詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石垣

2005-04-02 15:40:01 | 詩集
4月2日(土曜)

 石垣を真正面から絵にしてみたいと思う。組み合わさった形、石の肌の色、隙間の黒い色。それだけで量感を絵にできるだろうか。
 ことばでは「量感」と書けるが、絵の具の色だけで、私が感じたものを再現できるか。

 犬が友達をみつけて走り始める。



 ナボコフ「けんか」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)

 加藤光也という翻訳者は日本語の感覚に味わいがある。原文はわからないが、きのう読んだ「クリスマス」と同じようにおもしろい表現に出会った。

包みを解くと、たちまち、灰色の毛布と、ビーチタオルと、新聞の束になった。

 この「なった」は漢文を読んでいるような気持ちになる。
 ロシア語でどう書いてあるのかわからないが、普通の日本語では「……新聞の束があらわれた」と書くだろう。しかし、加藤は「なった」と訳している。

 この「なった」は気持ちがいい。「運動」が含まれているからだろう。漢文がもっているてきぱきした精神の動き。それが気持ちに美しく響いて来る。

 こうしたことばにも私は「詩」を感じる。
コメント
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