谷川俊太郎が出演する映画「谷川さん、詩をひとつ作ってください。」という映画が完成したとき、そのパンフレットにおさめる「紹介文(コメント)」の依頼が来た。映画そのものを見ているひとも少ないだろうし、私のコメントを読んでいるひともほとんどいないだろうから、全文を引用しておく。
相馬の高校生が津波被害にあった自分の家を訪ねる。「最初は風呂があったんだけれど、今はもうなくなった。残っているのはこれだけ」と家の土台を示す。また「こっち側が畑、こっちは家」とか「ここに小さいときの机があって、大きくなったらこっち」と、空き地で間取りを説明する。その瞬間、私は「今、詩が生まれている」と感じた。彼女が体で覚えていることが、ことばになって彼女のなかから出てきている。そこにないものに向かって、ことばが生まれている。
あ、こんなことばを聞いたあと、詩を作るのは大変だなあ、と私は谷川俊太郎に同情してしまった。谷川がどんな詩を書いたとしても、私は谷川のことばよりも聞いたばかりの少女の声に感動してしまう。
有機野菜をつくっている農家の男性が野菜を引き抜きながら「親父の仕事は早いが雑なところがある。私の仕事は遅いが丁寧だ。だからけんかする」と笑う。男の人が言いたかったというより、ことばがことばになりたくて彼を突き破って出てくる感じ。諫早湾の漁師が、不漁に苦しむにもかかわらず「季節によって取れる魚が違うから漁はおもしろい」というのも同じだ。ほんとうのことばが男性の肉体のなかから飛び出してくる。
こういうことばに、詩は勝てない。詩はどうしたって嘘だから。嘘だから、感じていることを格好よくみせるためにととのえなおしたことばだから。どんな形になっているか気にしないで、あふれてしまう日常のことばには負ける。
うーん、谷川さんは、そういうことを承知でこの映画にでているんだな。詩はいつでも実際の暮らしに「負ける」ために存在する。暮らしのことばは、詩や文学から、ことばを奪い取って、独自の力で暮らしをととのえる。そのとき暮らしのなかでどこかで読んだ詩がふと鳴り響く。そういう交流を谷川は夢みてこの仕事をしたのか。最後の詩に谷川の祈りが聞こえる。
一か所、「谷川」と呼び捨てではなく、「谷川さん」になっている。ふいに、谷川に面と向かって話している気持ちになったのかもしれない。
ということは別にして。
いまでも、私は谷川は、他人に「負ける」ために詩を書いているように思える。書いていたように思える。「負ける」ことによって、だれかを支える。「ほんとうのことば」を話したひとを支える。そういう仕事を谷川はしてきたのである。こういう仕事をしてきたひとがほかにいるかどうかは知らないが、谷川は「負ける」ことで相手を応援する。
それは、詩についても言える。
詩の戦いといえば、詩のボクシングがある。谷川は、ねじめ正一と対戦したことがある。私はテレビを見ないのだが、偶然、その放送を見た。全部見たわけではないから、私の書いていることは間違っているかもしれないが、私がテレビを見るまでは、谷川は負けていた。最後のラウンドは「即興詩」で、ねじめが引いたカードには「テレビ」というタイトルが、谷川のカードには「ラジオ」というタイトルが書かれていた。ねじめは「テレビ」を詩にすることができない。マットにのたうち回って、「テレちゃん、ビーちゃん」というようなことばを口走っただけである。谷川は「ラジオ」が声(音)だけを伝達するという性質に目を向け「音は聞いた先から消えてしまう。存在しなくなる。でも、それは記憶に残る。この記憶を持って、聴衆のみなさんは家に帰ってください」というような詩を朗読した。それまでのラウンドがどちらが優勢だったか知らないが、最終ラウンドで谷川はねじめをノックアウトした形だ。谷川は勝った。
