露国コンドラチェンコ少将戦死の碑がありました。私はコンドラチェンコという人を全く知りませんでした。日本軍を最も悩ましたロシアの司令官でここで日本軍の狙撃により戦死します。その勇士振りをたたえて日本軍が建立し、それがこのように今も残されていました。私はいつもは嫌いな「武士道」という言葉を使って思わず「日露戦争まではまだ日本に武士道は残っていたのだな!」とつぶやいてしまいました。
余談噺
82歳になりました。(7月25日)「思えば遠くへ来たものだ」 写真のボケと同じくこの文章もますますボケてきたようです.何時まで続くかな?このブログ!