ボーア人は、オランダ系移住民の子孫で17世紀末に本国から極貧生活を逃れて、約600人がケープタウンに上陸したのが始まりです。ボーアはオランダ語で農民を意味しますが、彼ら自身はボーア人と呼ばれるのを嫌い、アフリカーナと自称し其の言語をアフリカンスと呼びます。なおこれらのことについては2007年11月12日と2009年10月26日に少し詳しく紹介しています。
その後ボーア人の人口は年々増加していきますが19世紀にナポレオン戦争が起きこの地をイギリスが支配するようになり、ボーア人は北方へ大移動をすることになります。それがグレートトッレカーと呼ばれそれを記念してこの記念碑が作られます。グレートトッレカーは無人の地を行ったのでないことを忘れてはなりません。原住民の地の侵略であったことを。しかし南アフリカの悪名高い人種差別政策アパルトヘイト時代には白人の英雄的行動としてこのような記念館が作られたのです。したがって現在黒人がここに来ることはないそうです。しかしこのような記念堂がいまだに観光地として残されているのはマンデラの寛容の政策のような気がしました。
その後イギリスとボーア人との戦いボーア戦争(1899~1902)が始まりイギリスの勝利に終わります。其のことで前回紹介のユニオンビルの左右対称が作られことになったのです。