100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡6

2016年12月15日 08時27分07秒 | アフリカ

 

 この石柱がなにを意味しているかの説明があったようですが忘れました。1500年頃にはこのグレートジンバブエは衰退していきます。その原因にはいろいろ説はあるようですが「なぜ没落したのか、知るよしもない」は「新書アフリカ史」(p108)です。

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「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡5

2016年12月15日 08時24分35秒 | アフリカ

 

 石壁から人民を眺め見下ろしている私?

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「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡4

2016年12月15日 08時21分35秒 | アフリカ

 

支配層は権威を誇示するため石の塀の内側に住み50世帯、数百人に程度だったと考えられています。

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「東南アフリカ」編 グレートジンバブエ遺跡3

2016年12月15日 08時18分13秒 | アフリカ

 

 かって、このような進んだ文明を黒人が作れるはずがないと白人学者たちは考え外来の非黒人の遺跡だと主張しました。しかし、20世紀になり精密な発掘調査が行われ現在では黒人ショナ人の文明だと断定され異論を唱える人はいません。

それに関連して面白い話があります。

「イギリスの考古学者ケイトン=トンプソンが、講演で遺跡の建築者は紛れもなく現地のアフリカ人であること、彼らが成熟した文明の担い手であって高度な国家的組織と優れた独創性と高い技術をもっていたことを論じ、南部アフリカの学界を挙げて取り組むにふさわしいテーマだと訴えると、アウストラロピテクスの発見者として知られるレイモンド・ダートは激怒し、演壇と司会者に向かって怒鳴りつけ会場から足を踏み鳴らしてでていったという逸話がある。このようにグレート・ジンバブウエ=アフリカ人建設説は、当時のアフリカ南部の白人社会においては受け入れがたいものであった」(ウィキペディアより)

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