サーンハイ村から再びボートで30分行ったところにパークウー洞窟がありました。15世紀以降ラオスでの内戦時に王の隠れ場となり、仏像が持ち込まれ寺院となりました。盗まれた仏像もたくさんありますが、現在4000体ほど残っているそうです。
エンディングノート
7日、うすきクリニックの紹介で今村総合病院に行きました。このままでは余命半年と宣告されました。いろいろな検査の結果体力的には可能との判断で成功率は80%とのことでした。そこで手術をお願いしようと思いました。ところが手術の前提に体の他の部分にがんがないかどうかの検査を他の病院に行って調べる必要がありその結果によって手術可能性について判断をするとのことでした。わたくしは今までの数多くの検査に辟易していたので他の病院で検査を断りました。そこで それでは手術はできませんとの医師の発言でした。そこでわたくしも手術を諦め余命半年を選択することにしました。もともとがんの発見は便秘と出血から始まっていますが、現在はその便秘は「ピムロ」という薬で改善され快便に近いものになっています。しかしこの「ピムロ」の効果は何時までも続くはずはありません。その時はわたくしの人生の終点です。もちろん、その間「うすきクリニック」には緩和ケアをお願いするつもりです。なお、できるだけ旅行に関するこのブログはエンディングノートをはさみながら続けたいと思っています。よろしくお願いします。僭越ながら、中江兆民の「一年有半・続一年有半」を思い出しました。ここまでは7日当日の文章です。
ところが8日に「うすきクリニック」に報告に行くと自分の肉親の例も挙げられて強く手術を勧められました。今村病院の担当医から説明不足だったと「うすきクリニック」に電話もあったそうです。というわけで、今どうすればよいか混乱、悩んでいます。皆さん良い知恵をお貸しください。
色川大吉の訃報。冥福!