監督 溝口健二 出演 田中絹代、花柳喜章、香川京子、進藤英太郎
田中絹代は不思議な俳優だ。「楢山節考」もそうだが、この「山椒大夫」も一種の「物語」である。実際にありうることかもしれないが、架空の話。それなのに田中絹代が出てくると、それがリアリズムにかわる。「肉体」が物語をのみこんでしまう。ただしリアリズムといっても、「現実」の押し売りではない。「悲惨」の押し売りではない。なにか「ゆとり」がある。「形式」がある。「生きている」人間という「形式」が。
「サンダカン八番娼館望郷」も、何か人間が「純粋」ないのちに昇華して、そこに生きているという美しさがあふれている。
この映画のとき、田中絹代が何歳なのか知らない。まだ若いはずだ。実際、最後の「老婆」のシーンでは、張りつめた肌が「若く」て、顔に注目してしまうと「老婆」ではないのだが、「動き」が「老婆」である。「間合い」と言った方がいいかもしれない。「肉体」が動いて、それを「ことば」が追いかける。「肉体」の小さな動きのなかに「感情」がつまっていて、それが動くと、そのあとをおそるおそることばが追いかける。ことばはなくてもいい。ことばは、たぶん「追認」である。ことばによって、観客は「感情」を再確認するのだが、これはあくまで再確認。「押しつけ」ではない。「感情」の押し売りではない。だから美しい。
田中絹代、花柳喜章の再会のあと、そんな再会の感動など知らない、という感じて老人が浜辺で仕事をしているシーンで映画は終わるのだが、このシーンが信じられないくらいに輝かしいのは、直前の田中絹代の演技があるからだなあ、と思う。
この映画は、田中絹代以外にも見どころがある。ススキのシーンは、ロケなのかセットなのか、よくわからないが、ススキの輝きが美しい。(「警察日記」で三国連太郎がススキをかき分けて走るシーンのススキも美しいが。)花柳喜章が山を降りる寸前の、山から見た麓のシーン、そこへ駆け下りていくシーンも、とても美しい。
国分寺や関白の館はセットなのか、実際にある寺や建物でロケしたのかわからないが不思議な美しさがある。リアルを超越している。他のシーンもそうだが、「形式」に到達している。ススキのシーンや、山を駆け下りる瞬間のシーンも、ひとつの「形式」である。整えられている。
これが、この「物語」にぴったりあっている。虚構のなかでしか確認できない何か、そういうものを静かに浮かび上がらせている。
溝口健二の代表作というわけではないと思うが、森鴎外が大好きなので、この映画を見てしまった。ほかにも溝口監督シリーズで上演していたのだが。
(中洲大洋、2017年02月18日)
*
「映画館に行こう」にご参加下さい。
映画館で見た映画(いま映画館で見ることのできる映画)に限定したレビューのサイトです。
https://www.facebook.com/groups/1512173462358822/
田中絹代は不思議な俳優だ。「楢山節考」もそうだが、この「山椒大夫」も一種の「物語」である。実際にありうることかもしれないが、架空の話。それなのに田中絹代が出てくると、それがリアリズムにかわる。「肉体」が物語をのみこんでしまう。ただしリアリズムといっても、「現実」の押し売りではない。「悲惨」の押し売りではない。なにか「ゆとり」がある。「形式」がある。「生きている」人間という「形式」が。
「サンダカン八番娼館望郷」も、何か人間が「純粋」ないのちに昇華して、そこに生きているという美しさがあふれている。
この映画のとき、田中絹代が何歳なのか知らない。まだ若いはずだ。実際、最後の「老婆」のシーンでは、張りつめた肌が「若く」て、顔に注目してしまうと「老婆」ではないのだが、「動き」が「老婆」である。「間合い」と言った方がいいかもしれない。「肉体」が動いて、それを「ことば」が追いかける。「肉体」の小さな動きのなかに「感情」がつまっていて、それが動くと、そのあとをおそるおそることばが追いかける。ことばはなくてもいい。ことばは、たぶん「追認」である。ことばによって、観客は「感情」を再確認するのだが、これはあくまで再確認。「押しつけ」ではない。「感情」の押し売りではない。だから美しい。
田中絹代、花柳喜章の再会のあと、そんな再会の感動など知らない、という感じて老人が浜辺で仕事をしているシーンで映画は終わるのだが、このシーンが信じられないくらいに輝かしいのは、直前の田中絹代の演技があるからだなあ、と思う。
この映画は、田中絹代以外にも見どころがある。ススキのシーンは、ロケなのかセットなのか、よくわからないが、ススキの輝きが美しい。(「警察日記」で三国連太郎がススキをかき分けて走るシーンのススキも美しいが。)花柳喜章が山を降りる寸前の、山から見た麓のシーン、そこへ駆け下りていくシーンも、とても美しい。
国分寺や関白の館はセットなのか、実際にある寺や建物でロケしたのかわからないが不思議な美しさがある。リアルを超越している。他のシーンもそうだが、「形式」に到達している。ススキのシーンや、山を駆け下りる瞬間のシーンも、ひとつの「形式」である。整えられている。
これが、この「物語」にぴったりあっている。虚構のなかでしか確認できない何か、そういうものを静かに浮かび上がらせている。
溝口健二の代表作というわけではないと思うが、森鴎外が大好きなので、この映画を見てしまった。ほかにも溝口監督シリーズで上演していたのだが。
(中洲大洋、2017年02月18日)
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