なんか思ってたのとはだいぶ違ったけど、最後は派手にぶち上げて終わった感じ。
でも、まさにその「派手」なところが、うーん、そうか???、ってなったところだけどね。
まぁ、最後にシャドウ自身に、ちょっと目立ちすぎたか、って言わせてるから、アニメの制作陣はわかってて、派手な方に振ったのだろうけど。
でも、やっぱりこれじゃぁ、「陰の実力者」じゃなくて、ただの「魔人」だよね。
全然、スタイリッシュじゃない。
加えて、表の舞台でシャドウと知り合った人間がことごとくヤンデレ化していくのもちょっと違うなぁ、と思った。
アイリスが完全にキチガイになっていたし、シェリーも「シャドウ殺すガール」になっていたし。
なんだろうなぁ、原作もコミックもこのあたり、もう少しそういうドロドロした感情は「隠して」いて、状況から「推して知るべし」って感じで表現していたと思うんだよね。
つまり、前回の感想でも触れたと思うけど、アニメの表現には、シド/シャドウが一応は持っているスタイリッシュな「美学」がスポッと抜け落ちてしまっている。
正確に言えば、周りから見たらこの一線は越えないと思わせる何かが一応シャドウにはあって、そのシャドウに対する、いい意味での誤解が、七陰以下シャドウガーデンをシャドウに対する信奉の下で結束させているのだけど。
そういう誤解を含めてのシド/シャドウの美学の空気を描けなかったのは、成功とはいいがたいんじゃないかな。
シドからすれば、ただ「シャドウガーデンごっこ」をしているだけなのだけど、彼がそのごっこで衒いもなく示す厨二病的なゴシック趣味に根ざした美学が、その実、七陰と、あとアレクシアあたりにはむしろ崇高な、自分たちも目指すべきものに見えてしまった、というのが大事だったはずなのだけどね。
ベータの文学や、イプシロンのピアノがその典型で。
ガンマも、なんとかシャドウに応えたいから、自分が示せる最大限の貢献ということで、商才という才能を磨いたわけで。
でも、それって要するに、商人が芸術家に貢ぐのと同じ発想のはずなんだよ。
ついでにいえば、ベアトリクスとアンネローゼには、シャドウの武を極める美学には感じ入るところがあったようだったし、ローズ先輩もそのひとりだったはず。
そういう、シドには全然その気がないのに、周りが勝手に彼の中に凄いものを見出すからこそ、成立している、コメディとシリアスが微妙な塩梅で組み合わさった物語。
それがこの作品の、もともとの面白さだと思うのだよね。
それなのに、アニメでは、シドと関わった表の人たちの多くが鬼畜に堕ちていく話にしてしまった。
だから、やっぱりちょっと違うなぁ、素直にこの路線で2期は期待したくないなぁ、と思わせる一方、でも無法都市編とか、確かに見てみたいよなぁ、と結構、困った気にさせる。
もう少し品のいい表現でやってくれればよかったんだけどな。
とにかく、女性剣士たちの怒り顔がみんな同じキツネ顔のキチガイ顔だったのだけはどうにもダメだった。
多分あの顔が最後まで生理的に受け付けられなかった。
結局のところ、キャラデザと作監のテイストが全然合わなかったってことなんだけどさ。
とにかく女性キャラがみんなヒステリックでキツイ感じに描かれていたのがどうにもダメだった。
目をクワっと明けてキチガイ笑いするところなんて、誰がやっても同じだったからねw
単調にも程があるw
最終回ではシャドウですらそうだった。
シャドウとアイリスが同じキチガイ顔するかよ?って思わない? いや、マジで?
