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白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

響け!ユーフォニアム3 第13話 『つながるメロディ』 感想2: 最終話が実質的なシリーズ総集編で終わったのは残念この上ない。久美子の未来はもっと可能性に満ちたものとして描けたはず。

2024-07-01 20:42:41 | 京アニ
感想1からのつづき)

感想1で、とりあえず見終わった直後の印象を書いたけど、その後、落ち着いて考えると、やっぱり、最終話が事実上の総集編だったのは、率直に言って悲しい。

多くの人が言っているように、今の京アニには、演奏者の指先の動きとか、息継ぎの様子とか、あるいは、楽団全体の動きをダイナミックに描く構成とか、とにかくそういう細かいシーンを描く力一切なくなったんだな、ってことを思い知らされた。

まぁ、それは、京アニを襲って多数の死傷者を出す蛮行を行った青葉という殺人者がいけないのだけれど。

でも、その事情をわかったうえでも、今回の最終話の出来は悲しい。

結局、3期を通じて、一度も北宇治吹奏楽部の演奏がフルで描かれることはなかった。

京都府大会はもとより関西大会も全国大会も吹部全体で演奏している様子が描かれないのは、さすがにそれ、吹奏楽部を舞台にした作品としては致命的でしょ?

野球アニメで、試合の間ずっと球場の青空を見せているだけのようなものでしょ?ときどきカキーンって球を打つ音が入るくらいの。

それくらい、今回の『ユーフォ』はひどかった。

そうなると、感想1でも触れたように、吹奏楽部の演奏シーンが描けないことをできるだけ隠すために、物語のテーマを、新参者の黒江真由を真ん中において、久美子が自問自答を繰り返しなんとか成長するという、なんとも息苦しい、久美子の私小説に成り下がってしまった。

これは、本当にひどい。

第12話で久美子が麗奈とのソリを失ったことに対する憤りは、その時の感想でさんざん書いたので、ここでは触れないけど、それにしてもひどい。

最終話まで見て思ったのは、なるほど、この3期の物語は

「(演者ではなく)部長の黄前久美子が北宇治を全国大会で金賞を取らせる」物語

であることはわかった。

マネージャーとして奔走して、あちこちで噴出する不満分子をなだめ、演奏技能の高い子のやる気が落ちないよう心理面を支え、問題が噴出する前に悩み相談に応じる。

最後には「実力主義」を掲げてきた手前、その原則を曲げては部内の士気がさがるとばかり、真由に負けた事実も受け入れ、それをむしろ部員の意識統一のために活用する。

なんなのこれ?って思うけど、でもまぁ、その理由が、麗奈の目標を叶えてやりたいという一心から来てるのだから、まぁ、納得しようとすればできなくもない。

ただね。

そういうマネージャー久美子としての目覚めを主題にするならもう少し描きようがあったと思うんだよね。

たとえば、3年になってやってきた転校生・黒江真由が、実はものすごい演奏能力を持っている奏者であることを知って、久美子自身がスカウトに行って、むりやり拝み倒して吹部入りさせるとか。

物語の途中で、その真由と麗奈との間で、実力者どうしならではの会話をさせて、早い段階で、麗奈も一目置く奏者として真由を物語の中で位置づけるとか。

その経験から、麗奈が久美子にアラームを鳴らすとか・・・ね。

そういうプロセスがあれば、久美子がソリを失うという、オーディションの結果に対する受容も随分変わっていたと思う。

というか、そうでもして真由の技能をある程度揺るぎないものとして作中で理解させて置かなければ、全国大会でゴールド金賞を取った、という話も、そこだけ原作と辻褄合わせしたご都合主義にしか見えない。

そういう意味では、ゴールド金賞をとったあとで、麗奈が久美子にありがとうの一言も言わないのは、いくら尺がなかったとはいえ、ありえないと思うのだよね。

結局、久美子は、麗奈が望む最強の北宇治を作るために尽力して、実際、自分の身を切りながらもそれを実現させてくれたのに。

久美子の成長?というか覚醒に対して、麗奈があまりに呑気な少女、というかガキのままで、そこは真面目にガッカリ。

まぁ、すでに、久美子は音大に進まない未来を選択した時点で、麗奈離れが必至であることは悟っていたので、むしろ、ゴールド金賞を取れたことで、スッキリしたのだと思うけど。

でもね、そういう意味では、全国大会の演奏シーンは、久美子の回想という総集編ではなく、久美子が部長として自分がここまで作り上げた吹部の演奏を、各自の部員の演奏に目を向けながら逐一確認していく、という描き方が欲しかった。

つまり、北宇治の演奏を描くにあたり、神視点で全体をくまなく映すのではなく、あくまでも部長黄前久美子の視点で、皆の演奏を眺めていくという様子。

少なくとも真由にソリを譲って聞いている場面くらいは、そうした部長黄前久美子としての自負を確認するシーンが挟まれても良かったと思うんだよね。

そうすれば、久美子の音楽に対する姿勢が、麗奈や真由とは違う、オーケストラを調和的に作りだすというものになっていたはずだから。

そういう意味では、指揮者を務めた滝に準じる位置に久美子がいたわけで。

要するに、久美子は、麗奈が憧れる滝先生そのものに、最も近づいた人間になったということ。

その事実はもっとわかりやすく描いたほうが、ゴールド金賞の獲得によって久美子が得た、皆とは違う充実感が伝わったのだと思う。

で、それはまた、後に久美子が教職につく、という未来を説得的なものにするためにも必要だったと思う。

そういう意味では、マネージャーとして大成した久美子が、母校の教職に就く、というのはあまりにも陳腐で、ここは、原作と変えても良かったのではないかと思った。

サファイアでさえ社会人になったというのだから、久美子も教職ではなく、どこかのプロのオーケストラ職員にでもなって、オーケストラの演奏を側面から支えるマネージャーやプロデューサーとしての道を歩む、というほうが夢があったと思う。

それなら、ある日、麗奈と再会することもあるかもしれないしw

全体を統括しマネージするというのも、社会では大事な資質だから、部長をやり遂げた久美子にはそうして可能性が開けた未来に向かってほしかった。

やっぱり母校の教師ってのは、あれだけのことをしたのに陳腐すぎだよ。

全体の構成をあれだけ改変したのなら、久美子の未来も相応に改変してほしかったな。

だって、「正しさ」を実践する場は、学校の外にもいくらでもあるのだから。

でもまぁ、そういうところは、京アニが地方のスタジオであることの限界なのだろうな。

広い外の世界のことを知らないから描けない。

そういう意味で、京アニの限界を痛感した3期だった。

それがとても悲しい。
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