すっかり発売を忘れていて、たまたま入った書店で見つけてそのままゲット。
で、あっという間に読み終わった。
いろいろな意味で面白かった!かな、やっぱり。
で、当然、ネタバレもあるので、
というか、むしろ、『暦物語』を受けて、ファイナルシーズンの展開についてもあれこれ考えてしまった。
一応、以下に、ちょっとばかりスペースを開けておくけど、未読の人は了解の上でどうぞ。
『化物語』については、最初のBoxの上下巻を読んだ者としては、
アニメ化好評の結果、
「思えば遠くへ来たもんだ」
と常々思っていた。
特に、アニメが好評だったために、ある意味、商売優先で始まってしまったセカンドシーズンでは、アニメ用にキャラ立ちが重視される一方、物語としては時系列がバラバラで入り乱れていて、シリーズ全体の流れが今一つよくわからなくなっていた。
というか、そもそもセカンドシーズンに入ってからの各巻は特定ヒロインに焦点を当てた戯言展開が中心で、つまり、読者受けだけを狙ったノリだけで書かれてる気がしていて、何かもう、物語的な面白さとか、シリーズ構成とか、半分以上どうでもいい気になっていた。
・・・という、ある意味、ロイヤリティの高いw アニメ以前の、最初期からの西尾維新ファンに対して書かれたのが、今回の『暦物語』という感じだった。
阿良々木くんの高校3年生の一年間を一月ごとに追いかける短編12本(といっても一応各編30-40ページはある)から成る連作。
で、シリーズ完結に向けては重要だが、しかし、セカンドシーズンに入ってから、戯言成分によって水増しされてしまった本文の中に隠れてしまった、文字通りの「伏線」を拾いだして、今までのシリーズの内容をひと通り、作者視点でおさらいしておこう、というのが今回の主旨。
西尾維新自体も、後書きで、伏線について触れているから、今書いた「意図」は多分、間違ってないでしょう。
で、そう考えると、このタイミングでの、阿良々木くんの一年を振り返る、というのは成功だったと思う。
12月までの各編は、基本的には、ボーナストラック的なエピソードをまぶして、阿良々木くんと各ヒロインとの関係性や距離感を再確認していたわけで。
個々のストーリーは、それこそ、米澤穂信が書きそうな日常系ミステリー風の他愛の無い謎を扱いながら、その一方で、全体として、パンデミックを題材にしてそもそも「怪異」とはいかにして人間の間で現実的な存在に成るのか、という、『化物語』的には、そもそも物語の根幹を支えるメカニズムについてもそれとなく触れていて面白かった。
で、1月以降の三月分は、次に来る『終物語』と『続終物語』への序章となる話に焦点が当たってきて。
で、まぁ、ネタバレするけど、
阿良々木くんが臥煙伊豆湖に
モノホンの怪異殺しである心渡りで輪切りにされて殺されて、
多分、死後の世界?で覚醒したら、
八九寺と再会した・・・
ところで幕引き。
えーと、これは、いろいろと考えさせられるよね。
八九寺と再会は嬉しいものの、彼女がくらやみに成仏させられたことを考えると、阿良々木くんも同じように「死んで成仏」させられてしまった、ということ。
そして、「成仏」によって、八九寺は、表向きは「地縛霊」や「浮遊霊」という怪異の属性を剥奪されていること。
となると、阿良々木くんも怪異属性を外されてしまったのだろうということ。つまり、忍とのリンク=因果が断ち切られ、その上で、彼自身の吸血鬼属性も消失した、と考えられること。
それから、阿良々木くんと八九寺が再会を果たしたことで、多分、「くらやみに飲み込まれること」と「心渡りで切られること」は、怪異殺しとしては等価な機能を持つということ。
・・・となると、多分、くらやみの正体は忍野扇であることを考えると、扇ちゃんと臥煙さんが、要は、怪異に関する商売敵で、その二人?で縄張り争いをしているところに、阿良々木くんたちが巻き込まれてしまった、ということなのだろうな。
なので、残り二作では、当然、この二人の因縁がひとつの鍵になる。
加えて、残り二作が
『終物語』
と
『続終物語』
という具合にあからさまに、「終」が「終わらない」ことを予感させるタイトルであることを考えると、何らかの意味で「ループ」っぽい「エンド」が両方で示されるのだろうな。
