(感想1、感想2、感想3、からの続き。感想5、感想6、感想7、感想8もあります。)
今回のオーディションで麗奈と久美子の関係性にもピリオドが打たれてしまった。もう以前のような関係性は戻らない。
一つ、今回の12話の感想の中で、巷に流れているもので、どうにも理解できないのがあるのだけど、それは、久美子と麗奈が最後にいつもの高台で逢瀬をもって、互いに泣きじゃくって場面に感動した!ってヤツ。
感動した?
あの場面で?
どうして?
少なくともあの場面でなされたのは、吹奏楽部の表舞台では決して出せない、互いに私秘的な感情的な部分をさらけ出しただけのこと。
でも、だからといって、その結果、互いにスッキリして悶々とした思いに決着がついた・・・なんて、まさか思ってないよね?
あの場面は要するに、二人はすでに別々の道を歩み始めた、ってことの確認で、おむ互いに肩を並べながらこの先を歩いていくことはない、ってことの確認でしょ?
要するに、決別の場面だよ。
それがあの涙の意味でしょ?
麗奈は、久美子との友情を捨ててでも、全国大会で、万に一つでも勝率を上げるために真由の方をソリのパートナーに選んだわけで。
それは要するに、久美子じゃ、力不足、ってことでしょ。
で、久美子の方からすれば、ずっと麗奈に音大の進学を勧められながら、うーん、なんかそれは違う、とずっとぼんやりと疑問に思っていたわけで。
その「なんとなく」の感じは理屈じゃないからどうしようもない、それに素直に従うべき、というのが、大学進学で失敗した姉の貴重なアドバイスだったのだし。
で、その「なんとなく」スッキリしていなかった感覚に対して、久美子にとって「特別」な麗奈から、「戦力外通告」されることで、むしろ、ようやく具体的な形を和え耐えることができたってことでしょ。
麗奈が求める高みにまでは私は上るだけの力はないし、別段特に、上りたいとも思わない。
その久美子の実力不足ならびに不適正性について、先んじて言い当てていたのが、前回コンサート会場で会った不思議天然ちゃんでクラリネットバカの「鎧塚みぞれ」だったことで。
あの久美子が同じ音大にいることなんて想像できない、というみぞれの天然の返答は、要するに、みぞれから見たら、久美子は音楽の神様に祝福された子ではない、ってのが見えていた、ってことなわけで。
要するに、麗奈の本質は、みぞれ、だった、ってこと。
それはまた同時に、なぜかこの3期の前半で、真由が『リズと青い鳥』に触れて、なんでリズは青い鳥を逃がしたのだろう、とか疑問を述べて、『リズと青い鳥』の結末に反することを言っていたかの説明にもなる。
まさに、久美子と麗奈の関係は、久美子がリズで麗奈が青い鳥、つまり、希美がリズで、みぞれが青い鳥だったのを、そのまま反復した、ってことでしょ?
