今年はじめ、「蒙古襲来」(服部英雄著)を読んでいたら蒙古の日本襲来の目的は日本から宋への硫黄輸出を阻止することにあったと書かれていました。ヘエ知らなかったなーといつものように自分の無知ぶりを反省しました。しかし、その後朝日新聞にこの本の書評があり筆者の本郷和人氏がそのようなことをなんら論証なしに述べるのはいかがなものか、
と批判されていました。そこでこの服部氏の説は通説ではないと理解し、ひとまず安堵しました?
その後、今年4月坊津観光をした時(4月29日~5月26日このブログで紹介)南さつま市坊津歴史資料センター輝津館の橋口氏から坊津の商人が硫黄島の硫黄を中国宋へ輸出していてその見返りとしての中国陶磁器が硫黄島から発掘された言う話を聞きました。正確を期するため橋口さんからいただいた「輝津館企画展図録論集」から橋口氏の論文の一節を紹介します。
「硫黄島で発見された日宋貿易時代の遺物は、硫黄輸出先である宋で製作された貿易陶磁であり、これらは硫黄島と島外との間で、硫黄島へ中国陶磁が搬入されるような交易、経済活動が行われていた可能性示唆し、当時の硫黄交易を背景として硫黄島に搬入されたものである可能性が指摘された」(p15)
というわけで、硫黄島の硫黄が元寇を招いたという私の妄想が出来上がりました。私が硫黄島に来た理由の一つがこの妄想の完結でした。ただ、服部氏は硫黄の日本産地としては阿蘇火山などを指摘していますが、硫黄島はあげられていません。それはたぶんこの硫黄島発掘が2010年~2013年のことなのでその成果をお知りにならなかったからでしょう。
写真は中国陶磁器が発掘されたところです。
硫黄鉱山は一時隆盛を極め1960年には島外からの移住者もあり人口は604名までになりましたが1964年に鉱山が操業停止になり鉱山による繁栄は止まり人口は現在116名です。