日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

日曜日はバーへキューのお手伝い。

2019-10-07 21:16:43 | 私の雑感あれこれ
好天に恵まれた一日でした。

某委員として、知的障碍者のグループのウォーキングとバーベキュー企画のお手伝いに行ってきました。

某委員は今年で6年目。何回か経験しているので、食材の下ごしらえで協力してきました。

障碍児たちの屋外行事のひとつです。ダウンちゃん一人を除いて、みんながウォーキングに参加。立派~。

出席者のうちの障害児(者)は15名。保護者が20名ほど。それに私たち委員も20名ぐらいはいたでしょうから、刻む食材はいっぱいでしたよ。笑

グループの皆さん名札を付けていらっしゃる。私と同じ地区であっても、面識のない方ばかり。私は30年住んでいるのに、です。
本当は、もっと知り合いであるべきなのに、、、という思いはあるものの、なかなか話す機会どころか、すれ違っていても通り過ぎるだけの間からなのが現実。

グループの親御さんどうしは密接なつながりがあるっぽい(積極的に行事にかかわる方どうしだからか)。

行事の際の助っ人的なかかわりができても、心のひだのところには、なかなか、、、。

下校後はデイサービスに通っているので、その関係で親同士も知り合いになるのですよ、と。

子どもたちのためだけではなく、親御さんたちにとっても、この1年に一度の企画は続ける意義があるんだろうな、と思いました。


毎年12月には、クリスマス会の企画もあるんですよ。



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目の前の母の介護の課題。

2019-10-05 14:51:15 | 私の雑感あれこれ


自宅介護を続けている弟から102歳にして、初めて特養に申し込み手続きをしてきたというメールが入った。

入居者170人の施設。平均年齢86歳。102歳に比べると、若い! と思うけれど、皆さんそれなりに介護度は高いはずだから、みなさん重症者に見えたようだ。うち認知症者が60名いるという。

夜間の介護は8人で担当しているという。

ひとり20人超です。

そりゃ、オムツしてもらわないと、トイレ介助のお世話は困難だろうと、推測できる。

母は、そのオムツ利用ができないで、現在、難儀している。

何度も説明しても、夜中に外してしまう、の繰り返し。

1200CCが床に流れるのだから、後始末が大変。

これがクリアできるようになって、施設入居が叶えば、と思っていたのに、、、。

今、考えているのは、一晩か二晩、拘束したりすると、オムツに排尿に慣れるのだろうか。
プロの方にお聞きしたいと思っています。

老人でなくても、病院では、事故などで夜間も絶対安静のケースで、つないである管を外したら大変だから、という理由で拘束バンドを利用している。そんなように、慣れるまでだけ、という利用の仕方はあるのではないか。

拘束された人の立場を考えると、そんな無茶なことは、、、、とは思う。
だけれど、1200CCのために、毎晩何度も見回らなくてはならないのも、これも大変なことだと思うから。

きっと、拘束などされたら、精神的というか気力が何ポイントが減じると思う。でも、なんど言い聞かせても、その時だけ肯いても後は、同じ行動をとってしまうのだから、介護者の消耗とどちらが大事か、とも思ってしまう。

これは、施設にもっと手厚く介護者をつけて対応してほしい、と言っているのではない。

自宅介護であっても、限界があるのでは、と思うから。

ちなみに、弟としては、申込み書を提出はしてみたものの、母を入居させたくない、というベクトルのほうが増したようで、しばらくはショートスティとデイサービスを利用しながら、介護を続けていくようです。

申し込みをしたのは、特養としては古参株の施設です。最近できたユニット型の特養を見学するとイメージが変わるかも知れないのに、、、。




私たち団塊世代が、こぞって超高齢になる頃を考えてみる。
きっと、自分の意志で、人生の終わりを決める、というのもあり、という流れが出てくるように思う。

以前は本人への『がんの告知』はタブーだったけれど、今は、自分の病気を治したいと思う人は、病気を知るところから、という考え方になっている。
世の中の考え方は変わることもおおいにある。
そんな時代になって、能動的な選択ができるように、今を大事に生きたいものです。




