詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2005-04-01 13:59:49 | 詩集
 4月1日(金曜)

 晴れ。
 福岡の石垣を曲がる。しだれ桜がぐいと近づいて来た。花。ピンクの花が無数に開き、石垣の陰の中にある。私が立ち止まったので、犬も一緒に立ち止まってしまう。



 ナボコフ「クリスマス」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)
 主人公が雪の野原を歩いていく。

どこか遠くで小作人たちが森の木を伐っている――一打ごとにその音が空にひびきわたった――そして、かすんだ木立の銀色の霧のむこう、うずくまった百姓家(イズバー)のずっと上には、教会の十字架が陽を浴びておだやかにかがやいていた。

 最後の「いた」。原文でも「いた」だろうか。原文では「いた」ではなく、「見えた」だろうか。気になるが……。
 この「いた」に「詩」を感じる。
 主人公は、十字架が輝いているのを見た。しかし、それを「見た」と主人公の側に引きつけて書くのではなく、主人公とはかけ離れたものとして書く。
 「いた」は主人公と十字架が無関係、あるいは断絶した存在であることを明確にする。(なぜ、断絶かといえば、それは主人公にとって「好ましいもの」ではないからだ。悲しみを呼び覚ますもの、遠ざけたいものだからだ。)

 この「断絶」に「詩」がある。

 そして、この「断絶」――主人公と十字架との隔たり、その距離の間に、主人公のこころが動いていく場所がある。(ここから先は、「小説」の世界である。)
コメント
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