日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

伊坂幸太郎の小説「魔王」を読む

2006-03-15 08:21:49 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
「多分、君が好きそうだ」と手渡されて、初めてこの作者を知った。
読み始めて、すぐ「うん、そうだ」とうなずいている自分がいた。
わたしがブツブツ普段口にしている話題にチョコッと絡んでいるし、なにしろこの主人公
窮地に陥ると『考えろ、考えろ』って、自分にいうアメリカのテレビドラマ「冒険野郎マクガイバー(※)」の話を持ち出して、小さい頃からずっと今も「考察するの好き」というところに幾分の親近感を持ったりして。

(※)このドラマは知らなかったのですが、数ヶ月前ケーブルテレビでやっていたので、数本観たところです。それにしてもマクガイバーはよく考え、数十分後には必ずピンチを切り抜けるから笑っちゃいます。

実は2編にわかれていて、後編は前編の弟夫婦の話になるのだけれど、こっちも、まぁなんというか、性に合っている。
イタリアの独裁者ムッソリーニが最後は恋人と一緒に銃殺されて、群集は罵倒し唾をかけたと。そして二人が市中に逆に吊るされてた時、恋人クラレッタのスカートがめくれたと。
 群集は下着丸見えの姿に大喜びだったという。
「…ただその中にね、ひとり、ブーイングされながら梯子に昇って、スカートを戻して自分のベルトで縛って、スカートをめくれないようにしてあげた人がいたんだって…」
そして、後日、再び、夫婦の会話
「梯子を昇った人、勇気あるよね」
「興奮する群集に殺されてもおかしくなかったと思うんだ」
さて、自分がその場にいたら、
「自分のやりたいことをやりたいと思うんだ」
「スカートを直すってこと?」
ののしり唾を吐く群衆の中で、自分はどういう行動をと考える。
後編の弟夫婦の会話です。

この作者が書く登場人物の硬さ加減がタイプだと感じたのでしょうね。

数年前から「本屋さんが進める本の大賞」とやらができたそうです。
先日の新聞に、この1冊もノミネートされていました。
読んでいる人多いんですね。
この「硬さ加減」って、メジャーなんでしょうか。

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映画「雨あがる」を観る。

2006-03-14 08:06:47 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
昨日テレビで。
山本周五郎原作。黒澤明脚本。小泉尭監督の作品。小泉監督は黒澤監督のもとで長らく助監督をなさっていたとか。
映画監督黒澤明さんについては世界的に有名という外側のイメージが先に入ってきて、実は殆ど知らない。はじめて見たのは「どですかでん」、そして志村喬の「生きる」、村田喜代子の小説を映画化した「8月のラブソディ(?)」。
だから、世にいわれている名作は知らない。
さて昨日観た「雨あがる」
イントロの風景描写はきれいです。驟雨で川止めになった風景の見事な画面配置。
川べりの宿で雨があがるのを待つ浪人夫婦と同宿の人々。
通りがかりの果し合いを止めるところを殿様が見たことから、剣の腕を見込まれ指南役の候補に登る。
浪人なりに期待して待ってはいたものの、結局は破談。
その理由を告げられたとき、浪人の妻が殿の使者にきっぱり言う。「なにをしたか」よりも「なんのためにしたか」が大切であることが、今よくわかりましたと。
この台詞のために、黒澤明監督はこの話を映画にしたかったんだと思った。
世渡りの不得手な夫に不満をためていた妻であったけれど、夫が不採用になった原因の賭け試合が「なんのためにしたか」得心し、夫の不採用を潔く受け止め、雨があがり、夫婦で次の旅路にでる。
使者の付き人が殿にその妻の言を伝え、殿は浪人を迎え入れようと追っ手を出すところで幕。
殿様の台詞、棒読みっぽかったのだけれど、心根が魅力的だから○。
権之丞(寅さんのひろしの息子役、黒板五郎の息子純役の俳優)、ひょこっとしていて暖かい。ちゃんと殿様に注進するんだから。
いい映画でした。
黒澤さんは既に大御所だったのでしょうけれど、日の当らないところへの、こまやかな思いを80代で作品したいと考え、実行されるエネルギーの深さに敬意をいだきます。