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結局、お土産は、、、。

2019-10-04 07:08:26 | 家族
来週、運動会を見に東京に行く。
「来年、オリンピックを見に来る?」と訊かれても、
「暑いし、クーラーの効いた部屋で見ていたほうが、、、」と応える派の私が、です。苦笑

で、手土産。
荷物になるのを避けたいので、東京駅に着いてから、デパートでケーキを買っていた。
でも、たしか先回は、4歳児が「甘いの好きではないんだ~」とのたまった。
よって、どうしたものかと娘にメール。

「プリンのデラックスバージョンっぽいのはどう?」
と尋ねても、シンプルなのがいい、と。
アレコレメールでやりとりした結果、アイスクリームが一番かも。

そして、運動会が終わってから食べるのがいい、になった。アレレ!

このシーズンでは当地の人気手土産、「栗きんとん」だけを持参して、の流れです。

あっと、喜ぶ顔が見たいおばあちゃん。

オモチャってのも、つぎつぎと与えればいいものでもないし、、、とメールすると。

4歳児は「運動会頑張ったら恐竜の本を買って」と言っているそうで、ママとしてはコレがいい、とメール。

恐竜図鑑系の1冊です。

ハイ、了解、とネットで注文。荷物にしたくないから、娘宅に配送してもらうよう手配。

もう一人の6歳児の運動会ではありませんが、彼の笑顔も見たいのです。
そちらには、路線図系の図鑑の指示があり、同じくチョイス。

栗きんとん以外は、運動会が終わってからのお楽しみになってしまいましたが、まぁ、いいか、です。

さて、運動会は楽しく終わるかどうか。

たまたま、婆バカで、アンカーを走るのが嬉しくって、東京まで見に行く、とホットヨガ仲間に話したら、
彼女、アンカーもいいことばかりじゃないのよ~、と。

なんと、子ども時代はアンカーの常連だったようです。鈍足の私には雲の上のひとに見えます。苦笑
授業が終わってから、毎日選手に選ばれたものは練習をするのだけれど、幼い1年、2年生をおだてて、褒めて、頑張る気にさせるところから、だから大変。前走者がビリで走ってくるときもあるのよ。そんなバトンを受け取って、抜きようもなくても、大勢の人が見ている中を一生懸命走らなくっちゃならない、まぁ、心境、複雑よ、と。
経験者でないと出てこないセリフですね。

4歳児は初アンカーです。
生まれてからたった4年しか経っていないのに、頑張りたい気持ちを持っているなんて、ヒトってすごい。

一方、運動会キライ、の6歳児がお兄ちゃんもいて、そこも微妙。
路線図大好きお兄ちゃんの、図鑑を手にしての喜び顔も目に浮かびます。

運動会キライなタイプがいてもいい、ではないか、の路線も併せ持ちながら、ささやかなイベントを楽しみたいと思います。

私、オリンピック観戦よりも、こっち。苦笑
















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高校の同窓会余波、かな?

2019-10-03 08:43:07 | 
夏目漱石の「私の個人主義」を読みたくなった。

青空文庫で探すと、簡便に読める。

中学までは、数学、理科好き少女だったのが、高1で読書の世界に突入、と言った経緯を持っている。
遅読なので、長編の外国文学には手が出ない。
明治期以降の日本文学が読書対象。我が家に毎月配本される近代文学全集があったので、図書館利用する必要はめったになかった。
外国の作家では、短編が多いヘルマンヘッセがお気に入り。

先日読んだ橘玲(たちばなあきら)さんの、若い時代を書いている「80S(エイティーズ)」に、高校時代1週間の謹慎処分を受けた時に、ドフトエフスキーを読みまくり(長編なのにスゴイ)、原書で読みたいと思って、ロシア文学のある大学を志した、とあったけれど、
ヘルマンヘッセを原書で読みたいと思ってドイツ語を選択した時の気持ちと同じ。そして、ロシア語の授業ではいの一番にドロップアウトした、とあったけれど、悲しいことにそこも似たり寄ったり。苦笑

同窓会では、同じクラスながら本の話などしたことがない人と、当時は読書好きで、、、という話になった。彼女は国立の図書館短大に進学していたというのも、先日初めて知った。
自分の本読みにのめり込んでいった当時の光景を思い浮かべたりもした。
「本を読む」ことに恋をしたのかもしれない。
物語本を手にしても、次々と読んでいった経験がなかった私が、なぜ、本読む人になったのだろう、と。

