森鴎外「阿部一族」(「鴎外選集 第4巻」岩波書店)
武士の切腹、討ち入りが淡々と書かれている。そうしてクライマックスごとに簡潔な風景描写が差し挟まれる。
こうした「詩」の挿入は何度読み返しても美しい。
人事とは無関係に生きている命の存在が、人間の命の窮屈な感じをさーっと洗っていく。
一方、数馬の死を決意する心理描写と妻の描写にもこころが震える。(200ページ)
「うろうろ」というのはありふれた表現であるけれど、この「うろうろ」が「詩」である。
具体的な描写は鴎外にはもちろん可能だろう。しかし、それをしない。ただ「うろうろ」と書く。そうすることで、読者の「うろうろ」した記憶、「うろうろ」を見た記憶を引っ張り出す。「うろうろ」のすべてを読者にまかせてしまう。
読者は自分自身の「うろうろ」と直面する。直面したまま、こころを動かす。
武士の切腹、討ち入りが淡々と書かれている。そうしてクライマックスごとに簡潔な風景描写が差し挟まれる。
板塀の上に二三尺伸びてゐる夾竹桃の木末(うら)には、蜘蛛(くも)のいが掛かつてゐて、それが夜露が真珠のやうに光てつゐる。燕が一羽どこからか飛んで来て、つと塀の内に入つた。
こうした「詩」の挿入は何度読み返しても美しい。
人事とは無関係に生きている命の存在が、人間の命の窮屈な感じをさーっと洗っていく。
一方、数馬の死を決意する心理描写と妻の描写にもこころが震える。(200ページ)
今年二十一歳になる数馬の所へ、去年来たばかりのまだ娘らしい女房は、当歳の女の子を抱いてうろうろしてゐるばかりである。(うろうろは、本文はおくり)
「うろうろ」というのはありふれた表現であるけれど、この「うろうろ」が「詩」である。
具体的な描写は鴎外にはもちろん可能だろう。しかし、それをしない。ただ「うろうろ」と書く。そうすることで、読者の「うろうろ」した記憶、「うろうろ」を見た記憶を引っ張り出す。「うろうろ」のすべてを読者にまかせてしまう。
読者は自分自身の「うろうろ」と直面する。直面したまま、こころを動かす。