池田清子「秘密」、青柳俊哉「水平線上の祈り」、徳永孝「カラス」(朝日カルチャーセンター福岡、2020年09月29日)
学生時代の一人暮らし。アパートか、下宿か。1970年代の風景だ。私も他の受講生も、こうした空間、時間を経験してきたことがあるので、それぞれの青春を思い出し、共感が広がった。手作りのカレンダー、ロートレックには池田の個性が反映している。
その「個性」のさっと一筆書きしたような描写のあと。
四連目が印象的だ。
「何を」という目的語がなく、「知った」「学んだ」という具合に動詞がつづいていく。部屋の様子だけではなく、池田の「息づかい」のようなものが感じられる、という感想があった。
池田は、「怒った」など、「悪いことば」(否定的な印象を引き起こすことば)が足りないかなあ、反省していたが、私はこの連では「静かに声をたてて笑い」ということばが効果的だと思う。ここだけ、ことばが長い。「笑う」という動詞を説明している。
そして、その「静かに」ということば、内省的な響きのあることばが、つぎの「秘密」に静かに、深くつながっている。
私はこういう関係を「ことばの呼応」と呼んでいる。
もしこの部分が、「明るく声を上げて笑い」だったら、「秘密」は「秘密」ではなく「青春の宝石」になったかもしれない。四連目のなかに、よろこびや輝きを感じさせる動詞がもっと多かったかもしれない。
人に語らなかった秘密(内省)が、最後の「私」に結晶化していく。「私」がここに「在る」というとき、それは肉体的な「存在」だけを意味するのではない。精神や感情を含んだ「内的立体性」をともなっている。
何気ないように書かれているが、だれにでも共通する「三畳一間」からはじまり、「手作りのカレンダー」というたったひとつのもの、個性的なものを媒介にして、様々な自己を動詞で描写し、そこから「秘密」を経て、「今の私」までことばを運ぶ。このことばの運動はとても自然だ。
*
この作品には、多くの「ことばの呼応」がある。
一連目、一行目の「はれやかな舌」について考えてみよう。「はれやかな舌」とは何か。労働を終えたあと、舌ははれやかだろうか。むしろ肉体の疲れのために、はれやかとは違うものが舌を支配していることが多いだろう。苦さ、酸っぱさが舌を刺戟しているかもしれない。けれど青柳は、「はれやか」と書く。
ここには「はれやかな舌」ということばを読んだだけではとらえきれないものがあるのだ。
「はれやか」に似たことばに「祝福」がある。「祝福」に似たことば「ワイン」がある。「祝福」のとき「ワイン」を飲む。そうすると、この一連目は、全体としては、働いたあと、食べて、飲んで、一日を祝福する。そういう雰囲気が「舌」のよろこびをよみがえらせているということにならないだろうか。「空から注がれる」ということばは「祝福」を強調するだろう。そのとき「はれやかな空」ということばを思い浮かべる人もいるかもしれない。
文法的には「はれやかな」は「舌」を修飾している。だが、コンテキストの全体としては「舌」というよりも、労働のあとの「お祭り」を表現している。「祝祭」を先取りするようにして動いている。
こういうことばが動くと、詩は,とても生き生きとしてくる。
三連目の「光を失っていく言葉」という表現も、とてもおもしろい。「水平線のうえの 光を失っていく」ということばにつづくのは、ふつうは「太陽」だろう。たぶん、これは「太陽」の比喩なのだ。沈んでいく太陽の前を荷物を満載した船が横切る。そのときできるシルエットは「祭壇」のように見える。「祭壇」も比喩である。比喩とは「言葉」であらわした何かである。「言葉」そのものである。船のシルエットを「言葉」で「祭壇」と名づけたとき、そこに「祭壇」が浮かびあがる(きずかれる)のだ。
この「祭壇」には一連目の「祝祭」や「空」も関係しているだろう。「空」は「天」であり、「神」でもある。
「言葉」はこのとき、「太陽」の比喩というよりも、人間のこころの動きをあらわす「総体」になる。「言葉」で一日を振り返り、「言葉」で一日をつなぎとめる。そして、いのる。
地中海やギリシャの海を連想させる明るく澄み切った世界だ。
*
この詩は、長い。最初の三連は日常の風景を描いている。それが四連目から「植民地星」という架空の場が舞台になる。この瞬間、一、二、三連は「架空の場」として読み直され、そこに登場するカラスも日常と架空を結ぶ存在となるのだが、その二重性がうまく動いているとは感じられない。