あの『自己本位』とか『個人主義』という表現で、自分の中の自我が語られている文章がすとんと胸にきた、からかも、と。

というわけで、文頭の「私の個人主義」を読了。

同じく、橘玲さんの『上級国民 下級国民』の中で印象に残っていることも響いているかな → 自分
個人の生き方、なんてものは、歴史始まって以来、ずっとなかった、と。
生きていくこと(命をつないでいくこと)が最優先で、その手立てとして、組み込まれている身分に背くのはご法度だった。女性にしても同じ。男女平等という発想そのものもない。子供が産める15歳ぐらいになれば、結婚の対象であり、そうすることで口過ぎして生涯を送るものでした。武将の家に生まれれば当然政略結婚の道具です。二十歳前に子を産むのも普通のことという長い歴史の中で、今の社会のほうがレアパターンなのです。
そう、「人は個人として尊重される」、戦後生まれの私たちは、耳たこぐらいに訊いてきた言葉ですが、それは、それほどまでに連呼しなければ浸透しないだろう、ぐらいの、これまでとは違った価値観だったのです。

昨年、秋田の角館に行ってきました。観光地に行っても、めったに乗ることはない人力車に乗りました。車夫役の若い案内人は、城下町のイロハを語ってくれました。その中に、敷地の広さだけでなく、塀の高さまでも、武家社会の中の階級によって決まっていて、上司より高い塀を作ることはできなかった、というのがありました。お城の近くにご家老の家があって、そのあとも格の高い人から順に屋敷があてがわれている。それが能力によってではなく世襲によって受け継がれていく社会だったのです。

きっと、角館に限ったことではないでしょう。そう思うと封建社会しか知らないで生きていた人たちのものの考え方というのは、今の価値観とどれほど違っていたものかと、想像を超えるもの、でしょう。
お上のためなら切腹もいとわないのですから。

そう、日ごろ頭の中に雑学をないまぜにして暮らしているものだから、あの『自己本位』『個人主義』という文章が載っていた、現代国語の教科書が懐かしくなり、青空文庫を探してみた、というわけです。

この本は、学習院大学での講演がもとになっているのですが、個人の自由を貫くためには、一方で義務が伴うことをはき違えないこと、という話を、大正3年、晩年のの夏目漱石(慶応3年生まれ)さんは述べておられました。










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野菜の大量消費メニュー。

2019-10-02 16:29:08 | 家政・料理
夏野菜が大挙してキッチンへ。
なかなか食べきれない。

キュウリのきゅうちゃんを4、5回は作った。合計で6キロぐらいかな? 笑

ピーマンもどっさり。
で、一昨日、レシピを探したら「ピーマン大量消費」対策としてのレシピがあったので、10個ほど漬かったかしら。
今日は、「レタス大量消費」のレシピで一品を。

野菜がたくさんで食べきれず、という皆さんのレシピ提供のおかげで、大いに助かっています。

里芋も大量。煮物をたくさん作ると飽きるので、できれば1、2回で食べきれるようにしている。

毎年、皮を剥いて、さっと茹でこぼしてから冷凍保存するのだけれど、今年はまだそこまでのやる気が湧いていない。トホホ
(相当量の皮むきになるんです)
お店に売ってある下処理してある里芋の値段の相当部分は人件費なんじゃないかしら?

気力があると、着々とこなしていくのも楽しいのだけれど、ね。笑

ゴーヤやはつか大根もあったり、

全部無農薬。

きっと、これらを食べているから、風邪でダウンもしたことがないのだろうと思っている。


追記
今季初、サツマイモの収穫が始まりました。
初サツマイモを茹でて、夕食後に味見。ダイエットとしてはレッドカードものです。苦笑
黄金色でホクホク。ワタシ好み!
要注意です。


二人家族なので、見合った分量を栽培してほしいのですが、私の意見はいつも却下。
どうしたら食べ尽くせるか、ぜいたくな課題です。

最近は、ご近所に上げるのも面倒になって、していなかったのですが、昨日は今季初めて、キューりとピーマンもらってもらいました。笑






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