代のユン・チゥアンさんの「ワイルドスワン」で、文化大革命の実際が伝わってきたのが10余年前。その頃は中国内ではまだ出版されていないと聞いたのだけれど、今はどうなっているのか…。庭に花を植えることも走資派ととがめられ、粗末な衣服を纏うことが賛美されたという。後になって、女性のスカートが認められたとかパーマが許可となったとニュースで聞いた覚えがある。
文化大革命を体験した世代がまだ生きている今、冷静に歴史として語ることができるのは全く価値の大きいことだと思います。ここまで来たことに、そして前述の「人は前の世代に責任を負えないが、次の世代には責任を負わなければならない。賢明な政治家なら政治と歴史を一緒にしてはならない」という声が聞こえるようななったことに、学ぶところが多いとおもいます。
松井やよりさん(02年68歳で没)がお聞きになったら、さぞ感慨深いだろうなと、ふと思ったりした。