その、希美とみぞれの関係のオチを、久美子と麗奈の場合は、もっとダイナミックに面倒くさい感じで再演したのが今回の公開処刑だった。
なので、あの高台の場面は、個人的には、全然感動できるなんてものではなく、むしろ、そこまで冷たい関係に落とせる深い共依存の関係にビビった、というのが本音。
まぁ、それだけ、麗奈と久美子は共依存していたからこそ、百合めいた関係性にも見えたわけで。
ただ、その思春期特有の、女子の間の共依存を描くうえで、男性脚本家の花田十輝は不適格だったのだと思う。
それは、『リズと青い鳥』の山田尚子や、原作者の武田綾乃にはあって、花田十輝には持ち得ない、女性どうしの微妙な関係性に対する直感的な理解、ってことで。
結局、花田は、男から見た、ホントは男女の恋愛関係にしたいところの疑似関係の百合的なものに還元して代替しちゃうんだよね。
だから、情念=パトスばかりが前面にでて、あんな号泣になってしまう。
多分、同じ涙を流すにしても、あそこは山田尚子だったら、もっとすっきりと、涙が一筋流れて終わるくらいの、抑えの効いた描き方で終わってたはず。
そして、そのほうが今回の流れでは正しいと思う。
というのも、少なくとも、卒業後の進路を含めて、もう久美子の心は決まっていたから。
それこそ、オーディションの前に。
だから、もう、ある意味、久美子は久美子でやけっぱちになっていたところもあるんだよね。
あー、もうめんどくさい、これで決まりだ、えい!!!って。
そういう意味では、無常にも、久美子はだいぶ前から、麗奈との関係をどこかで精算しようと思っていたのだけど、対して、麗奈はそうではなかった。
ていうか、久美子はあのめんどくさがりの性格だから、とりあえず麗奈に話すのは、吹部の活動が終わってから、と何処かで直感的に決めていたと思うのだよね。
そういう意味では、麗奈には、あの公開処刑のような、無骨なやりかたしかできなかったし、それが本質的に、麗奈が、みぞれ同様、音楽バカの、心は幼児なままの未熟者、の現れだったってこと。
でも、その不器用さを認めるのは、音楽家は特別な人間だから、でごまかすだけにしか見えなくて、とても嫌だ。
きっと、そこも山田尚子なら、さらっとそんな特別はない、って言い切らせていたと思う。
・・・ということで、なんかやっぱり、チグハグなんだよ。
わざわざ『リズと青い鳥』を、男の脚本家の「女を愛でる男」タイプの野暮な演出で再演しようとしたのが失敗だった。
素直に原作通りの王道展開にしておいて、その細部に、麗奈と久美子のこれからの進路のズレを挟み込んでいけば、もっときれいな、でもリアルな『ユーフォ』の終幕が得られただろうに。
ほんと、その点だけは、変わらず、アホらしいし、バカらしい。
今からでもいいから『リズと青い鳥』、見直してこい、と言いたい。
(感想5へ)
今回のオーディションで麗奈と久美子の関係性にもピリオドが打たれてしまった。もう以前のような関係性は戻らない。
一つ、今回の12話の感想の中で、巷に流れているもので、どうにも理解できないのがあるのだけど、それは、久美子と麗奈が最後にいつもの高台で逢瀬をもって、互いに泣きじゃくって場面に感動した!ってヤツ。
感動した?
あの場面で?
どうして?
少なくともあの場面でなされたのは、吹奏楽部の表舞台では決して出せない、互いに私秘的な感情的な部分をさらけ出しただけのこと。
でも、だからといって、その結果、互いにスッキリして悶々とした思いに決着がついた・・・なんて、まさか思ってないよね?
あの場面は要するに、二人はすでに別々の道を歩み始めた、ってことの確認で、おむ互いに肩を並べながらこの先を歩いていくことはない、ってことの確認でしょ?
要するに、決別の場面だよ。
それがあの涙の意味でしょ?
麗奈は、久美子との友情を捨ててでも、全国大会で、万に一つでも勝率を上げるために真由の方をソリのパートナーに選んだわけで。
それは要するに、久美子じゃ、力不足、ってことでしょ。
で、久美子の方からすれば、ずっと麗奈に音大の進学を勧められながら、うーん、なんかそれは違う、とずっとぼんやりと疑問に思っていたわけで。
その「なんとなく」の感じは理屈じゃないからどうしようもない、それに素直に従うべき、というのが、大学進学で失敗した姉の貴重なアドバイスだったのだし。
で、その「なんとなく」スッキリしていなかった感覚に対して、久美子にとって「特別」な麗奈から、「戦力外通告」されることで、むしろ、ようやく具体的な形を和え耐えることができたってことでしょ。
麗奈が求める高みにまでは私は上るだけの力はないし、別段特に、上りたいとも思わない。
その久美子の実力不足ならびに不適正性について、先んじて言い当てていたのが、前回コンサート会場で会った不思議天然ちゃんでクラリネットバカの「鎧塚みぞれ」だったことで。
あの久美子が同じ音大にいることなんて想像できない、というみぞれの天然の返答は、要するに、みぞれから見たら、久美子は音楽の神様に祝福された子ではない、ってのが見えていた、ってことなわけで。
要するに、麗奈の本質は、みぞれ、だった、ってこと。
それはまた同時に、なぜかこの3期の前半で、真由が『リズと青い鳥』に触れて、なんでリズは青い鳥を逃がしたのだろう、とか疑問を述べて、『リズと青い鳥』の結末に反することを言っていたかの説明にもなる。
まさに、久美子と麗奈の関係は、久美子がリズで麗奈が青い鳥、つまり、希美がリズで、みぞれが青い鳥だったのを、そのまま反復した、ってことでしょ?