「こう質の羽は金属質にかがやきはるか遠くまで滑空する」という魅力的な行がある。そういうことばを利用してカラスが二重させ、パチンコ店なども二重させる。ことばが「呼応する」感じが強くなると世界は生き生きしてくると思う。
ドームの街とパチンコ店、カラスが二重になると、読者の想像力の中では、たとえば「侵入してくるもの」がいま世界を騒がせている「コロナウィルス」の比喩のようにして動く(世界をさらに二重化する)。ここに書かれていることは、空想なのだろうか。それともいまを象徴しているのだろうか。そういうことを読者に考えさせるようになると詩はおもしろくなると思う。
ただし。
そのときは、最初に書いたことと矛盾するが、この長さでは足りないかもしれない。詩ではなく「小説」になるかもしれない。
受講生から「最後の二行はいらない」という指摘が出たが、私もそう思う。
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秘密 池田清子
三畳一間 三千円
半畳の押し入れ付き
本間の一帖は広かった
部屋にも玄関にも鍵はない
机とこたつとりんご箱
西日だけがよく入った
マーガリンはどろどろ
首筋にあせもができた
壁には手作りの大きなカレンダー
ロートレックの絵に十二カ月の日付をつけた
隣とはベニア板一枚 音楽がグラグラ
知った 学んだ 迷った 聞いた 話した
驚き つまずき 見つけ 考え あせった
没頭し 気づき 沈み あきらめた
静かに声をたてて笑い 思い 想った
三畳の部屋は 秘密にあふれていた
そして 今 私は
ここに こうして 在る
学生時代の一人暮らし。アパートか、下宿か。1970年代の風景だ。私も他の受講生も、こうした空間、時間を経験してきたことがあるので、それぞれの青春を思い出し、共感が広がった。手作りのカレンダー、ロートレックには池田の個性が反映している。
その「個性」のさっと一筆書きしたような描写のあと。
四連目が印象的だ。
「何を」という目的語がなく、「知った」「学んだ」という具合に動詞がつづいていく。部屋の様子だけではなく、池田の「息づかい」のようなものが感じられる、という感想があった。
池田は、「怒った」など、「悪いことば」(否定的な印象を引き起こすことば)が足りないかなあ、反省していたが、私はこの連では「静かに声をたてて笑い」ということばが効果的だと思う。ここだけ、ことばが長い。「笑う」という動詞を説明している。
そして、その「静かに」ということば、内省的な響きのあることばが、つぎの「秘密」に静かに、深くつながっている。
私はこういう関係を「ことばの呼応」と呼んでいる。
もしこの部分が、「明るく声を上げて笑い」だったら、「秘密」は「秘密」ではなく「青春の宝石」になったかもしれない。四連目のなかに、よろこびや輝きを感じさせる動詞がもっと多かったかもしれない。
人に語らなかった秘密(内省)が、最後の「私」に結晶化していく。「私」がここに「在る」というとき、それは肉体的な「存在」だけを意味するのではない。精神や感情を含んだ「内的立体性」をともなっている。
何気ないように書かれているが、だれにでも共通する「三畳一間」からはじまり、「手作りのカレンダー」というたったひとつのもの、個性的なものを媒介にして、様々な自己を動詞で描写し、そこから「秘密」を経て、「今の私」までことばを運ぶ。このことばの運動はとても自然だ。
*
水平線上の祈り 青柳俊哉
労働を終えたはれやかな舌へ
祝福される 一日の光に焼かれた
黄色いナスと
空から注がれる自家製の白いワイン
菜園の果てを上りつめて石垣に腰かけ
巨大な梨のような太陽が
海中に没していくのをみた
一日の終わりの 深い眠りの中へ
水平線のうえの 光を失っていく言葉が
葡萄(ぶどう)や玉蜀黍(とうもろこし)を積んだ船の祭壇をきずいて
海の太陽に祈る
あすの労働の すこやかな実りへ
この作品には、多くの「ことばの呼応」がある。
一連目、一行目の「はれやかな舌」について考えてみよう。「はれやかな舌」とは何か。労働を終えたあと、舌ははれやかだろうか。むしろ肉体の疲れのために、はれやかとは違うものが舌を支配していることが多いだろう。苦さ、酸っぱさが舌を刺戟しているかもしれない。けれど青柳は、「はれやか」と書く。
ここには「はれやかな舌」ということばを読んだだけではとらえきれないものがあるのだ。