そういう意味では、以後、あまり関わってこないベアトリクスやアンネローゼとかは鬼畜落ちしないで終わらせたくれたのだけはほっとした。
ということで、なんとも微妙な感想。
原作もコミックもそれぞれ面白いのに、どうしてこうなった?ってのが総評。
その意味では、『チェンソーマン』と同じ不満だった。
シドに加えて、アルファにベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの芝居はどれも良かっただけに、ホント、微妙に残念。
でも、まさにその「派手」なところが、うーん、そうか???、ってなったところだけどね。
まぁ、最後にシャドウ自身に、ちょっと目立ちすぎたか、って言わせてるから、アニメの制作陣はわかってて、派手な方に振ったのだろうけど。
でも、やっぱりこれじゃぁ、「陰の実力者」じゃなくて、ただの「魔人」だよね。
全然、スタイリッシュじゃない。
加えて、表の舞台でシャドウと知り合った人間がことごとくヤンデレ化していくのもちょっと違うなぁ、と思った。
アイリスが完全にキチガイになっていたし、シェリーも「シャドウ殺すガール」になっていたし。
なんだろうなぁ、原作もコミックもこのあたり、もう少しそういうドロドロした感情は「隠して」いて、状況から「推して知るべし」って感じで表現していたと思うんだよね。
つまり、前回の感想でも触れたと思うけど、アニメの表現には、シド/シャドウが一応は持っているスタイリッシュな「美学」がスポッと抜け落ちてしまっている。
正確に言えば、周りから見たらこの一線は越えないと思わせる何かが一応シャドウにはあって、そのシャドウに対する、いい意味での誤解が、七陰以下シャドウガーデンをシャドウに対する信奉の下で結束させているのだけど。
そういう誤解を含めてのシド/シャドウの美学の空気を描けなかったのは、成功とはいいがたいんじゃないかな。
シドからすれば、ただ「シャドウガーデンごっこ」をしているだけなのだけど、彼がそのごっこで衒いもなく示す厨二病的なゴシック趣味に根ざした美学が、その実、七陰と、あとアレクシアあたりにはむしろ崇高な、自分たちも目指すべきものに見えてしまった、というのが大事だったはずなのだけどね。
ベータの文学や、イプシロンのピアノがその典型で。
ガンマも、なんとかシャドウに応えたいから、自分が示せる最大限の貢献ということで、商才という才能を磨いたわけで。
でも、それって要するに、商人が芸術家に貢ぐのと同じ発想のはずなんだよ。
ついでにいえば、ベアトリクスとアンネローゼには、シャドウの武を極める美学には感じ入るところがあったようだったし、ローズ先輩もそのひとりだったはず。
そういう、シドには全然その気がないのに、周りが勝手に彼の中に凄いものを見出すからこそ、成立している、コメディとシリアスが微妙な塩梅で組み合わさった物語。
それがこの作品の、もともとの面白さだと思うのだよね。
それなのに、アニメでは、シドと関わった表の人たちの多くが鬼畜に堕ちていく話にしてしまった。
だから、やっぱりちょっと違うなぁ、素直にこの路線で2期は期待したくないなぁ、と思わせる一方、でも無法都市編とか、確かに見てみたいよなぁ、と結構、困った気にさせる。
もう少し品のいい表現でやってくれればよかったんだけどな。
とにかく、女性剣士たちの怒り顔がみんな同じキツネ顔のキチガイ顔だったのだけはどうにもダメだった。
多分あの顔が最後まで生理的に受け付けられなかった。
結局のところ、キャラデザと作監のテイストが全然合わなかったってことなんだけどさ。
とにかく女性キャラがみんなヒステリックでキツイ感じに描かれていたのがどうにもダメだった。
目をクワっと明けてキチガイ笑いするところなんて、誰がやっても同じだったからねw
単調にも程があるw
最終回ではシャドウですらそうだった。
シャドウとアイリスが同じキチガイ顔するかよ?って思わない? いや、マジで?
そういう意味では、以後、あまり関わってこないベアトリクスやアンネローゼとかは鬼畜落ちしないで終わらせたくれたのだけはほっとした。
ということで、なんとも微妙な感想。
原作もコミックもそれぞれ面白いのに、どうしてこうなった?ってのが総評。
その意味では、『チェンソーマン』と同じ不満だった。
シドに加えて、アルファにベータ、ガンマ、デルタ、イプシロンの芝居はどれも良かっただけに、ホント、微妙に残念。