日本人捕虜たちの足跡は砂漠の中の電柱設営、劇場建設などに見られます。 写真は彼らが設営した砂漠の中の電柱。緑が見えますが、当時はまったくの砂漠だったのですが、アムダリア河からの運河が近くを通るようになってこのようになったそうです。
この墓地の近くには今では日本で見かけることのできなくなった大きな桑の木が実を付けていました。食べてみました。懐かしい味でした。日本人捕虜たちも食べたのでしょうか。この地は絹の絨毯の生産が盛んで街路樹などにも桑の木がたくさんありました。バザールでも桑の実が売られていました。
写真はこの墓地にあった不戦の誓いの碑です。