前回紹介したサンティアゴ・デ・クーバに代わってハバナが1553年キューバ総督領の首府となりました。1519年以降、港を中心に都市を築かれていったハバナはスペインの新大陸における植民地経営の中心地として、及びに貿易の主要な中継地として発展しました。そのためにハバナはフランス、イギリス、オランダの海賊の攻撃を受けるようになった。1537年にはフランス海賊によって最初の襲撃が加えられ、焼き討ちにあい、1553年と1555年にも略奪を受けるなどの被害を受けました。このため、ハバナにはフエルサ要塞、プンタ要塞、モロ要塞などの多数の要塞が築かれました。
今回はその一つモロ要塞(1589~1630建設)を訪れました。設計者はサンティアゴ・デ・クーパと同じ人物です。その後約1世紀間フランス、オランダ、イギリスの海賊たちの攻撃を防ぎましたが、1761年にイギリスとスペインとの間に植民地争奪戦争が始まり、その時このモロ要塞もイギリス軍の攻撃にあい55日間の攻防の末落城しました。「地球の歩き方」(p71)は1年にわたっての立てこもりと記していますが、これは間違いです。1年間はイギリスとスペインとの戦争の期間です。この時のモロ要塞の守備隊長ペラスコはキューバの中学校歴史書ではイギリス軍もその勇敢さを認めた英雄と記述しています。(キューバ中学校歴史教科書p75)