大岡昇平「レイテ戦記」(全集9、筑摩書房)のなかに、こんな文章がある。「十 神風」の204ページ。大岡は、ある特攻隊志願兵の決意を称揚する文章(指揮官が書いた)を引用したあと、こう書いている。
私には、黙って俯向いていた五秒間に、大尉の心中に去来した想念の方が重く感じられる。
私は、この文章の「私には」が非常に重く感じられる。あ、大岡昇平だと叫んでしまう。大岡の書いている文章は、「私」という主語を省略し、たとえば「大尉の心中に去来した想念の方が重かったのではないか」という具合にも書くことができる。「戦記」全体が主観を退けるように書かれている。「私」という主語が明記されることは少ない。しかし、大岡は、ここでは「私」を、なんとしても書いておきたかったのだ。
つづいて、こういう文章もある。
基地の兵舎で、特攻と決意してから出撃までの幾日かの間、あるいは飛び立ってから、目標に達するまでの何時間かの間は、人間に最も過酷な生を強いる、と私には思われる。
ここにも「私には」ということばがつかわれている。「私に」、あるいは「私は」ではなく両方とも「私には」であることに、私は揺り動かされる。私は大岡を文章でしか知らないが、「私には」があらわれたとき、目の前に大岡がいる感じがするのである。活字のなかから、人間がすっとあらわれて、ことばを言っていると感じる。人間の存在の迫力を感じる。
大岡を「正直」と感じるのは、こういうときである。「正直」というのは、なんというか、人間の「枠」を突き破ってあらわれる。
211ページには、こういう文章もある。
ただ確かなのは、この頃は特攻実施について、技術的な問題が存在したということである。
「確かな」も「私には」と同じ強調である。しかも強調しようとして書いたものではなく、自然に出てきてしまう「確かな」である。大岡には、書かなければならないこと、言わなければならないことがあるのだ。
その正直な気持ちが、たんたんとした文章の中に、ふいに噴出してくる。
私は「こころは存在しない」と考えているが、もし「こころがある」とするならば、それは大岡の書いている「私には」や「確かに」ということばとなって噴出してくるものだと信じている。そのひとが「肉体」のなかにしまっておくことができないもの、どうしても「あふれでてきてしまうもの」が「こころ」だろうと思う。
そして、詭弁のように聞こえるかもしれないが、「こころ」は「あふれでてしまうもの/あふれでてしまったもの」だから、やっぱりそれは「ひとのなか」には存在しないと言えると思う。「あふれでなかった」ら、だれも「こころ」に気がつかないのだから。
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