その、希美とみぞれの関係のオチを、久美子と麗奈の場合は、もっとダイナミックに面倒くさい感じで再演したのが今回の公開処刑だった。
なので、あの高台の場面は、個人的には、全然感動できるなんてものではなく、むしろ、そこまで冷たい関係に落とせる深い共依存の関係にビビった、というのが本音。
まぁ、それだけ、麗奈と久美子は共依存していたからこそ、百合めいた関係性にも見えたわけで。
ただ、その思春期特有の、女子の間の共依存を描くうえで、男性脚本家の花田十輝は不適格だったのだと思う。
それは、『リズと青い鳥』の山田尚子や、原作者の武田綾乃にはあって、花田十輝には持ち得ない、女性どうしの微妙な関係性に対する直感的な理解、ってことで。
結局、花田は、男から見た、ホントは男女の恋愛関係にしたいところの疑似関係の百合的なものに還元して代替しちゃうんだよね。
だから、情念=パトスばかりが前面にでて、あんな号泣になってしまう。
多分、同じ涙を流すにしても、あそこは山田尚子だったら、もっとすっきりと、涙が一筋流れて終わるくらいの、抑えの効いた描き方で終わってたはず。
そして、そのほうが今回の流れでは正しいと思う。
というのも、少なくとも、卒業後の進路を含めて、もう久美子の心は決まっていたから。
それこそ、オーディションの前に。
だから、もう、ある意味、久美子は久美子でやけっぱちになっていたところもあるんだよね。
あー、もうめんどくさい、これで決まりだ、えい!!!って。
そういう意味では、無常にも、久美子はだいぶ前から、麗奈との関係をどこかで精算しようと思っていたのだけど、対して、麗奈はそうではなかった。
ていうか、久美子はあのめんどくさがりの性格だから、とりあえず麗奈に話すのは、吹部の活動が終わってから、と何処かで直感的に決めていたと思うのだよね。
そういう意味では、麗奈には、あの公開処刑のような、無骨なやりかたしかできなかったし、それが本質的に、麗奈が、みぞれ同様、音楽バカの、心は幼児なままの未熟者、の現れだったってこと。
でも、その不器用さを認めるのは、音楽家は特別な人間だから、でごまかすだけにしか見えなくて、とても嫌だ。
きっと、そこも山田尚子なら、さらっとそんな特別はない、って言い切らせていたと思う。
・・・ということで、なんかやっぱり、チグハグなんだよ。
わざわざ『リズと青い鳥』を、男の脚本家の「女を愛でる男」タイプの野暮な演出で再演しようとしたのが失敗だった。
素直に原作通りの王道展開にしておいて、その細部に、麗奈と久美子のこれからの進路のズレを挟み込んでいけば、もっときれいな、でもリアルな『ユーフォ』の終幕が得られただろうに。
ほんと、その点だけは、変わらず、アホらしいし、バカらしい。
今からでもいいから『リズと青い鳥』、見直してこい、と言いたい。
(感想5へ)