詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

西脇順三郎の一行(104 )

2014-03-02 06:00:00 | 西脇の一行
西脇順三郎の一行(104 )

「ヒルガオ」

美は煩悩をボクメツすることから始まる              (114 ページ)

 この行にも「意味」以上に音の楽しさがある。「煩悩」「撲滅」は漢字で書いてしまうと堅苦しい。窮屈である。「ぼ」の頭韻があるのだが、漢字だと黙読のとき目が早く動きすぎて「音」が飛んでしまう。「意味」が先走りして「音」が消えてしまう。
 ところが「ボクメツ」とカタカナで書くと、「意味」にたどりつくまでしばらく時間がかかる。そのあいだ「音」が響く。「ボクメツ」という表記と、ゆっくりした音が「煩悩」が「ぼんのう」という音であったことを思い出させる。
 さらに付け加えると。「ぼんのう」も「ぼくめつ」も「かな」の文字数は4だが、声に出したときはかなり違う。「ん」は母音がなく、「う」も一音の長さが不完全である。「の」に吸収されていく。「く」と「つ」も母音がかなりよわい。「く」はほとんど発音されないかもしれない。漢字で書いてしまうと、その音の短さ(音の不完全さ?)が、「意味」をいっそう加速させる。
 音、音楽に対する意識の強さが「ボクメツ」という表記方法をとらせている、と思う。西脇のいう「わざと」はこういうところにもあらわれているのかもしれない。


コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 北川透「ハルハリ島 変幻」 | トップ | 北条裕子『花眼』 »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
西脇順三郎ー104 (大井川賢治)
2024-02-17 22:14:48
ボクメツする、の音感的な意味に、僕は到達できなかったのですが、思想的な意味なら、その通りだと分かります。
返信する

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

西脇の一行」カテゴリの最新記事