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幼稚園の頃 こんな1ページ

2006-03-13 07:43:41 | 子育ての周辺
幼稚園のときの話。プール教室の帰り道。
「ボク困っちゃうんだ」
「なにが」
「プールで泳いでいるとき、お母さん、手ふるでしょ。それをみるとボク、うれしくなって顔が笑ってしまうんだ。そしたら、口に水がはいって苦しい…」
「ゴメン、ゴメン。だったら、今度から手ふらないね」
「ううん。振ってくれるとうれしいから、水から上がって待っているときに振っていいんだよ」
「わかった。じゃあ、これからそうするね」
「今日ね、コーチに褒められたよ。コーチが『○○クンに拍手って』っいったの。みんな拍手してたでしょ。あれはコーチがそういったから」
ガラスのこちらからは見えるだけで聞こえなかったけれど、息子にはいい1日だったらしい。

3人の子供全員が巣立って4年になろうとしている。
「子育てしていた頃の感覚、結構忘れちゃったよ」と、夫がポツリ。
ううん、母親は忘れない。きっとずっと忘れない。

去年の梅の季節。
友人と梅林を散策しながら、お互い巣立っていった子のことを語り、「母親って、台所でお茶碗洗っていても、頭は子供のこと考えてるからね」と、笑いあった。

夫の母親もきっとこうして、自分が子育てをした日々を思い出しながら、今暮らしているのだと、実感としてわかる歳になった。

また梅の季節。
希望の学部に合格して、その最良の日の翌日に親子で出かけたあの枝垂れ梅の梅林も次の土日は見ごろかもしれない。






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書評欄のコーナーから

2006-03-12 09:47:17 | その他
「ほら、この部分読んでみて」と、自分が気に入ったところを、周りの人(たいていの場合は家族)に言う癖があリます。
でも、今誰も回りにいないので、ここに。
今日の朝日新聞の読書欄。「著者に会いたい」コーナーから。
『きいろいゾウ』西加奈子さん(28)弁。

-引用ここから-
「9歳ってすごく微妙な年齢やなあって思うんです。親が考えるほど、もう子供じゃない。頭悪くない。例えば両親の気まずい雰囲気を察知してわざとおどける。気付かないふりして調整役になろうとする。そういう9歳の目線を表現したかった」

「私は、身近にいる人を一番大切にしてる人を尊敬します。すごい出来事がおこっても日常に戻ることができれば、あ、大丈夫だなって思う。-略-」

-引用ここまで-

「『尊敬できる人』が好き」なんて日頃ほざく癖がある私ですが、新聞を読みながら、彼女の「尊敬する人」の視点にうなづいている自分に気付きました。私の範疇からこぼれ落ちそうになっていた視点です。ありがとうございます。

あぁ、「そんなことに今ごろ」と言われそうでもあり、聞く耳をもたないことに気付かされ、「頭悪いな」と思った次第です。

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習字の話

2006-03-10 15:31:16 | あの頃(~昭和40年代)
数年前、喫茶店で
友人の話
習字の宿題を父親が手伝って、教室の後ろにクラス全員の習字が張り出された時は嫌だった!
おまけに、「みんなと較べてどうじゃった。先生に褒められただろう」なんて聞くんだもの(プンプン)。
何十年も前のことなのに、彼女は思い出して憤慨していました。

