いいクルマが
好きだ。
男ですから。
テレビはあまり見ないので、このしゃれたキャッチコピーの「オデッセイ」のCMもあまり見る機会がないのだが、たまに見ると今日も一日いいことがあるかもしれないと思う。そういうジョージ・クルーニーのミーハーなファンな私にとってはぴったりの映画だ。
「面白かったけれど、じゃ1年後にこの映画のことを覚えているかといったら覚えていないよね~」と月イチゴローの映画コーナーで稲垣吾郎はあっさりと語っていたが、その通り。1年後といわず、半年も怪しいものだが、なんだかちょっと洒落ていたな位が丁度いいのだ。このちょっとという洒落具合はなかなか万人に求めるのは難しいのだ。
1920年代のアメリカ。
プロフットボールのベテランプレイヤーと戦争で大活躍をしたアメリカのヒーロー弾丸青年選手、そして弾丸青年選手の記事を書こうとシカゴトリビューンから派遣されてきた女性記者。
ベテラン選手に年齢から来る焦りはないし、弾丸青年は自分の若さを過信し慢心することもない。年齢から来る経験度合いで、ややベテラン選手にずるがしこさが見え隠れするものの、それは人生のスパイス、駆け引き程度のものだ。女性記者もスクープは欲しいけれど、お色気作戦で弾丸青年に近づくわけでもなし。
騙し合いでもなく、裏切りでもなく、かけひき程度なのがややのんびりした20年代のアメリカにぴったりなのだ。
しかし映画の内容が恋の駆け引きでも、タイトルがそのまま「かけひきは、恋のはじまり」となるとこれは洒落度合いがぐーんと下がってしまう。
では何かいい邦題があるのかといわれると、これは困ってしまうが。。。。
ツイードのスーツや、鳥の羽が付いた帽子とか、20年らしいクラシカルな装いがお洒落。アメフトの試合の場面も、まだプロテクターがないそのユニフォームなども同じようにクラシカル。泥まみれになるフットボールの試合場面でも、皆体格がいいので貧弱な感じはせず。ジョージ・クルーニーも泥だらけになり顔の判別さえ付かなくなってしまうのだが、その歯の白さで、観客には分かるようになっているのだ。