日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

土曜日の映画と講演会

2005-07-04 07:14:11 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
もう一度書いてもいいですか。
講演会の司会とは、企画者側とはこういうものかと心に引きずったから…。
赤松さんはさっぱりと、初期の均等法を「みにくいあひるの子」後に白鳥に育てたらいい…と、映画についても、観ていいと思うかどうかはご自由ですよ、と言葉を添えられる。
個人の人格を尊重しようとするスタンスであるから出てくる自信であり、すがすがしさなのでしょう。
講演の前にあった女性司会者は、赤松さんの功績や役職を称え続ける司会振り。公務員女性としてフロンティア的にご尽力なさった旗手だなと思ったりするのは、仕事内容を知ることにより一人一人が判断することなのに…。
赤松さんが、「よいと思うのも、思わないのもご自分で…」という言葉をごく自然に添えられるのは彼女の見識だと思います。
そのスタンスにおおらかさを感じだけれど、講演を聴きにきた聴衆はみんな赤松さんの賛同者という司会者の勧め方は、大学の先生(?)と辛口に感じでしまいました。
私も、人間小さいものだからすぐ押し付けるの得意な部類ですが、大学の先生にも…と思いました。
代議士と役人(公務員)と国民の関係は三竦み(さんすくみ)と言われます。
代議士は役人には強いけれど、選挙民(国民)には弱い。役人は国民には強いけど、代議士には弱い。(選挙があるから)国民は代議士には強いけど、役人には弱い。
大学の先生は聴衆に強い(笑い?)。
そして大学の先生は元文部大臣には弱い(冗談きついかな。きっと、赤松さんの話を身近で聞くともっと魅力的だと感じる女性であり、その先生はそこのところを上手く伝えられなくて、偉い方、立派な方という言い方になったのでしょうね)。
司会者が持ち上げすぎるほど持ち上げておいたほうが、講演者が謙虚に自己紹介できるというテクニックなのかしら。久しぶりの講演会だったから、私が聴衆として不慣れなだけかな。偉い人、立派な人と押し付けられるのではなく自分で判断したいひともいるのに…。
コメント (4)
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