この間、「オタク」がこだわってきた例のファン教授疑惑が、ついに
最終局面を迎えた。以下、今夜の段階で「オタク」の目を引いた
いくつかの報道を翻訳文と共に紹介する。
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■ "오늘은 한국 과학계의 국치일"
「今日は韓国科学界の国恥記念日」
(連合ニュース 12月15日)
서울대의대 이왕재 연구부학장 "줄기세포는 없다"
ソウル大学医学部 イ・ワンジェ副部長 「ES細胞はない」
이왕재 서울대의대 연구부학장은 15일 연합뉴스와 가진 전화
인터뷰에서 "황우석 교수팀이 배양에 성공했다고 보고한
배아줄기세포는 없는 것으로 확인됐다"고 밝혔다.
イ・ワンジェ、ソウル大医学部副部長(研究担当)は15日、連合
ニュースの電話インタビューに対し「ファン・ウソク教授チームが
培養に成功したと報告したES細胞は存在しないことが確認され
た」と明らかにした。
그는 "황 교수팀으로부터 배아줄기세포가 없다는 사실을 이미
확인했고, 안규리 교수도 이런 사실을 알고 있다"면서 "오늘을
한국 과학계의 국치일로 선언해도 좋다"고 덧붙였다.
イ副部長は「ファン教授チームからES細胞がないという事実を
すでに確認しており、アン・キュリ教授もこうした事実を知っている」
とした上で「今日を韓国科学界の国恥日だと宣言してもよい」と
述べた。
■ 정부 `망연자실'..긴급 대책회의 수습방안 논의
政府 「茫然自失」..緊急対策会議 収拾策論議
(連合ニュース 12月15日)
■ "초지일관 〈프레시안〉에 술 한잔 사고 싶다"
初志一貫<プレシアン>にお酒の一杯でもおごりたい
(プレシアン 12月16日)
15일 황우석 교수의 줄기세포논문 공동저자인 노성일
미즈메디병원 이사장이 "줄기세포는 없다"고 밝히자, 그 동안
일관되게 이 문제를 지적해 온 〈프레시안〉게시판에는 격려의
글이 쏟아졌다.
15日、ファン・ウソク教授のES細胞論文共同執筆者である
ノ・ソンイル、ミズメディ病院理事長が「ES細胞はない」と発表するや、
この間、一貫してこの問題を指摘してきた<プレシアン>の
掲示板には激励の書き込みが殺到した。
(掲示板の書き込みより)
"연구 흉내만 낸 황 박사와 그 배후 언론플레이팀이 수백억대의
연구비를 어디에 썼는지 철저히 조사하라"
"연구비 횡령이나 유용은 물론 사건이 이 지경이 되도록 검증없이
국책과제로 밀어붙인 정부에도 책임을 물어야 한다"
研究のまねだけしてきたファン博士と、その背後にいた言論工作
チームが数百億の研究費をどこに使ったのか徹底的に調査しろ。
研究費の横領や流用はもちろん、事件がここまで大きくなるまで
何の検証もなしに国策課題として推進してきた政府の責任も
追及しなくてはならない。
"논란 과정에서 제보자를 죄인 취급한 모든 언론도 책임을
피해가기 어렵다"
"제보자들과 언론의 뭇매에도 꿋꿋이 정직한 보도를 해준
프레시안과 PD수첩이 한국 과학을 살렸다고 해도 과언이 아니다"
騒動の過程で内部告発者を罪人扱いしてきた全てのマスコミも
責任をまぬかれない。内部告発者、それにマスコミの袋叩きにも
ひるまず堂々と正直な報道をしてくれたプレシアンとPD手帳が
韓国の科学を救ってくれたと言っても過言ではない。
"이성을 차려야 할 때, 공정해야 할 때 그렇지 못했던 사회
고위층과 족벌언론들이 앞으로도 계속해서 이런 꼴값들을 떨
생각을 하니 암담하다"
"이런 상황에서 공포감을 느끼면서도 꾸준하게 문제점을 지적해
준 프레시안을 비롯해 최초 문제를 방영해 준 MBC PD수첩에도
고마움을 전한다"
理性的に対処すべき時、公正に対処すべき時、それができなかった
社会の指導層と一族支配体制の大手新聞社がこれからもこういう
おそまつな行動を続けるかと思うと、暗澹たる気分だ。
こういう状況の中で恐怖感さえ感じながら、粘り強く問題点を指摘し
てくれたプレシアンや最初にこの問題を放送してくれたMBCの
PD手帳にも感謝の気持ちを伝えたい。
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今、「オタク」は妙な感動を覚えている。
インターネットを通じて一連のファン教授疑惑をめぐる韓国社会の
動きを観察してきたが、まるで、一編の社会派「大作映画」を
見終わったかのような錯覚さえ覚える。
だから、という訳でもないが、以前紹介した「オタク」の一番好きな
韓国映画、「彼らも僕たちのように」のラストシーンから、主人公の
独白を再度、ここで紹介することにする。
우리들이 오늘을 뭐라 부르든간에
이미 변화는 시작되었다.
사라져야 할 것들은 오늘의 어둠에 절망하지만
보다 찬란한 내일을 사는 사람들은
오늘의 어둠을 희망이라 부른다.
僕たちが今日を何と呼ぼうと
すでに変化は始まった。
消え去らねばならぬものたちは、今日の暗闇に絶望するが、
もっと輝かしい明日に生きる人々は
今日の暗闇を希望と呼ぶ。
(終わり)
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