私にも習字の記憶があります。昭和35年の田舎町。
その頃は冬休みが明けて、すぐに書初め大会がありました。
各クラスから3名ほど選ばれて、体育館で一堂に揃って書初めを競うのです。
選ばれてしまったのです。
選ばれた殆どの人は書道教室に通っているので、お手本や練習には心配は要りません。
「習っていないし、どうしよう」と、困った感覚は覚えています。
多分、帰宅して親に愚痴ったのでしょう。
困ってしまった親がこう言ったのを覚えています。
「神主さんなら字が上手だろうから、神主さんに頼んでみようか」
40年以上前の話、なんと素朴な発想。
そのときは、何でそんな、友人でも親戚でもない、普段の付き合いがあるわけでないのに神主さんなら字が上手いなんて…と無性にイライラし(冗談だったかもしれないけれど、私には余裕がなかった)、書初めなんかに選ばれたことを恨みました。

実際は、どうお手本を調達したのかは覚えていないのです。
書初め大会当日、穴があったら入りたいくらいで自信などまったくない私の所に、近所に住む上級生のMちゃんがやってきました。2学年上の6年生だから時間がずれているのか、両手を床について、私の傍で見守っているのです。
顔見知りの下級生を見つけて、子供なりに応援をと言うことなのでしょうね。
私は渋々大会に出ているのに。
いつも賞をとって褒められているMちゃんがスッと傍で見ていてくれる!
こんなことで自信が出るはずはないのですが、ただ卑屈にならなくてもいいのだと、そう言う気持ちになったような気がします。
あの時の体育館の空気は覚えています。

親が十二分に手助けできる環境と、期待できない環境。
要は子供本人のことだから、親の力量がどうであっても、どっちでもいいのです。
でも、その些細なことに、当事者は結構微妙に心を傷つけられたり、悩ませたりすることは、かつてはありました。

喫茶店で彼女話を聞きながら、「私の場合」が頭の中を言ったりきたり。
ほんの些細なことだから誰にも言わずにこの歳まで(夫にはボソッと少し喋ったけど)。
でも、自分が何か役に立てたらという思う動機付けのひとつにはなっています。

もし、どこかで、誰かが、不必要なことでいじけていたら、そっと背を支える人になりたいと、そう言う気持ちはずっとあります。
勿論、自分にできる範囲ですけれども。
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国民年金・厚生年金の話から

2006-03-09 08:05:54 | 社会問題
一元化して欲しいものです。
そして、保障するのはつつましく生活できる程度で結構です。
それ以上を期待するのであれば、各人に任せたらいいと思います。
国民年金の未納者が多いというのは周知の事実。
厚生年金についても、小企業や個人事業者で雇い主負担を負いかねて、一旦厚生年金から脱退し、従業員に国民年金を払ってくれという業者も増えていると聞きます。
数字を明らかにすると、改善困難なのではないでしょうか。
一元化して、小規模(つつましく生活できる程度)にして、できれば税金(例えば消費税)で賄い、年金としての徴収を止める、というのはいかがでしょうか。
豊かな老後を送りたい人は各人で蓄えればいいのです。
「つつましく生活できることの保障」がなされていることが、豊かさのように思われます。
企業に所属せず、転職が多く、所得が不安定で、年金も保険料も自分で納付すべき人たちを多くみています。
失業したりして無収入になり国民年金の夫婦二人分。一旦滞納が始まるとあっという間に高額になり、追加納付と言われても困難です。
回収困難な人に督促等の諸費用をかけ、納付率云々言ってみても始まらないのではないでしょうか。
所得がなく日々の生活すら困難なのに、年金のことまで考えられないのが当然です。
繰り返しますが、小規模(つつましく生活できる程度)にして、できれば税金(例えば消費税)で賄い、年金としての徴収を止める、というのはいかがでしょうか。
一元化といわれています。豊かな暮らし分までを国が面倒をみるのは大変です。
実現可能な、不公平感のない制度にして欲しいものです。

