4月1日(金曜)
晴れ。
福岡の石垣を曲がる。しだれ桜がぐいと近づいて来た。花。ピンクの花が無数に開き、石垣の陰の中にある。私が立ち止まったので、犬も一緒に立ち止まってしまう。
*
ナボコフ「クリスマス」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)
主人公が雪の野原を歩いていく。
最後の「いた」。原文でも「いた」だろうか。原文では「いた」ではなく、「見えた」だろうか。気になるが……。
この「いた」に「詩」を感じる。
主人公は、十字架が輝いているのを見た。しかし、それを「見た」と主人公の側に引きつけて書くのではなく、主人公とはかけ離れたものとして書く。
「いた」は主人公と十字架が無関係、あるいは断絶した存在であることを明確にする。(なぜ、断絶かといえば、それは主人公にとって「好ましいもの」ではないからだ。悲しみを呼び覚ますもの、遠ざけたいものだからだ。)
この「断絶」に「詩」がある。
そして、この「断絶」――主人公と十字架との隔たり、その距離の間に、主人公のこころが動いていく場所がある。(ここから先は、「小説」の世界である。)
晴れ。
福岡の石垣を曲がる。しだれ桜がぐいと近づいて来た。花。ピンクの花が無数に開き、石垣の陰の中にある。私が立ち止まったので、犬も一緒に立ち止まってしまう。
*
ナボコフ「クリスマス」(「ナボコフ短篇全集Ⅰ」作品社)
主人公が雪の野原を歩いていく。
どこか遠くで小作人たちが森の木を伐っている――一打ごとにその音が空にひびきわたった――そして、かすんだ木立の銀色の霧のむこう、うずくまった百姓家(イズバー)のずっと上には、教会の十字架が陽を浴びておだやかにかがやいていた。
最後の「いた」。原文でも「いた」だろうか。原文では「いた」ではなく、「見えた」だろうか。気になるが……。
この「いた」に「詩」を感じる。
主人公は、十字架が輝いているのを見た。しかし、それを「見た」と主人公の側に引きつけて書くのではなく、主人公とはかけ離れたものとして書く。
「いた」は主人公と十字架が無関係、あるいは断絶した存在であることを明確にする。(なぜ、断絶かといえば、それは主人公にとって「好ましいもの」ではないからだ。悲しみを呼び覚ますもの、遠ざけたいものだからだ。)
この「断絶」に「詩」がある。
そして、この「断絶」――主人公と十字架との隔たり、その距離の間に、主人公のこころが動いていく場所がある。(ここから先は、「小説」の世界である。)