シチリア島ノートから少し南下してポッツァレという港街からフェリーで2時間のマルタ島に向かいました。(2014年5月6日の旅程図)マルタ共和国はこのマルタ島、コゾ島、コミノ島からなる人口41万人の小さな国ですが、EUにも加盟しています。マルタ島とコゾ島を観光しました。
マルタと言うとマルタ騎士団を思い出す人が多いとおもいます。そこでそこからは始めます。マルタ騎士団は3大十字軍騎士団の一つ聖ヨハネ騎士修道院に始まります。この騎士団は1070年にアマルフィの商人によって結成されました。(2014年7月28日に紹介)
その後、十字軍の敗退によってロードス島に退きましたが、ここからもオスマン帝国から追い出されます。その時の攻防を描いた小説が塩野七生氏の「ロードス島攻防記」です。(2008年3月7日に少し紹介)その後、各地を転々としますが、1522年神聖ローマ皇帝によってマルタ島を所領として授かります。その時の年貢が鷹1羽だったそうです。そしてこのマルタはイスラーム勢力に対するキリスト教勢力の最前線基地となります。ついに戦火が開かれたのは1565年でした。それについては次回で。
写真はアマルフィの商人たちによってマルタ騎士団の前身、聖ヨハネ騎士修道院が結成されたということを示すものです。左がマルタ騎士団紋章で、右がアマルフィ共和国紋章です。同じですね。なおマルタ騎士団の紋章の場合、デザインはイタリア語、フランス語、プロヴァンス語、オーヴェルニュ語、カスティリア語、アラゴン語。ドイツ語、イングランド語(計8語)を母語とする人たちで構成されているということも象徴しています。