と考えると、多分、『化物語』シリーズ上、たっての「メタコメント」キャラである八九寺が、満を持して再登場したことも意味があるように思えてくる。
ある意味、成仏して首尾よく「あの世」にいる八九寺からすれば、全ての分岐ルートが見えてしまう、ただし、それぞれのループには干渉できないけれど・・・、というようなことなのだろうな、と。
今回の『暦物語』で執拗なまでに、物語全体へのメタコメントが禁欲されていたのも、それが八九寺の役割だから、というのを際立たせるためでもあったのだと思う。
それに、今回は、蛇神になる前の撫子が登場しているのも、彼女が蛇神化しなかった世界に最終的にもは戻って、あー、全てはパンデミックのような「うわさ話」から生じた怪異譚だったねー、というオチで終わるんじゃないかなーと。
もちろん、その場合は、各キャラの怪異性は全て剥奪されてしまう。
なので、八九寺と忍の退場はマルヒツ。
あ、今の流れだと、斧乃木ちゃんもか。
だから、阿良々木くんの周りのロリキャラwとの別れは必定、ということになる。
少なくとも、そうした、完全なる「怪異」から外された世界に帰還する、というのが、多分、一つ目の物語の「エンド」。
で、もう一つは、当然、この逆で、全ての怪異が残ってしまう世界。
当然、臥煙さんや忍野、貝木、影縫、の面々も残る。
というか、セカンドシーズン、ってこういうルート分岐を複数繰り返した話から成立していたわけだし、そもそも、八九寺が成人した「未来」まで見てしまったわけだから「数多あるルート=多重世界からの選択」という幕引きの方法が、シリーズの完結方法として取られてもおかしくない。
そもそも、学習塾跡炎上事件の顛末も謎のままだし。
そういえば、あの時(『猫物語(白)』)、忍は阿良々木くんとのリンクを切られていたわけだけど、この状況は今回の『暦物語』のラストでの、臥煙さんによる心渡による阿良々木くんの瞬殺が起こった後の世界でなら、話の辻褄が合うことになる。
となると、そもそもセカンドシーズン自体が、『暦物語』のラストから分岐した世界を先見さされていたのかもしれない。
いや、そうなると、神原の「臥煙の血筋」の問題も明らかにされるし。
だいたい、『花物語』では、既に神原は、大学生になった阿良々木くんと再会しているわけで。つまり、神原の「臥煙の血筋」が、阿良々木くんをハッピーエンドに向かわせるルートを選択させる鍵になるのだろうし。
つまり、神原と臥煙伊豆湖については、「臥煙の血筋」についてのエピソードもあるはず。
となると、後書きで、西尾維新がしれっと書いている、『終物語』と『続終物語』との間にも、今回の『暦物語』のように、予定外のエピソードが挟まれる可能性は、むしろ大いにある、ということだろう。
というか、ぶっちゃけ、セカンドシーズンでばらまかれた伏線のほとんどは、全然回収されてないんだよね。
なので、それを行うのが、我らがメタキャラ八九寺、と、八九寺同様成仏した阿良々木くんの役割、ということになるんじゃないなかな。
で、「予定調和」w的には、怪異と人間が共存する世界を阿良々木くんが所望して終わる。
なぜなら、そもそも、怪異は、人間の噂、心持ちが産み出すものだから。
怪異譚は、神話や英雄譚と同じように、人心が産み出すリアリティであり、
だから、裏返すと、怪異譚が存在しない世界を選択すると、
それはもう人間の世界としても「ありえない」世界になるから。
とかいういう理屈で決着が着く。
・・・とまぁ、こんな感じかなー。
つまり、ファイナルシーズンは、セカンドシーズンの錯綜した物語にケリを付けることが狙いになる。
その意味で、7月から半年に亘ってセカンドシーズンをアニメ化していくスケジュールは上手いよね。
そこで、アニメとしてセカンドシーズンのディテールを思い出しながら、その一方で、不ファイナルシーズンを出版する。
一応、夏に『終物語』が刊行されるようだから、『続終物語』は12月末の、セカンドシーズンの最終話が放送されたあたりで出るのだろうね。
あるいは、秋ぐらいに、間を埋める『XX物語』が何か出て、2月くらいに『続終物語』ということかもしれない。
とにかく、どんなふうにして、『化物語』という、もはや「お化け」コンテントとなったヒットシリーズに決着を付けるのか。
