日本と韓国の関係は特別です。日本が韓国を不幸にした関係、韓国から先進文化を学んだことなどです。日本人が韓国旅行をするのは、イギリスやリビアなどに旅行をするのとは全く意味あいが違います。違いがあるべきです。
ところが、今回の旅行は一般的な2,3日ではなく、10日間という比較的長いパックツアーであるにもかかわらず韓国と日本との関係を示すところにはほとんど案内されませんでした。意図的にそのような歴史的な場所への観光が削除されているようでした。
そこでドイツのヴァイツゼッカー元大統領の「過去に目をつぶるものは現在に対しても盲目である」を胸に刻んで、意図的(意図的とはどういうことかについてはご後記の予定です)に削除されていると思われる所を添乗員にお願いして行った所、日本との関係が深いところでも現地ガイドがそのことに触れなかった所、自由時間を利用して行った所をいくつか紹介したいと思います。多分韓国に旅行された人でこのブログを見ていただいている方もご存じないところがあるかと思います。
意図的に削除されと思われる代表的な場所がソウルにあるパゴダ(タブコル)公園です。ソウルの仁寺洞(インサンドン)商店街の隣り合わせにパゴダ公園があります。この商店街には1時間以上の散策の時間を与えながら、パゴダ公園への案内にはありませんでした。
1910年に日本は韓国を併合しました。
「1919年3月1日***民族代表者33名の名前で独立宣言を発表***ソウルではタプコル(パゴダ)公園に集まった各級学校学生と市民が市街地に出て万歳示威を***大極旗の波と大韓独立万歳を叫ぶ声全国に***日帝は憲兵警察はもちろん、陸海軍まで緊急出動させた。平和的な示威によって正当な要求を主張したわが民族は、無差別の銃撃によって殺傷**」(国定韓国高等学校歴史教科書日本語版1996年版p405~406)
もちろん日本の歴史教科書にも記述はあります。
「1919年3月1日、ソウルで宗教・文化界の名士数十名による『独立宣言』を発表し、学生・市民を中心に『独立万歳』トンニンマンセをさけぶ示威行動をおこなった。独立運動は軍事弾圧を受けながら全国に広がった」(実教出版高校世界史Bp180)
「三・一運動が集中的に展開された三月、四月の二カ月間、当時の朝鮮の人口の一〇%以上にあたる二百万人が参加し****武力弾圧により七五〇九人が死亡した」(韓国の歴史を知るための66章p264)
そうなんです、パゴダ広場は日本からの独立運動の発祥地なんです。何故、この場所への案内が無いのですか。
私は有り余る買い物時間を利用してパゴダ公園に行きました。写真はパゴダ公園にある「我々はここにわが朝鮮が独立国いうことと、朝鮮人が自由民であることを宣言する」に始まる独立宣言です。
当時の文章は現在の日本の漢字と仮名表記と同じで漢字とハングル文字ですね。
Fengdan さんコメント有難うございました。ここに見える漢字は日本語表記の場合で一般的には史跡などをのぞいてほとんど漢字表記はなく、すべてがハングル文字表記でした。