詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

谷川俊太郎の死とその報道

2024-11-20 22:31:05 | 考える日記

 

 谷川俊太郎が死んだ。(私は、敬称もつけないし、「死亡した/亡くなった」とも書かない。敬称つけたり、「死亡した/死去した」というようなことばをつかうと、谷川が遠い存在になってしまうと感じるからだ。)
 私がその報道に、最初に触れたのは11月19日読売新聞朝刊(西部版、14版)だった。谷川俊太郎の死以上に、その「報道」に私は衝撃を受けた。ふつうの「死亡記事」とはまったく違っていたからだ。
 こう書いてある。

 日本の現代詩を代表する詩人で、「二十億光年の孤独」や「朝のリレー」など数多くの親しみやすい詩が人々に愛された谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが、18日までに死去した。92歳だった。

 ふつうは、こうは書かない。どう書くか。朝日新聞(11月20日朝刊、西部版、14版)は、こう書いている。

 「朝のリレー」「二十億光年の孤独」など、易しくも大胆な言語感覚で幅広く愛された、戦後現代詩を代表する詩人の谷川俊太郎(たにかわ・しゅんたろう)さんが13日、老衰のため死去した。92歳だった。葬儀は近親者で行った。後日「お別れの会」を開く予定。喪主は長男の音楽家賢作さん。

 どこが違うか。朝日新聞は、死んだ日にち、原因を明記している。さらに葬儀が近親者だけで行われたこと、「お別れの会」が予定されていること、喪主がだれなのかを書いている。読売新聞には、これが書いていないばかりか、死んだ日を「18日まで」と不明確なまま書いている。
 なぜなのか。
 読売新聞は、谷川俊太郎の死を、遺族から確認していないのだ。葬儀が行われたかどうか、喪主が誰なのかも確認していないのだ。つまり、読売新聞は「だれかからの伝聞」を信用して、「裏付け」をとらずに記事にしている。
 たぶん読売新聞の記者のだれかと懇意のひとが、記者に「情報」を漏らしたのである。記者は、谷川と親しい複数の「関係者」に接触、情報を確認はしたかもしれない。しかし、肉親(遺族)には確認していない。
 こんな失礼なことがあるだろうか。

 谷川賢作が、父の死をすぐに公表しなかったのには、それなりの理由があるだろう。静かに家族で見送りたい。十分に、家族で父のことをしのび、こころが落ち着いたあとで公表したいという気持ちがあったのかもしれない。
 その静かに父をしのぶ気持ちを、読売新聞は叩き壊したのである。読売新聞の報道を見て、多くのマスコミが問い合わせをしただろう。その対応に、遺族は大忙しではなかったか。もし、遺族が考えたように(というのは私の推測だけれど)、落ち着いてから公表するなら、あちこちからの「問い合わせ」にこたえるというようなことをしなくてすむだろ。もちろん公表したあとにも「問い合わせ」はあるだろうが、公表したあとなら、少しはこころの準備もできているだろう。
 
 読売新聞の対応もひどいが、その「情報」を漏らしただれかも、ほんとうにむごいことをする。谷川俊太郎と親しい人間なら、谷川俊太郎の意志を尊重するだろう。まさか、「私が死んだら、読売新聞に真っ先に知らせて、特ダネを書かせてやってくれ」と、そのだれかは頼まれたわけではないだろう。第一、そういうことなら、谷川俊太郎は、そのだれかにではなく、賢作や、その他の家族に伝えていることだろう。どう考えても、そのだれかが、谷川自身や、遺族から頼まれて読売新聞に知らせたわけではないだろう。
 これは完全な邪推のたぐいだが。
 その情報をリークしただれかは、「情報を教えたんだから、お礼に読売新聞に書かせて」とでも言ったのだろうか。言わなくても、情報を教えられた記者は、そのだれそれに原稿を書かせる手配をするかもしれない。原稿を書けば、「謝礼(原稿料)」は出る。谷川俊太郎の死を、その人たちは「商売」にしている。
 このことに、私は、激しい怒りを覚えたのである。

