詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

緒方淑子「山下時計店」、青柳俊哉「裸木が 透明な光を」、池田清子「謎の世界」、徳永孝「メッセージ」

2021-12-05 16:48:18 | 現代詩講座

緒方淑子「山下時計店」、青柳俊哉「裸木が 透明な光を」、池田清子「謎の世界」、徳永孝「メッセージ」(2021年11月15日、朝日カルチャーセンター福岡)

 カルチャー講座受講生の作品。

山下時計店  緒方淑子

となりのとなりのとなり町まで クルマで
ふと降りて
歩いて
閉まりかけた店々店に 並んで
あ時計屋さん
私 直してほしい時計があるの
     もうずっと持ってるの
誰も直してくれなくて

クルマに積んでた掛時計 見せたら

時間をもらえば直せます

家にもあるの 誰も直してくれないの
持って来てもいいですか

1コめ直って受け取って
   2コめ直って受け取って
3コめ直して渡すとき
時計屋さん ニッと笑って
あ待って

その時計の裏側に なにかをペタンと
            貼りました

それは金色のシール。
Yのイニシャルつきの。
「山下時計店 09 21」。

 「ことばがやわらかくて気持ちがいい。となりの……、店のくりかえしがリズミカルで最後の1コ2コ3コも繰り返しが気持ちがいい」「誰も直してくれない、ということばから、わたしのこころも直してほしい、という気持ちを感じる。時間をもらえれば直せると重なり合う。最後のシールもいいなあ。時計屋との関係が切れるのではなく、関係が残る感じがある」「やさしいエッセイ、という感じ」「時計を直すということと、時間をなおす(わたしのこころを直す)というふたつの主題が、気持ちよく重なっている」
 受講生が、すべてを語ってくれた。
 時計を直す、わたしの時間をなおす。ふたつのことを結びつけているのが「ずっと」ということばだろう。「ずっと持っている」は「ずっと待っている」。
 「その時計の裏側に なにかをペタンと/貼りました」の二行は「ました」をつかうことで、「文体」を変化させている。その変化があって、最終連への転調がスムーズになっていると思う。
 なお「Y」は、原文は〇のなかにY。

裸木が 透明なかげを 青柳俊哉

裸木が 透明なかげを地に射す 
寂しい田舎 モノクロームの窓に
かなしみがふっていた 枯れていく空 
茫々と波うつ田 氷の野を
そめて 荘重なかなしみが
ふりしきっていた

雪は わたしたちの脊柱の空に結ぶ 
地上に降りる神聖なものの 表象である
命を溯る 石の神経の無限のラセンのうえにも
それは結晶していた 繁茂する空の巨木の
線的な内面も おおいつくし消していく 
地上を超えるものの 心象である 

 「かなしみがふっていた、ふりしきっていた、に胸がしめつけられる」「命を溯る、にはもう一度春がくる予感が感じられる」「景色だけではなく、人間を超えたもの、詩のなかのことばで言えば、神聖なものを書こうとしている。地上を超えるもの、にもそういうことを感じる」「無機質な石に対してさえ、生命的なものを感じる力がすごいなあ」「脊柱の空、がわからない」
 たしかにわかりにくい。
 一連目の「裸木」は視覚的なイメージ。「脊柱の空」は視覚を装っているが抽象的なイメージといえるだろうか。共通するのは垂直のイメージ。その垂直は「ふる/降りる」によって強調される。時間は、一般的に水平方向の直線でイメージ化されるが、この詩では垂直方向の存在としてイメージ化されているのではないだろうか。
 雪が、かなしみとしてふってくる。地中に埋もれた石が、地中から垂直に立ち上がる。その力が裸木にのりうつる。天と地。その間にふる雪。何かが交錯する。意識が交錯する。

 「図形だろうか、グラフだろうか。帰って来たここがどかかわからないが、また、ということばがいい。最初と最後に出てくる」「数学の先生なのだろうか。図形が詩になるのは美しい」「図形は、どこから始まってどこへ行くのか。帰ってくる、がいい感じ」
 何を書いていいかわからないときがある。何を書いていいかわからない、と書いても、それは詩になる。

メッセージ  徳永孝

夕暮れの空に広がる
薄墨と朱の雲
空のお習字

空の言葉は
人の言葉と違うので
何て書いてあるのか
分からないけれど

素的な言葉が
そこに存りそう

 「空の表情は変化が激しい。それをことばにするのは難しいが、それを書いているのがいい」「朱ということばから、習字の先生が朱色の墨で指導するのを思いだした。朱という色が、次の習字のイメージとしっかり結びついている」
 この指摘は、とても鋭い。薄墨の「墨」とも呼応している。ふつう、夕暮れの雲は赤とか、茜とかいう。朱もその一種に入るが、朱によって「習字」が自然に登場する。さらに、その「習字」から「言葉」も必然のようにして生まれてくる。「字」が「言葉」を連想させるからだ。
 連想の呼応が、とても自然だ。

 

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