ちょうど八重桜満開の行楽シーズンでした。そこで気がついたこと二つ。右の奥に行楽客らしき人が見えますが、日本のようにゴザ(今の時代はシートですね)を敷いての花見ではないですね。中国87回の同行者の話によれば中国人は日本のようなシート花見はしないそうです。
もう一つはヨーロッパ人に出会わなかったことです。相貌が同じなのでよくわかりませんが東洋人の外国人も見かけなかったような気がします。そして日本人にも。この外国人(日本人も含む)をほとんど見かけなかったというのは今回の旅行地全てでした。日本人の旅行客も最近激減しているそうで、現地日本語ガイドの一人はこの仕事は今年限りにして来年は違った仕事を見つけたいと言っていました。
私は戦争は大嫌い、絶対反対です。したがって戦争の話も嫌いです。そこでNHKの大河ドラマも見ません。ところが現実直視、私の言葉ではキョロキョロイズムも私にとっては大切です。そのアンビヴァレントの感情を抱きながらの今回の旅でした。
そして私の想像を超えた「嫌な思い出」の保存でした。それは前回紹介した「博物館」展示物であり今回数度にわたって紹介する旅順攻防戦などです。まず最初は「203高地」の話です。
その前に日露戦争がいかに悲惨な戦争であったかを示す数字を挙げておきます。この日露戦争に動員された日本人は30万人で戦没者が8万8429人(内戦病死者が2万7192人でほとんどが脚気が原因)(注)負傷者が15万3584人です。
(注)この脚気病死については森林太郎(森鴎外)に重大な責任があることは知る人ぞ知る有名な話。
すこし余談話になりますが、この日露戦争が「ナショナルアイデンティ」の形成に重要な役割を果たしたことについては2015年6月20に少し紹介しているのでご覧いただければ幸いです。
日露戦争の勝敗の帰趨を決する戦いの場は一つは日本海海戦でもうひとつが今回紹介する旅順攻防戦です。旅順攻防の一大ポイントが203高地攻略戦でした。203高地は旅順港の背後に迫る203メートルの高地で旅順港攻略の戦略拠点でした。
現在は写真でわかるように平和な観光公園になっています。