 11月17日の朝日新聞に掲載された「感謝」は、谷川の「最後の詩(絶筆)」かもしれない。その最終行。

感謝の念だけは残る

 谷川は、そう書いている。私は、この一行を読みながら、谷川が書いてきたことばはすべて「感謝」だったのだと気がついた。
 谷川の代表作は何か。「父の死」か、「鉄腕アトム」か「かっぱ」か。さらに、谷川は戦後現代詩のトップランナーか。谷川の作品は、歴史に残るか。そんなことは、どうでもいい。谷川のことばのなかには「感謝」が存在する。「生きている」ことに対するはてしない「感謝」が存在する。それは、残るのだ。
 私は、それと向き合う。
 谷川俊太郎が「ありがとう」と感謝のこころをあらわす、私はそれに対して「ありがとう」と答える。その対話、そのあいさつだけで、私はうれしい気持ちになる。

 その気持ちがあるなら、こんな文章など書かず、谷川俊太郎に対して「ありがとう」とつぶやいていろ、というひとがいるかもしれない。
 しかし、その「ありがとう」を交わすためには、なによりもまず、谷川俊太郎の「ありがとう」という声を聞き取らず、自分の「金儲け」を優先したひとがいたということを批判しておきたいのである。そうした、あまりにも人間的な(?)生き方は、谷川のことばの対極にあるものだろう。谷川を取り巻いていたひとのなかには、そうした人間的な(?)欲望を生きていたひともいることになる。寛大な谷川俊太郎は、そういうひとをも受け入れているのかもしれないが、私は、そこまで寛大になれない。

 怒りがおさまったら、谷川の詩について、また書いてみたい。「ありがとう」の気持ちをこめて。

 

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4 コメント

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谷川俊太郎の死と報道 (大井川賢治)
2024-11-21 03:53:42
詩はどこにあるか、の11月18日夕方のご投稿の内容は、おそらく谷川さんの最後の文章を教材にした、朝日カルチャーでの谷内さんの投稿ブログでありました
。谷川さんの死亡時とあまりに近かったので、私は、その時、18日のブログ投稿時点で、谷内さんは、内々に、谷川さんのご逝去を知ってられ(お仲間からの連絡で)、あえて、鎮魂の意味で、教室で、谷川さんを読まれたものとばかり、思っていました。
返信する
新聞が違います (一読者)
2024-11-22 03:12:53
東京では「20日の朝刊」ではなく、朝日、毎日、日経、読売の「19日の夕刊」で谷川さんの事が詳しく報道されていました。読売は19日の朝刊にも簡単な情報が出てました。あなたが住んでいる地域とは新聞の発行事情が違っています。そうことも考えた上で書いたほうがいいと思いますよ。谷川賢作さんの19日朝のfacebookの書き込みを読みましたか。葬儀は18日だったそうで、この時点では読売の報道はされていません。当然、静かに家族で見送ったことでしょう。あなたが怒る理由が何かありますか。
返信する
私の書いているのは事実です (谷内)
2024-11-23 23:19:01
>一読者 さんへ
>新聞が違います... への返信

私は「証拠」の新聞の写真も掲載しています。
谷川賢作が書いた文章は読みました。
読売新聞が19日朝刊で報道したため、あわてて書いたのでしょう。

新聞は、同じ日付の朝刊でも内容は違います。だから私は「西部版、14版」と書いています。
東京で発行されている新聞でも、すべてが「14版」ではありません。
私は東京の「最終版(14版)」見ていないので断言はできないけれど、西部の14版に掲載されているなら東京の14版にも掲載されているでしょう。大阪の14版にも掲載されているでしょう。
「○版」という表記は、紙面の左上にあります。
返信する
批判を書きました (谷内)
2024-11-24 18:20:32
>一読者 さんへ
>新聞が違います... への返信

「一読者」さんの書いたコメントに対する批判を書きました。

https://blog.goo.ne.jp/shokeimoji2005/e/2a5c9d8373c84b4d99aef76fff5ae94f
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