次の寄港地は塩野七生さんの小説「ロードス島攻防記」でもよく知られている「ロドス島」でした。この地の目玉はやはり「ロードス島攻防記」で描かれている聖ヨハネ騎士修道会(ロドス騎士団→マルタ騎士団)の遺したものです。
この騎士団は十字軍の主力部隊の一つであり、テンプル騎士団、ドイツ騎士団とともに三大騎士団の一つです。十字軍の敗北によりエルサレムから退却し1309年ビザンチン帝国からロドス島を奪い本拠地にします。
名目はここを拠点としてイスラーム勢力と闘うことでしたが実際は海賊行為をすることだったようです。しかし1522年にオスマントルコ帝国の襲撃にあいこの島を撤退することになります。(注)
そのときの攻防を描いたのが「ロードス島攻防記」です。中世の戦闘で重要な役割を果たすのが城塞です。小説ではヴェネチア共和国の築城技師マルチネンゴがこの城塞の改築工事に招かれる様子が印象深く描かれています。写真はその城塞です。
(注)その後地中海にあるマルタ島に本拠を移しレパントの海戦などに参加しますが、ナポレオンにマルタ島を奪われ領土を失います。現在は本部としてローマに建物一棟を保有して、建物はイタリアから治外法権を認められています。国連は「オブザーバーとして参加するために招待を受ける実体あるいは国際組織」として取り扱っています。マルタ騎士団は約94カ国と外交関係を持ちますが日本は国として認めていません。現在の正式名称は「ロドスおよびマルタにおけるエルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」です。病院の名前が付いているのは最初の成り立ちが十字軍ならびに巡礼者の病人看護が目的だったからです。