先日、福岡市で開かれた組合関係の小さな学習会に
参加した。
学習会が終わった後、福岡市の東区内にある5、6ヶ所の
史跡を探訪した。
事前に案内役の人から地図や資料を元に簡単な説明を
受けた後、総勢10名ほどで馬出(まいだし)、箱崎の町を
散策した。
△芭蕉の句碑(左)と「お綱母子の墓」(右)
見学した史跡のうち、枯野塚の説明文にだけ韓国語が
併記されていたので記念に撮影してきた。
何でもないような小さな史跡にも4ヶ国語(日・英・中・韓)の
説明文を併記する姿勢には、大いに好感が持てた。
△説明文の韓国語部分
ただし、説明文のすぐ前(芭蕉の句碑の右横)に建って
いるのは、なぜか、句碑とは全く無関係の「お綱母子の墓」。
こちらのお墓は、本来建っていた場所から移設された
ものらしいが、説明文との位置関係はいただけない。
ところで、博多版お岩さんとも呼べるお綱をめぐる怪談は、
お岩さんの物語(四谷怪談)よりも、よっぽど恐ろしい。
怪談のおおよその内容は以下の通りである。
・・ ・・
お綱は、黒田藩藩士の妻として幸せに暮らしていた。
ところが、主君から美しい側室を第2夫人として
譲り受けた夫がその女性にうつつを抜かし、本妻の
お綱や子どもたちをないがしろにするようになってしまった。
夫の度重なる薄情な仕打ちに耐えかねたお綱は、
ついに、夫を討った後、自害することを決意した。
白装束に身を包んだお綱は、まず、2人の幼い子どもを
殺害、風呂敷に包んだ子どもの生首二つを腰に下げ、
薙刀(なぎなた)を脇に夫を討ちに向かった。
まさに狂乱した鬼女の姿である。
しかし、結局、夫にたどり着く前に返り討ちにあって
しまったお綱は、城門に手をかけたまま無念の最期を
遂げる(「お綱門」の伝承)。
そうして、お綱の怨念は悪霊と化した。
亡霊となったお綱は夫を狂い死にさせ、自らを切った
武士も死へと追いつめていく・・・。
・・ ・・
何とも恐ろしい話ではないか。
お綱さんの霊に祟(たた)られたくなかったら、博多で
だけは不輪しないことである。
△「わざと不林の漢字を間違えるなアッ!」
特に、妻子持ちの男性読者には、博多に行くたびに
思い出してもらいたいのが、このお綱さんの怪談である。
△「綱屋天神」、「鯨塚」を後にする参加者たち
参加者の中にはお綱母子の墓をポンポン叩いたり、
なで回すなど無神経な行動を取る者もいたが、「ヲタク」は
理解に苦しんだ。
△「ヲタクさん・・・、真剣な顔して
お綱母子の墓に手を合わせてましたよね。
博多の街に何かやましいことでも
あるんですか?うふふ」
(終わり)
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