アニメ以前の、最初期の読者の一人として心待ちにしたいと思う。
で、あっという間に読み終わった。
いろいろな意味で面白かった!かな、やっぱり。
で、当然、ネタバレもあるので、
というか、むしろ、『暦物語』を受けて、ファイナルシーズンの展開についてもあれこれ考えてしまった。
一応、以下に、ちょっとばかりスペースを開けておくけど、未読の人は了解の上でどうぞ。
『化物語』については、最初のBoxの上下巻を読んだ者としては、
アニメ化好評の結果、
「思えば遠くへ来たもんだ」
と常々思っていた。
特に、アニメが好評だったために、ある意味、商売優先で始まってしまったセカンドシーズンでは、アニメ用にキャラ立ちが重視される一方、物語としては時系列がバラバラで入り乱れていて、シリーズ全体の流れが今一つよくわからなくなっていた。
というか、そもそもセカンドシーズンに入ってからの各巻は特定ヒロインに焦点を当てた戯言展開が中心で、つまり、読者受けだけを狙ったノリだけで書かれてる気がしていて、何かもう、物語的な面白さとか、シリーズ構成とか、半分以上どうでもいい気になっていた。
・・・という、ある意味、ロイヤリティの高いw アニメ以前の、最初期からの西尾維新ファンに対して書かれたのが、今回の『暦物語』という感じだった。
阿良々木くんの高校3年生の一年間を一月ごとに追いかける短編12本(といっても一応各編30-40ページはある)から成る連作。
で、シリーズ完結に向けては重要だが、しかし、セカンドシーズンに入ってから、戯言成分によって水増しされてしまった本文の中に隠れてしまった、文字通りの「伏線」を拾いだして、今までのシリーズの内容をひと通り、作者視点でおさらいしておこう、というのが今回の主旨。
西尾維新自体も、後書きで、伏線について触れているから、今書いた「意図」は多分、間違ってないでしょう。
で、そう考えると、このタイミングでの、阿良々木くんの一年を振り返る、というのは成功だったと思う。
12月までの各編は、基本的には、ボーナストラック的なエピソードをまぶして、阿良々木くんと各ヒロインとの関係性や距離感を再確認していたわけで。
個々のストーリーは、それこそ、米澤穂信が書きそうな日常系ミステリー風の他愛の無い謎を扱いながら、その一方で、全体として、パンデミックを題材にしてそもそも「怪異」とはいかにして人間の間で現実的な存在に成るのか、という、『化物語』的には、そもそも物語の根幹を支えるメカニズムについてもそれとなく触れていて面白かった。
で、1月以降の三月分は、次に来る『終物語』と『続終物語』への序章となる話に焦点が当たってきて。
で、まぁ、ネタバレするけど、
阿良々木くんが臥煙伊豆湖に
モノホンの怪異殺しである心渡りで輪切りにされて殺されて、
多分、死後の世界?で覚醒したら、
八九寺と再会した・・・
ところで幕引き。
えーと、これは、いろいろと考えさせられるよね。
八九寺と再会は嬉しいものの、彼女がくらやみに成仏させられたことを考えると、阿良々木くんも同じように「死んで成仏」させられてしまった、ということ。
そして、「成仏」によって、八九寺は、表向きは「地縛霊」や「浮遊霊」という怪異の属性を剥奪されていること。
となると、阿良々木くんも怪異属性を外されてしまったのだろうということ。つまり、忍とのリンク=因果が断ち切られ、その上で、彼自身の吸血鬼属性も消失した、と考えられること。
それから、阿良々木くんと八九寺が再会を果たしたことで、多分、「くらやみに飲み込まれること」と「心渡りで切られること」は、怪異殺しとしては等価な機能を持つということ。
・・・となると、多分、くらやみの正体は忍野扇であることを考えると、扇ちゃんと臥煙さんが、要は、怪異に関する商売敵で、その二人?で縄張り争いをしているところに、阿良々木くんたちが巻き込まれてしまった、ということなのだろうな。
なので、残り二作では、当然、この二人の因縁がひとつの鍵になる。
加えて、残り二作が
『終物語』
と
『続終物語』
という具合にあからさまに、「終」が「終わらない」ことを予感させるタイトルであることを考えると、何らかの意味で「ループ」っぽい「エンド」が両方で示されるのだろうな。