こんな話聞いたことありませんか。
50代半ば、こんな話を耳にします。
「夫が退職したから、収入がないのだけれど私の国民年金を払わなければならない」
3号保険者であることを理解なさっているのでしょう。
以前は、愚痴として
「夫と私の年齢差が大きいから、私が国民年金を払う期間が長くなる(だから大変…)」
と、聞いたこともあります。
最近は愚痴としては聞かないけれど、以前は「あぁ」と思ったものです。

国民保険料二人分の未納が何年もたまっていると嘆くこともなく、呆然としている夫婦もあるのに。(こういう人たちは、税金の未納はないのです。所得税ゼロであることが殆どですから)
でも自動車税を滞納していることはあります。自分の懐から納めるというのは、生活が苦しいと背に腹は変えられぬということだと思います。
最近、自動車税滞納者の自動車を競売にかけるというニュースみました。
「別途納める」「まとまった金額」となると、滞納がどうしても発生するのであれば、使途を特化した消費税がいいと思うのですけれど、いかがでしょう。

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こんな障害者の場合・・・

2006-03-07 07:41:34 | 私の雑感あれこれ
昨日「海を飛ぶ夢」の末尾に少し書きましたが、こんな障害者の場合の施設、ご存知の方ありませんか。
彼はもう少しで20歳になる若者です。
頚椎損傷の度合いが重く、首から下が麻痺。自発呼吸も不完全で、夜間の睡眠時も継続して呼吸器を外したままの状態は無理という状況です。
事故から10ヶ月で今後の治療による快癒の見込みもないからか、現在の病院からは退院を求められているそうです。
制度としては、入院治療すべき他の患者さんのためにベットを空けるべきなのでしょうが、退院後を考えると困っていらっしゃいます。
事故から現在までは、友人は介護のため毎晩病院で寝泊りし、3食を食べさせ、家族の夕食を作るために短時間だけ自宅へ帰る生活をしています。この間夫も心臓病で倒れたこともあり(偶然帰っているときだった)、彼女も体調を崩したこともあります。
自宅に連れて帰えり24時間ひとりで介護するには負担が重過ぎるし、呼吸器をつけなくてはならない状態では素人にはできません。
彼女夫婦は65歳超。障害を負った彼は里子です。
10年ほど里親を続けてきて、ようやく自立できるところまで育ったねと、お祝いのメールを送ったときに飛び込んできた悲報でした。
最重度の障害だと思います(排泄も腸の機能が麻痺しているため自力では不可能)。
看護婦さんが常置している施設があって、週に何日か、交代で介護できればと思うのです。
そういうところがあれば、彼女の心配が少しは和らぐと思って、ここに書きます。
現在名古屋市内の病院に入院中。
名古屋市内、または近隣で、そんな施設ないでしょうか。



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スペイン映画「海を飛ぶ夢」を観る。

2006-03-06 07:50:38 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
BSを録画で。
25歳で頚椎骨折、以降首から下が麻痺。その彼が26年後の今、尊厳死を訴えるという話。
スペインの農村。父と兄夫婦、その息子に囲まれての生活。
身の回りの世話をするのは兄嫁。26年間の年月。映画では家族間ののギクシャクが前面には出てきていない。
本人が尊厳死が認めよと訴えていることが、長年介護してきた家族にとって不本意であることが伝わってくる。父が悲しみ、兄は腹立ち、兄嫁は…。
「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、きっぱりと言い切る。
そして、裁判では、証言にもたった神父がマスコミにコメントし、ラジオから流れる。「彼が尊厳死を願うのは、周囲の人々、家族の愛情に恵まれていないからです…」と。
なんという、無理解、そして言葉の暴力。
そんな中にあっても、尊厳死を願う気持ちは変わらず、「ベットでの26年間、僕の人生には何もいいことはなかった」と、その後も口にする。
自殺を絶対悪とするキリスト教と、命も個人のものだという個人主義思考との対峙がテーマの映画です。
だから日本であれば、よく介護してもらって「ありがとう」的な思考回路、献身的な家族…という運びになりがちなのでしょう。

