堤隆夫「さびしい町を発とう」ほか(朝日カルチャーセンター福岡、2024年12月02日)
受講生の作品ほか。
さびしい町を発とう 堤隆夫
あの日が もう 帰って来ないのなら
私には もう なあーんにもない
もう 空蝉の木漏れ日の水面に 戻ろう
幼い日々の 言葉を知らなかった あの日の 木賊色の水面に戻ろう
不安と期待が入り混じった 薄紅の春の昼下がりのひと時
酩酊して崩れ落ちた あの日の思い出は 苦いなみだの雫
半分だけ幸せだったあの日は もう 帰っては来ない
一年前の受話器のあなたの声は もう 聞けない
姿は見えなくても 声だけでも もう一度-----
詩とは 思い出の表現なのか?
焦がれて焦がれた 私の さびしい町
私は 今 空の水面に浮かぶ 根なし草
こころとは さびしい町
こころとは 戻ることのできない焦がれ町
さびしい町の残像を 鈍色の雑嚢に詰めこんで
さあ 肺胞に青息吐息を詰めこんで なみだの水筒を持って 発とう
生きるために なあーんにもない黙示録の逝きし世に向かって 発とう
「ことばの響きが美しい。音楽が響く」「歌の歌詞になる。青春の歌。半分だけ幸せの半分が印象的」「誘いを感じる。いままでの作品とは色を異にしていて驚いた。力が抜けている」「半分からの四行が印象に残る。最後の三行もいい」「なみだの水筒が、とてもいい。これがタイトルだったらいいなあ」
いままでの作品と印象が違うのは、ひとつには、反語的質問がないからかもしれない。発とう、という呼びかけが特徴的だ。「歌詞」という視点から見れば、昼下がりのひと時、苦いなみだの滴、焦がれ町のようなことばの動かし方が「歌詞」に似ているかもしれない。
もし「歌詞」に徹するのだとすれば、「詩とは 思い出の表現なのか?」という一行はない方がいいかもしれない。ここには堤の「反語的質問」のスタイルが残っている。
(「涙の水筒」をタイトルにしたら……という受講生のアイデアにのっかって、私も、ちょっとこうしたらどうなるかな、ということを提案してみたい。)
ここを一行空きにして連を変える。最後の部分も、最後の二行を三連目にするとおもしろいかもしれない。意味的には「さびしい町の残像を 鈍色の雑嚢に詰めこんで」は三連目のことばにつながるもの、つまり、そこに一行空きを入れると、「連またがり」になるのだが、その「不自然さ」が逆に最後の二行を際立たせることになるかもしれない。
これは私が頭のなかだけで考えたことなので、実際に書いてみる(印刷してみる)と違うことを思うかもしれないが。
スタイルをかえてことばを動かしてみるのも、おもしろいかもしれない。
*
水、ひろしま 青柳俊哉
詩、目に見えないかなしみ
世界、目に見えないうつくしみ
すべてに行き渡って水がうつし水が記している
ドームの跡に佇む水の目の少女
黄色い星の光を瞳にあふれさせるゲルマニアの少年
水牛とともに涙を泳ぐ女
雪は黒い塵にふれて初めて結晶する
鐘を打つように見えない世界を水の手が響かせる
その音が街の涙の暈を増す
外側を詩がながれる
かなしみよって世界は
償われている
「現在の広島の川から、かつての残酷な光景を想像するのはむずかしい。最終連、悲しみがあってひとは産まれる。残酷を知っているのに人間はそれを繰り返してしまう」「何度も声に出して読みたい。詩は悲しみの表現。エモーショナル」「タイトルが美しい。水が様々に表現されているが、詩と悲しみと水が一体になっている」
ことば、音の関係について考えたい。かなしさ、うつくしさではなく、かなしみ、うつくしみ、と書く。その最後の「み」の音のなかに「水」の「み」が隠れている。そのためだろうか、三行目「水がうつし水が記す」のなかに「うつしみ(現身)」が隠れているように感じられる。いきているひと、しかし、死んでしまったひと。死んだけれど、生きている姿を思い出さずにはいられない、そのいのち。そのゆらぎのようなものがある。