と考えると、多分、『化物語』シリーズ上、たっての「メタコメント」キャラである八九寺が、満を持して再登場したことも意味があるように思えてくる。
ある意味、成仏して首尾よく「あの世」にいる八九寺からすれば、全ての分岐ルートが見えてしまう、ただし、それぞれのループには干渉できないけれど・・・、というようなことなのだろうな、と。
今回の『暦物語』で執拗なまでに、物語全体へのメタコメントが禁欲されていたのも、それが八九寺の役割だから、というのを際立たせるためでもあったのだと思う。
それに、今回は、蛇神になる前の撫子が登場しているのも、彼女が蛇神化しなかった世界に最終的にもは戻って、あー、全てはパンデミックのような「うわさ話」から生じた怪異譚だったねー、というオチで終わるんじゃないかなーと。
もちろん、その場合は、各キャラの怪異性は全て剥奪されてしまう。
なので、八九寺と忍の退場はマルヒツ。
あ、今の流れだと、斧乃木ちゃんもか。
だから、阿良々木くんの周りのロリキャラwとの別れは必定、ということになる。
少なくとも、そうした、完全なる「怪異」から外された世界に帰還する、というのが、多分、一つ目の物語の「エンド」。
で、もう一つは、当然、この逆で、全ての怪異が残ってしまう世界。
当然、臥煙さんや忍野、貝木、影縫、の面々も残る。
というか、セカンドシーズン、ってこういうルート分岐を複数繰り返した話から成立していたわけだし、そもそも、八九寺が成人した「未来」まで見てしまったわけだから「数多あるルート=多重世界からの選択」という幕引きの方法が、シリーズの完結方法として取られてもおかしくない。
そもそも、学習塾跡炎上事件の顛末も謎のままだし。
そういえば、あの時(『猫物語(白)』)、忍は阿良々木くんとのリンクを切られていたわけだけど、この状況は今回の『暦物語』のラストでの、臥煙さんによる心渡による阿良々木くんの瞬殺が起こった後の世界でなら、話の辻褄が合うことになる。
となると、そもそもセカンドシーズン自体が、『暦物語』のラストから分岐した世界を先見さされていたのかもしれない。
いや、そうなると、神原の「臥煙の血筋」の問題も明らかにされるし。
だいたい、『花物語』では、既に神原は、大学生になった阿良々木くんと再会しているわけで。つまり、神原の「臥煙の血筋」が、阿良々木くんをハッピーエンドに向かわせるルートを選択させる鍵になるのだろうし。
つまり、神原と臥煙伊豆湖については、「臥煙の血筋」についてのエピソードもあるはず。
となると、後書きで、西尾維新がしれっと書いている、『終物語』と『続終物語』との間にも、今回の『暦物語』のように、予定外のエピソードが挟まれる可能性は、むしろ大いにある、ということだろう。
というか、ぶっちゃけ、セカンドシーズンでばらまかれた伏線のほとんどは、全然回収されてないんだよね。
なので、それを行うのが、我らがメタキャラ八九寺、と、八九寺同様成仏した阿良々木くんの役割、ということになるんじゃないなかな。
で、「予定調和」w的には、怪異と人間が共存する世界を阿良々木くんが所望して終わる。
なぜなら、そもそも、怪異は、人間の噂、心持ちが産み出すものだから。
怪異譚は、神話や英雄譚と同じように、人心が産み出すリアリティであり、
だから、裏返すと、怪異譚が存在しない世界を選択すると、
それはもう人間の世界としても「ありえない」世界になるから。
とかいういう理屈で決着が着く。
・・・とまぁ、こんな感じかなー。
つまり、ファイナルシーズンは、セカンドシーズンの錯綜した物語にケリを付けることが狙いになる。
その意味で、7月から半年に亘ってセカンドシーズンをアニメ化していくスケジュールは上手いよね。
そこで、アニメとしてセカンドシーズンのディテールを思い出しながら、その一方で、不ファイナルシーズンを出版する。
一応、夏に『終物語』が刊行されるようだから、『続終物語』は12月末の、セカンドシーズンの最終話が放送されたあたりで出るのだろうね。
あるいは、秋ぐらいに、間を埋める『XX物語』が何か出て、2月くらいに『続終物語』ということかもしれない。
とにかく、どんなふうにして、『化物語』という、もはや「お化け」コンテントとなったヒットシリーズに決着を付けるのか。
アニメ以前の、最初期の読者の一人として心待ちにしたいと思う。