西脇順三郎の一行(105 )
西脇の書き出しはどれも魅力的だ。この一行の「意味」は道玄坂にある店が冷や麦が料理として出すころに、ということだろう。「出す」ではなく「出る」というのは一般的かどうかわからないが、私は、おもしろいと思う。冷や麦が自分で出てくる感じが、「もの」が主役として動くところが印象的だ。
一行の音も好きだ。冷や麦の出回ること、それはたいてい一緒である。道玄坂で出るなら、丸の内や八王子でも出るだろう。でも、そうなると、音が違ってくる。
西脇は、ここでは単にある「季節」を記しているのではない。ある季節を書くと同時に、一行の音楽をつくっている。「どうげんざか」という濁音の多い音から、「ヒヤ」麦へと動くとき、その「ヒヤ」がとても美しい。
「桃」
道玄坂にヒヤ麦のでるころに
西脇の書き出しはどれも魅力的だ。この一行の「意味」は道玄坂にある店が冷や麦が料理として出すころに、ということだろう。「出す」ではなく「出る」というのは一般的かどうかわからないが、私は、おもしろいと思う。冷や麦が自分で出てくる感じが、「もの」が主役として動くところが印象的だ。
一行の音も好きだ。冷や麦の出回ること、それはたいてい一緒である。道玄坂で出るなら、丸の内や八王子でも出るだろう。でも、そうなると、音が違ってくる。
西脇は、ここでは単にある「季節」を記しているのではない。ある季節を書くと同時に、一行の音楽をつくっている。「どうげんざか」という濁音の多い音から、「ヒヤ」麦へと動くとき、その「ヒヤ」がとても美しい。