(感想1、感想2、感想3、感想4、感想5、感想6、感想8もあります)
もうこれも思いつきなのだけど、12話のオーディションの結果って、黒江真由にとって不幸なことではなかったのかな?
だって、あれって、結局、オーディションを通じて、「みんなで仲良く楽器を吹きたい」だった、いわばスローライフ派だった真由を、無理やり「北宇治イズム」や「滝イズム」に染めた、ってことだよね?
なんていうか、スローなんかダメだ! 金賞目指して精進しなくちゃダメだ!って。
それ、単純に「洗脳」だよね?
なんていうか、真由は、いわば麗奈の思考の対抗、極北として、でも、そんな人でも北宇治では演奏する機会がある、という感じの、いわば、一種の音楽「弱者」の象徴のような存在だったと思っていたのだけど、そういう「スローなダメな感じは受け付けない。頑張るの一択が北宇治」という思考に矯正するための装置が、あのオーディションになってしまったと思うのだけど。
一種の思考統制だよね?
別に特段に真由というキャラに思い入れがあるわけではないけど、真由という存在は、久美子や麗奈といった主人公サイドが3年生になって、みんな部の「指導」を行わなくちゃいけなくなって、その分、公の場での発言にも制約が出てくるから、それを補う意味も含めてのキャラだと思ったのだけど。
吹奏楽部の強豪校からの転校生で、しかも3年生。
だったら下級生はもとより、同級生もその言動に一目を置く、ということで。
その意味では、一種の清涼剤とか、緩衝材くらいの位置付けだと思っていた。
そのいわば、貴重な「外部異端者」の存在をどうしても許さない、というのが、あのオーディションの結果、真由に強いられたことだったと思うのだよね。
自分のためではなく、北宇治のために吹く。
でもさ、それって、本当にいい話なの?
感想2で、麗奈による滝ファシズムが完成した、というのは、真由の処遇についても当てはまると思うのだよね。
別に、北宇治は、アイドルユニットではないから、芸能界的な圧は、本来、必要ない世界だと思うし、教師は、そうした真由のような存在も認めるべきだと思う。
それが、皆、オーディションを受けて、技能の優劣をはっきりさせなければならない、というのは、やっぱりやりすぎだと思う。
それが許されるのは、それだけの技能の優劣を判断できる技能と経験を持った人たちが判断する場合に限られる。
だって、オーディションなんだから。
それを、学生の間の投票にしたのは、完全に趣旨を履き違えているし、その結果、真由も、そうした集団の圧に抗う余地を失ってしまった。
つまり、真由からすれば、あのオーディションは、お前、北宇治でこれからも吹きたいか、吹きたくないか、という「踏み絵」にもなっていた。
選ばれた人をみずからの名乗りで一歩前に出させるところなんて、マジで踏み絵じゃない。
だって、自分で踏み出さないとその場が収まらないのだから。
残酷だよね。
なんていうか、そういう暴力性があのオーディションにあったことは、もっと注目されていいと思う。
つまり、オーディションという言葉だけに囚われて、それを芸能プロダクションのアイドルオーディションと勘違いした制作陣がおかしい、ってこと。
北宇治の吹奏楽部は、商業ユニットじゃなくて、高校の部活なんだよ。
そのあたりを完全に履き違えたのが、どうにも12話の内容に納得がいかない理由。
だって、自由に吹きたかった真由の気持ちまで、踏みにじるのだから。
しかもそれを真由もまた自分の意志で選択した、という形で強いたのだから。
これをファシズムと言わずになんと言おう、ってことだと思うよ?
人の自由を奪い、その人の居場所を奪う形で、むりやり包みこんでいくのだから。
とても怖い話だと思うのだけど。
残酷だよね?
(感想8へ)
もうこれも思いつきなのだけど、12話のオーディションの結果って、黒江真由にとって不幸なことではなかったのかな?
だって、あれって、結局、オーディションを通じて、「みんなで仲良く楽器を吹きたい」だった、いわばスローライフ派だった真由を、無理やり「北宇治イズム」や「滝イズム」に染めた、ってことだよね?
なんていうか、スローなんかダメだ! 金賞目指して精進しなくちゃダメだ!って。
それ、単純に「洗脳」だよね?
なんていうか、真由は、いわば麗奈の思考の対抗、極北として、でも、そんな人でも北宇治では演奏する機会がある、という感じの、いわば、一種の音楽「弱者」の象徴のような存在だったと思っていたのだけど、そういう「スローなダメな感じは受け付けない。頑張るの一択が北宇治」という思考に矯正するための装置が、あのオーディションになってしまったと思うのだけど。
一種の思考統制だよね?
別に特段に真由というキャラに思い入れがあるわけではないけど、真由という存在は、久美子や麗奈といった主人公サイドが3年生になって、みんな部の「指導」を行わなくちゃいけなくなって、その分、公の場での発言にも制約が出てくるから、それを補う意味も含めてのキャラだと思ったのだけど。
吹奏楽部の強豪校からの転校生で、しかも3年生。
だったら下級生はもとより、同級生もその言動に一目を置く、ということで。
その意味では、一種の清涼剤とか、緩衝材くらいの位置付けだと思っていた。
そのいわば、貴重な「外部異端者」の存在をどうしても許さない、というのが、あのオーディションの結果、真由に強いられたことだったと思うのだよね。
自分のためではなく、北宇治のために吹く。
でもさ、それって、本当にいい話なの?
感想2で、麗奈による滝ファシズムが完成した、というのは、真由の処遇についても当てはまると思うのだよね。
別に、北宇治は、アイドルユニットではないから、芸能界的な圧は、本来、必要ない世界だと思うし、教師は、そうした真由のような存在も認めるべきだと思う。
それが、皆、オーディションを受けて、技能の優劣をはっきりさせなければならない、というのは、やっぱりやりすぎだと思う。
それが許されるのは、それだけの技能の優劣を判断できる技能と経験を持った人たちが判断する場合に限られる。
だって、オーディションなんだから。
それを、学生の間の投票にしたのは、完全に趣旨を履き違えているし、その結果、真由も、そうした集団の圧に抗う余地を失ってしまった。
つまり、真由からすれば、あのオーディションは、お前、北宇治でこれからも吹きたいか、吹きたくないか、という「踏み絵」にもなっていた。
選ばれた人をみずからの名乗りで一歩前に出させるところなんて、マジで踏み絵じゃない。
だって、自分で踏み出さないとその場が収まらないのだから。
残酷だよね。
なんていうか、そういう暴力性があのオーディションにあったことは、もっと注目されていいと思う。
つまり、オーディションという言葉だけに囚われて、それを芸能プロダクションのアイドルオーディションと勘違いした制作陣がおかしい、ってこと。
北宇治の吹奏楽部は、商業ユニットじゃなくて、高校の部活なんだよ。
そのあたりを完全に履き違えたのが、どうにも12話の内容に納得がいかない理由。
だって、自由に吹きたかった真由の気持ちまで、踏みにじるのだから。
しかもそれを真由もまた自分の意志で選択した、という形で強いたのだから。
これをファシズムと言わずになんと言おう、ってことだと思うよ?
人の自由を奪い、その人の居場所を奪う形で、むりやり包みこんでいくのだから。
とても怖い話だと思うのだけど。
残酷だよね?
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