西脇順三郎の一行(104 )
この行にも「意味」以上に音の楽しさがある。「煩悩」「撲滅」は漢字で書いてしまうと堅苦しい。窮屈である。「ぼ」の頭韻があるのだが、漢字だと黙読のとき目が早く動きすぎて「音」が飛んでしまう。「意味」が先走りして「音」が消えてしまう。
ところが「ボクメツ」とカタカナで書くと、「意味」にたどりつくまでしばらく時間がかかる。そのあいだ「音」が響く。「ボクメツ」という表記と、ゆっくりした音が「煩悩」が「ぼんのう」という音であったことを思い出させる。
さらに付け加えると。「ぼんのう」も「ぼくめつ」も「かな」の文字数は4だが、声に出したときはかなり違う。「ん」は母音がなく、「う」も一音の長さが不完全である。「の」に吸収されていく。「く」と「つ」も母音がかなりよわい。「く」はほとんど発音されないかもしれない。漢字で書いてしまうと、その音の短さ(音の不完全さ?)が、「意味」をいっそう加速させる。
音、音楽に対する意識の強さが「ボクメツ」という表記方法をとらせている、と思う。西脇のいう「わざと」はこういうところにもあらわれているのかもしれない。
「ヒルガオ」
美は煩悩をボクメツすることから始まる (114 ページ)
この行にも「意味」以上に音の楽しさがある。「煩悩」「撲滅」は漢字で書いてしまうと堅苦しい。窮屈である。「ぼ」の頭韻があるのだが、漢字だと黙読のとき目が早く動きすぎて「音」が飛んでしまう。「意味」が先走りして「音」が消えてしまう。
ところが「ボクメツ」とカタカナで書くと、「意味」にたどりつくまでしばらく時間がかかる。そのあいだ「音」が響く。「ボクメツ」という表記と、ゆっくりした音が「煩悩」が「ぼんのう」という音であったことを思い出させる。
さらに付け加えると。「ぼんのう」も「ぼくめつ」も「かな」の文字数は4だが、声に出したときはかなり違う。「ん」は母音がなく、「う」も一音の長さが不完全である。「の」に吸収されていく。「く」と「つ」も母音がかなりよわい。「く」はほとんど発音されないかもしれない。漢字で書いてしまうと、その音の短さ(音の不完全さ?)が、「意味」をいっそう加速させる。
音、音楽に対する意識の強さが「ボクメツ」という表記方法をとらせている、と思う。西脇のいう「わざと」はこういうところにもあらわれているのかもしれない。