私はスペインの友人から、スペイン語をならっている。その友人が、こんな「課題」を出した。
Si Mahoma no va a la montaña, la montaña va a Mahoma.
Explica el significado de la frase y escribe algún ejemplo.
「もしマホメッドが山へ行かないのなら、山がマホプッドの方へゆく。この諺の意味を説明し、その具体例を書け」
何のことか、その諺自身の「意味」もよくわからない。山が動くということはありえない。だから、何かを熱望したとき、常識では考えられないことが起きる、くらいの「意味」を想像し、こんな文章を書いた。(私の「解釈」は完全な間違いなので、結果的にとんちんかんな作文になってしまったのだが、何かしら友人を刺戟したようである。で、ちょっと書き残しておくことにした。)
Al leer un libro, a veces tengo experiencias extrañas.
Leer un libro significa visitar al autor del libro. Quiero saber sobre el autor. Poco a poco me gustan las ideas del autor y quiero leer más.
Mientras sigo leyendo sus libros, un día el autor me visitará. A veces me encuentro con palabras que me dan fuerte impresión, como si el autor viniera a mí desde dentro del libro, en lugar de que yo entrara en él.
"Aislamiento(鎖国)" de Tetsuro Watsuji(和辻哲郎). Un barco español dió la vuelta al mundo. Cuando regresó a España, descubrió que la fecha de su cuaderno de bitácora era un día diferente a la fecha de España.
Ahora todo el mundo conoce la línea de fecha internacional. Pero en esa época nadie lo sabía. Se puede decir que descubrió la línea internacional de cambio de fecha. Esta es una hazaña aún mayor que la llegada de Colón a América, yo lo pienso.
Desde que encontré este artículo, Tetsuro Watsuji me ha gustado aún más. Cuando amo a alguien, esa persona me busca. El me ama más que le amo.
訳しみてると、(というのは、変な言い方だが)、こんな感じになる。
本を読んでいると時々不思議な体験をする。本を読むということは、その本の著者を訪ねること。私は、作者について知りたい。読むにしたがって、少しずつ作者の考え方が気に入り、もっと読みたくなってくる。
そして、その著者の本を読み続けていると、ある日、著者が私を訪ねてくる。時々、私が本の中へ入って行くのではなく、著者が本の中からやって来たかのような、強く印象に残る言葉に出会うことがる。
和辻哲郎の『鎖国』。そこに、こういうことが書かれている。スペインの船が世界一周した。船がスペインに戻ったとき、航海日誌の日付がスペインの日付と異なることに気づく。
今では誰もが日付変更線を知っている。しかし、当時は誰も知らなかった。航海日誌をつけていた人は日付変更線を発見したとも言える。これはコロンブスのアメリカ到達よりもさらに偉大な偉業だと私は思う。
この文章に出合ってから、私は和辻哲郎がさらに好きになった。私が誰かを愛するとき、その人は私を探す。彼は私が彼を愛する以上に私を愛してくれる。そして、誰にも告げなかったことを、私に語ってくれる。
*
こういうことを、私はしばしば体験する。私が本を読んでいるのだが、それがいつのまにか立場が逆転して、筆者が私に何か「秘密」を語ってくれているような気持ちになる。そして、そういうことが起きるのは、筆者が私のことを好きだからなのだ。筆者は、私を探して本のなかから姿を現しているのだ。
これはもちろん「ひとりよがり」なのだが、私は自己中心的な人間だから、「ひとりよがり」の瞬間が、いちばん幸福である。
で。
スペイン語では書けなかったことを、書いておく。
なぜ「鎖国」のあの文章が好きなのか。
アメリカ大陸は、そこに存在する。たとえコロンブスがたどりつかなくても、誰かがたどりつく。それは「客観的」というか、目に見える「事実」だからである。ところが「日付変更線」は、目に見えない。いまは便宜上、太平洋の真ん中ら引かれているが、それは「世界時間」の基準がロンドンにあるからである。もしそれが東京、あるいは北京、さらにはニューヨークにおかれていたら日付変更線の位置は違ってくる。「客観的」には存在しないものが、「存在させられている」。
そして、なによりもおもしろいのは、それを「発見」(あるいは発明)したのは、「思考」である。さらにその「思考」を支えているのが、「航海日誌」をつけるという、地道な日々の積み重ねであるということなのだ。もし、航海士が毎日日記をつけるということをしていなかったら、「日にちが違う」ということに、だれも気がつかなかった。
「世界」を統一的にながめ、そこに起きていることを知るためには「日付変更線」が必要ということに、だれも気がつかなかった。
ここから、私は、さらに考えるのである。
私は詩の感想を書き、小説の感想を書き、映画の感想を書いている。そのとき、「感想の出発点」となるのは、私の「くらし」である。航海士が「日誌」をつけるように、私は、毎日ことばを「動かしている」。それは必ずしも「記録」としてのこしているわけではないが、肉体のなかにはその記憶が積み重なっている。
それが、ある日、だれかの「ことば」と出合う。そして、その瞬間、「あ、このひとのことばは、私のことばと違っている」と気づく。同じことばなのに、何か違う。それは世界一周した航海士が「日付が違う」と気づくのに似ている。「いま、ここに、おなじ日にいるはずなのに、それが違ってしまうということが起きる」。
「日付変更線」ではなく、私は、ある瞬間「自他区別線」というものを発見するのである。
私が、そのことを強く意識したのは、谷川俊太郎の「女に」を読んだときだった。その詩集のなかに、一回だけ「少しずつ」ということばが出てくる。そのことばのつかい方は、私の知っている意味だったけれど、私はそんなふうにつかったことがなかった。あ、これが谷川俊太郎なのだ、と気がついたのである。
そして、それは私が谷川俊太郎を探し当てたというよりも、何かしら、谷川俊太郎が私に会いに来てくれたという感じの驚きだった。
現実には、そういうことはありえない。しかし、そういう非現実が起きる、ということを私は感じている。「ひとりよがり」なのだけれど。
何かが「好き」になるとき、いつも、そういうことが起きる。
前回、詩の講座で入沢康夫の「未確認飛行物体」を読んだときも同じである。「大好きな」ということばが、向こうからやってきた。私が探し出すのではなく、入沢康夫の「大好きな」ということばが、私の方に会いに来てくれた。
こういうとき、私は、興奮してしまう。
で。
どうしても少し補足しておきたいのだが、こういうとき、その「自他」の「日付変更線」になりうることばというのは、いわゆる哲学用語の解説書に書いてあるような「特別なことば」ではなく、私が日常的に、無意識につかっていることばである。谷川の「少しずつ」も、入沢の「大好き(な)」も、意味も考えずにつかっている。そして、意味も考えずにつかっているからこそ、そこに「意味」があらわれたとき、びっくりする。
航海士が「日誌」を大事なものとして書き続けたように、谷川は「少しずつ」を、入沢は「大好きな」を、しっかり大切につかいつづけてきた。その結果として、それがある瞬間に「輝く」。そして、その「輝き」は、「日付変更線」の「発見」のように、生きていれば自然に出合うことがあるものではなく、あくまでも「主体的」にことばを動かしていくときにだけ、その「主体」のなかにあらわれてくるものなのである。
ほんとうは、ここまでをスペイン語で書きたいが、書けないなあ。
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