二連目、涙の目の少女ではなく、水の目。それが、そのあと水を泳ぐではなく、涙を泳ぐ。水と涙が交錯する。水即涙、涙即かなしみ即うつくしみ。
*
待ち時間 杉惠美子
冬が進んでいく朝
私は麓の道をゆっくり歩いてみます
一方通行ではない道を探します
あれこれ つぶやきながら
耳を澄ましてみます
私の輪郭が
ほどよく 柔らかな光の中に
貌となって
現れ
少しずつ真ん中に集まっていく
そんな
時を待って
ゆっくりと 歩いてみます
真ん中に集まった灯りは
小さくても消えないように
私の中で 灯しつづけます
赤い椿の花の蕾も
だんだん 膨らんできています
「貌(かたち)という感じのつかい方がいい。一連目の、一方通行から三行がいい。三連目の、真ん中に集まるがつかみきれない、それが蕾に変わっていくところがいい」「冬から春への時間の流れと心の流れが重なる。一方通行とあれこれの対比がいい」「三連目の灯りということばに作者の希望を感じた。詩の可能性が広がる」「三連目の、私の中に向かって一、二連目が用意されている。少しずつ、だんだん、変わる。感情の高まりを感じる」
私は三連目の、少しずつ真ん中に集まっていくの「いく」ということばに少し驚いた。四連目で「私の中」ということばが登場するが、集まったものが私の中で形をとるならば、それは、集まって「くる」だと思う。しかし、三連目では「輪郭」ということばが象徴するように、まだはっきりとは「私の中の「中」が意識されていない。何か、客観的に対象を見ている感じが残っている。そのために「いく」になっている。しかし、集まるに従い、それが「輪郭」ではなく「中」と結びつく。こういう変化を描くには、やはり「いく」がいいのだろう。
「私の中」、つまり「主観」になったあと、それが椿の蕾となって再び客観化される。蕾は風景ではなく、象徴になる。
象徴(あるいは比喩)が、どうやって誕生するか。そのときの「無意識」の動きが「いく」ということばのなかに隠れている。こうしたことが影響して、受講生も季節の変化、時間の流れだけではなく、「心の流れ」を感じたのだと思う。
*
クリスマスツリー 宮尾節子
はじめに言葉がありました。
「今夜、わたしはモミの木になる」
つぎに、時が言いました。
「じゃあ、わたしはクリスマスになるね」
つぎに、涙が言いました。
「じゃあ、わたしは全部ガラス玉に変わるわ」
つぎに、思い出が言いました。
「わたしは、良い物だけ取り出して
一つずつ枝に飾っていく」
泣きやんだ瞳が
輝きながら、訴えました。
「わたし、てっぺんでお星様になりたい」
みんなが賛成したとき
耳元でそっと、悲しみが囁きました。
「だったら、最後にわたしが
喜びにかわるね」
街のなかでも家のなかでも
今日、世界じゅうでいちばん幸せ者の
クリスマスツリー。
あなたが、一度倒れたモミの木だって
誰も覚えていない。
ここには書かなかったが、谷川俊太郎追悼の記事を読むなどして、あまり作品に触れる時間がなかったのだが。いろいろな変化のなかで「悲しみ」が「喜び」という正反対のものにかわるところに注目が集まった。
その三行もいいが、最終連が、複雑でとてもいい。
「誰も覚えていない」が作者は知っている、つまり覚えている。直前に「倒れた」という表現があるが、ほんとうに「倒れた」のか「倒されたのか(伐られたのか)。そういうことを考えさせる。「誰も覚えていない」という反語的表現が、読者を目覚めさせる。非常に深い。
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