19歳で頚椎骨折した若者(一年近く経った今も、自発呼吸も不完全な状態だという)の介護に日々を送っている友人が身近にいるから、やっぱり重たい映画でした。
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荒川静香さんのアイスショー

2006-03-05 08:25:34 | 私の雑感あれこれ
昨日、帰国後初めてのアイスショーが…と、テレビが伝えていました。
オリンピックの時と同じ衣装。イナバウアーの場面を数度目にしました。
スポーツであり、才能と鍛錬がないとできないことを次々に繰り広げられるから、テレビ画面からであっても、見てるものを惹き付けるのでしょう。
けれど、チョットネと思うのです。
あれが自分の娘だったら、「あの衣装のデザイン選択して欲しくないな」と。
見て美しいと思うためにデザインされているのでしょうけれど、肌が露出(肌色の生地まで使って)しているようにまで見せかけて、女性の妖しい美しさに訴えかけているように思うのです。
勿論荒川さんご自身は並々ならぬ鍛錬の上で氷上に立っていらっしゃるのですから、清清しい表情をなさっています。
だけれども、昔話のどこかの国の王様の前で踊りを披露すると時の衣装を連想してしまうのです。
競技スポーツの場面では、肌色の布地まで使って肌と錯覚させようという魂胆は競技では不適当だと思うのです。
アイスショーではOKでしょうけれども。
唯一の金メダリストのことだからか、どこからもこんな声が聞こえてきません。
「美を競う競技だから、目くじらたてるな!」でしょうか。

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我が家は「名画劇場」

2006-03-02 07:48:50 | 本・映画・テレビドラマ・絵・音楽
毎晩のように、録画しておいた映画を観ている。

「第三の男」1930年代のウィーンが舞台。
ハプスブルグの都のハズなのに白黒画面に映るのは、薄汚れたり、崩壊したりした街並。戦闘は建物だけでなく生活する人々も当然巻き込んでいるから、そんなことも連想する。
「カサブランカ」1930年代のフランスの植民地である北アフリカのカサブランカが舞台。白黒 2回目。
ナチス占領下のパリからアメリカへ亡命するのに、アルジェリア(?)に渡り、陸路モロッコのカサブランカへさらにポルトガルを経由してアメリカへと。一枚の通行証にお金や命がかかる世界。
「僕は怖くない」1970年代(?)南イタリアの寒村(寒くはないが貧しいという意味で)。貧しさのためにここまで、こんな村が南イタリアの当時の現実?と考えさせられてしまう。
「灰とダイヤモンド」1950年代のナチスドイツの占領から解放後、共産党のソ連による占領となったポーランドが舞台。

あぁ、しんどい。重たい。ここまで来て、気持ちが疲れてしまった。
これまでに観た、いくつかも重ねても、ヨーロッパを舞台に作られてきた映画に描かれてきた時代に考え込んでしまう。
バカだね、そんな暗く重たい映画ばっかり観ているからだよ、ともうひとりの自分が言うけれど、しんどく思いながらも、映画に残したいという製作者の視点が伝わってくるから、どんな時代であっても、その人と出会うことはないけれど、人って捨てたものではないと、すごい力を持っていると、そうは思うのです。

実はヨーロッパ系以外でもみています。
「老人と海」あのヘミングウェーの作品の映画化したもの。
「北京ヴァイオリン」2004年製作の中国映画。

「北京ヴァイオリン」は私的には五つ星。
いくつか観た中国映画の中では「活きる」がお勧めと、身近な人に言ったことあるけれど、「北京ヴァイオリン」も是非といいたい映画です。

映画館へ出向いてみたのが、先にブログに書いた[ミュンヘン」のみ。
その後、こんなにいっぱいBS放送で観ることができるのだからなんと言う恵まれた世の中なのでしょう。
それで、しんどがっていては世話がありませんね。
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