詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

Estoy Loco por España(番外篇405)Obra, Kawada Yoshiki 川田良樹

2023-11-04 15:52:04 | estoy loco por espana

Obra, Kawada Yoshiki 川田良樹
湯上がりに 180×55×36

 スペインの友人の作品ではなく、私の高校時代の友人の作品。富山県在住。
 川田は着衣の作品を手がけている。素肌とバスロブの布の感触の違いがおもしろい。布の起伏が素肌のなめらかさ、湯上がり特有の湿気を含んだ肌の艶やかさを引き立てている。
 肉体の左右の非対称と、バスロブの非対称が作品に動きを与えている。
 頭部を含め上半身のきっちりした印象と、バスロブの裾の、少し緩んだ感じ、腰のリボンの左右の非対称もおもしろい。
 肉体のラインが表現されているわけではないが、バスロブの変化から、肉体のあり方が自然に浮かび上がってくる。

 Un trabajo de un amigo mío del bachillerato. Vive en la prefectura de Toyama.
 Es interesante ver la diferencia de sensación entre la piel de mujer y la tela de la bata de baño. Las ondulaciones de la tela resaltan la suavidad de la piel joven y el brillo de la piel hidratada después del baño.
 La asimetría entre los lados izquierdo y derecho del cuerpo y la asimetría de la bata de baño dan movimiento a la obra.
 La parte superior del cuerpo, incluida la cabeza, se ve ajustada, el dobladillo de la bata de baño parece un poco suelto y la asimetría de la cinta en la cintura también es interesante.
 Aunque las líneas del cuerpo no se expresan, el estado del cuerpo surge naturalmente de los cambios en la bata de baño.

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服部誕『祭りの夜に六地蔵』

2023-11-04 11:52:09 | 詩集

 

服部誕『祭りの夜に六地蔵』(思潮社、2023年10月10日発行)

 服部誕『祭りの夜に六地蔵』に「風の石」という作品がある。「酒船石異聞」というサブタイトルからわかるように、石造りの遺構を訪ねたときのことを書いている。

遅れている
時の到着を待つあいだ
わたしは
石の冷たさに
しばし倚りかかる

  これに類似したことばが、そのあと出てくる。

おおきく
伸びをしたわたしは
軽いめまいを
石に預けた
背でささえる

  第三者から見れば、石と「わたし」の関係は、どちらも同じ姿に見えるだろう。しかし、服部は書き分けている。「倚りかかる」と「石に預けた/背でささえる」とに書き分けている。この変化に詩がある。これは、この後の連を読むと、さらにはっきりするのだが、それは後で書くことにして……。
 石と「わたし」の関係は、後者の場合、正確には(文法的には?)、背で支えているのは「軽いめまい」なのだが、そしてそれは「わたし」が石に支えられていることになるのだが、私は一瞬、私が「石」を支えているように感じてしまう。めまいのとき、世界が揺れる。石も揺れる。その揺れ動く石を、「わたし」が背で支える。石と「わたし」の関係が入れ代わる。私は、そう「誤読」してしまう。石と「わたし」が一体になり、そこに新しく生まれてきている。「新しい世界」がそこに出現している。
 この「新しい世界の出現」という感じは、前者の引用にはない。そこには詩はなく、散文としてのことばの運動がある。
 しかし、後者では何かが動いている。「肉体」の動きが、「ことば」を刺戟して、「ことばの肉体」を動かしている。「軽いめまいを感じ、石に背中を預けて、わたしは倒れるのを防いだ」と書くこともできるのに、「ささえる」という動詞をつかったたために、「肉体」の動きが克明になった。「倒れそうになった姿勢をささえた」ではなく「軽いめまいを/背中でささえた」。「肉体」のなかから「めまい」を引き出して、それを「ささえ」ている。あ、まだ、めまいが軽くつづいている。
 めまい、その酔ったような感覚のなかで、私は石と「背中」の関係を見失うというか、ふたつの渾然一体のものとして感じる。
 この渾然一体の感覚の後、次の三行がある。

思いがけなく
あたたかな
石のあかるみ

 ここ、いいなあ、と思う。
 自分をささえてくれる石の「あたたかな/あかるみ」。「あたたか」と「あかるみ」が一体になって、背中に伝わる。
 と、書いて、
 不思議に思わない人もいるかもしれないけれど、私は、ちょっと不思議に思う。「あたたか(さ)」は皮膚感覚(触覚)だから、背中で感じることはできる。しかし「あかるみ」は視覚が判断するもの。それなのに背中で感じている。触覚と視覚が融合している。つまり、人間の感じる何かを触覚/視覚に分離し、固定化して、(そういう定型化した方法を採用して)、書いているのではなく、それは触覚なのか、視覚なのかという批判(?)を恐れずに、渾然一体のものとして書いている。
 私たちの「肉体」には「あたたか」と「あかるい」を共通のものとして感じる触覚と視覚が融合した「いのち」があるのだ。こういう学校文法で定型化(固定化)した表現を破壊し、「いのち」そのものが感じているものをつかみとり、言語化することを、私は詩と定義している。だから、それは詩だけではなく、さまざまな散文でもおこなわれている。
 きのう書いた野沢の「隠喩論」の批判のつづきとして書き加えれば、「軽いめまいを/石に預けた/背でささえる」から「あたたかな/石のあかるみ」への変化のなかに「隠喩」の「いのち」がある。
 服部は書いてはいないが(隠喩だから、書く必要がないのだが)、最後に引用した三行は、学校文法で書き直せば

思いがけなく
あたたかな
石のあかるみ
感じた

 である。「感じた」が省かれている。それは、服部の「肉体のことば」であり、それが無意識的に「ことばの肉体」に反映して、「感じた」が隠れてしまっているのである。「感じた」は、ことばにする必要がないもの、「無意識」であり、それは書かれていないから存在しないのではなく、書く必要がないくらいしっかりと服部の「肉体/ことば」になってしまっている。
 あらゆる「隠喩」は、そういう「いのち」の動きとしてあらわれる。
 「隠喩」とは(あるいは、比喩全部といってもいいが)、「対象」の「言い換え」ではない。そういう「比喩」は、いわば「記号」である。1+2=3をA+B=C、C-A=Bというときの「記号」のようなものである。
 「隠喩」とは「記号」ではなく、「いのち」の運動である。いつでも、それが「どう動いているか」ということでしか語ることのできないものである。

 

 

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