「はれやか」に似たことばに「祝福」がある。「祝福」に似たことば「ワイン」がある。「祝福」のとき「ワイン」を飲む。そうすると、この一連目は、全体としては、働いたあと、食べて、飲んで、一日を祝福する。そういう雰囲気が「舌」のよろこびをよみがえらせているということにならないだろうか。「空から注がれる」ということばは「祝福」を強調するだろう。そのとき「はれやかな空」ということばを思い浮かべる人もいるかもしれない。
文法的には「はれやかな」は「舌」を修飾している。だが、コンテキストの全体としては「舌」というよりも、労働のあとの「お祭り」を表現している。「祝祭」を先取りするようにして動いている。
こういうことばが動くと、詩は,とても生き生きとしてくる。
三連目の「光を失っていく言葉」という表現も、とてもおもしろい。「水平線のうえの 光を失っていく」ということばにつづくのは、ふつうは「太陽」だろう。たぶん、これは「太陽」の比喩なのだ。沈んでいく太陽の前を荷物を満載した船が横切る。そのときできるシルエットは「祭壇」のように見える。「祭壇」も比喩である。比喩とは「言葉」であらわした何かである。「言葉」そのものである。船のシルエットを「言葉」で「祭壇」と名づけたとき、そこに「祭壇」が浮かびあがる(きずかれる)のだ。
この「祭壇」には一連目の「祝祭」や「空」も関係しているだろう。「空」は「天」であり、「神」でもある。
「言葉」はこのとき、「太陽」の比喩というよりも、人間のこころの動きをあらわす「総体」になる。「言葉」で一日を振り返り、「言葉」で一日をつなぎとめる。そして、いのる。
地中海やギリシャの海を連想させる明るく澄み切った世界だ。
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カラス 徳永孝
パチンコ店のビルの上 バルコニー
送電線 電柱の上
その先に広がる枯れた畑
何千 何万のカラス
大きな群れ 小さな集まり
じっとしているもの 互いに話すようにしているもの
時に数十羽が飛びたち
また どこかからか戻ってくる
遠くの家並みは
人の気配が無く 車も通らない
ここは見すてられた植民地星
発見されたときはパラダイスと言われた
温暖な気候 豊富な水 四季さえ有る
地球に似た生物
多くの人が移住してきた
しかしこの星の生物は
全て地球生命に毒だった
人々はてってい的に消毒しドームを作り
その居住地を広げていった
だが原生生物の死がいやかけらは
雨やあらしにまぎれドームのすきまから侵入してくる
そのたびに人々はけんめいに排除した
その努力もついに力つき
じょじょにこの星を離れる人が増え
ついに完全に放棄された
でも あきらめきれず きどうえいせい星から観測をつづける
時々、我々のような調査隊が地上に降りたち
何らかの変化がないか調べるが
何の違いも無い
カラスは原生生物で
地球のカラスに似ているのでそう呼んでいるだけ
もっと大きく力強い
こう質の羽は金属質にかがやきはるか遠くまで滑空する
人類の侵入など
かれらにはほんの一エピソードにすぎないのだろう
いつか人類がこの星を征ふくできるのか?
それとも彼らの世界に侵入しようとするのは
人類のごうまんなのか?
答は、まだ見つからない
なんてことを 空想し
遊んでいます
この詩は、長い。最初の三連は日常の風景を描いている。それが四連目から「植民地星」という架空の場が舞台になる。この瞬間、一、二、三連は「架空の場」として読み直され、そこに登場するカラスも日常と架空を結ぶ存在となるのだが、その二重性がうまく動いているとは感じられない。
「こう質の羽は金属質にかがやきはるか遠くまで滑空する」という魅力的な行がある。そういうことばを利用してカラスが二重させ、パチンコ店なども二重させる。ことばが「呼応する」感じが強くなると世界は生き生きしてくると思う。
ドームの街とパチンコ店、カラスが二重になると、読者の想像力の中では、たとえば「侵入してくるもの」がいま世界を騒がせている「コロナウィルス」の比喩のようにして動く(世界をさらに二重化する)。ここに書かれていることは、空想なのだろうか。それともいまを象徴しているのだろうか。そういうことを読者に考えさせるようになると詩はおもしろくなると思う。
ただし。
そのときは、最初に書いたことと矛盾するが、この長さでは足りないかもしれない。詩ではなく「小説」になるかもしれない。
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毎月第1、第3月曜日13時-14時30分。
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