しかし、私には、そういう「印象」は残らなかった。谷川の「勝った」は形式的なもの。あるいは、そのときボクシングを見ていた観客の判断。私から見ると谷川は完全に「負けている」。谷川のことばは、詩を「意味」にしてしまった。そして、ことばの自在さ(新しい可能性)ではなく、「意味」が聴衆に受け入れられたということに過ぎない。それでいいのか。「詩は意味ではない」ということをアピールするために「詩のボクシング」が行われていたと思う。谷川は、それを裏切って、「意味」を語ることで聴衆を引きつけてしまった。
そういうことを含めて、私は、一度だけ会う機会があったねじめに、そのことを話した。同じことを谷川にも話した。「あの勝ち方は、ずるい。意味で観客を誘導しただけだ」。あのボクシングでは、谷川は「負けた」のである。そして谷川が負けたからこそ、あのボクシングは語り種になっているのだと思う。「負ける」ことで、詩を残したのだ。詩の可能性を、詩のこれからをねじめに託したのである。あれが本当に谷川の「勝ち」だったとしたら、「意味」の勝ちだったとしたら、現代詩は、あの瞬間に終わっている。こんなふうに意味で詩を終わらせてはいけないという意識がだれかによって声高に主張されたわけではないが、そいういう意識が多くの詩人のなかに生き始めたと思う。(詩人ではない、テレビの視聴者のことは、私はここでは問題にしない。)
谷川は「負ける」ことで、自分のことばではなく、他人のことばを支える。応援する。そういうことができるひとだった。だからこそ、詩人のなかにも谷川のファンが多いのだと思う。
「負ける」ことで他人のことばを支えるという、ほかの例では現代詩文庫の解説がある。本棚の奥に隠れていて探し出せないのだが、たしか佐野洋子が谷川の日常を書いている。ぐずぐずしている佐野洋子に耐えながら、朝御飯をつくってベッドまで運んでいる。そういう谷川を、佐野は、叱りつけている。叱られっぱなしの私生活が、谷川の日常に見えてくる。ジョン・レノンとヨーコ・オノの「ベッド・イン」があったが、あれの「現代詩版」という感じか。なんというか、おもしろいが、おもしろいを通り越して「覗き見」している感じにもなる。多くの詩人なら、こういう「解説文」を書かれたらいやだろうなあ。そのまま掲載するのに抵抗があるかもしれないなあ。しかし、谷川はそのまま受け入れている。これが、すごいと思う。この「覗き見好奇心」を上回る作品が、あの現代詩文庫におさめられているとは思えない。どの作品がその文庫におさめられていたかを忘れても、佐野の解説文を忘れるひとはいないだろう。いや、客観的に見れば、谷川の作品は詩であり、佐野の解説は詩ではないし、「文学」ではないかもしれないが、そういうものに詩は「負ける」のである。そして、「負ける」ことを通して、同時に「勝つ」とも言える。なぜといって、もし谷川の作品がなかったら、佐野の文章をおもしろいと思って読むひとはいない。有名な詩人が女にやっつけられている。谷川をやっつけることばが、佐野のの口からどんどん飛び出していて、それがおもしろいのは谷川が詩人だからである。
こういうことが谷川にはできるのである。
そしてまた、こうも思うのである。私は、谷川は「負ける」ことで生きている詩人であると言いたいのだが、そういうことができるのは、谷川のことば(詩)が、私のつかっていることば、あるいは他のひとが書いている詩(ことば)とは、まったく次元が違うものだからかもしれない。「勝つ/負ける」という基準ではとらえれらない何か別のものがあるのだと思う。その「別のもの」をあらわすことばを持っていないから、私は、とりあえず、谷川を「負ける」ことを承知で世界と向き合い、「負ける」ことを通してだれも手に入れることのできない「勝ち」を手に入れることができる詩人だといいたい。
これは、きっと「死ぬことによって、より長く生きる詩人」ということにつながっていくのだと思う。
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